少し脱線して、この本にあるKBのサインについて考える。
1936年にブリュッセルで購入したか、 読了したかに見えるサインだが、これがKBのものだとすれば、 ちょっと訝しいところもある。
KBは、父が商船会社勤務だった関係で、 1926年にシンガポールに生まれ、そこで育った。父は、 三菱の出資で北ボルネオで開拓事業もし、 KB農園を開いていたともいう。
生まれ育ちからして海外だったKBのことだから、 商船会社勤務の父の存在もあって、 10歳という年齢でブリュッセルに行くことがあった可能性はある 。後年の詩人、文学領域の大知識人は、 わずか10歳ながらも様々なジャンルの書籍に関心を持ち、 買ってもらうこともあった可能性はある。
しかし、私がKから貰った本は文学書ではない。 19世紀の著名な外交官たちについての本であり政治の本で、 20世紀前半に有名だったモーリス・パレオローグMaurice Paléologueの『タレーラン・メッテルニヒ・ シャトーブリアンTalleyrand Metternich Chateaubriand』(Librairie Hachette, 1928)である。もちろん、 10歳の文学少年がこれに興味を持ってもよい。しかし、 語学的にも内容的にも、 10歳ではなかなか読み通せないはずの本である上、所々に、 フランス語をフランス語で語釈した語学的な書き込みがあり、 的確な下線が引かれている。 それらは後年に読み直した際のものだとするとしても、「Brux elles、1936」というサインはあまりに手慣れていて、 10歳の少年の手になるものとは思えない。
KBには1920年に生まれた兄がいた。長じて、 東大法学部を卒業し、横浜正金銀行(後の東京銀行)に入行、 パリ支店や新橋支店次長を経て、国際投資部副参事役、 さらには欧州東京銀行頭取となる人で、 1936年には16歳だから、語学能力の上でも内容の上でも、 この本を購入するには遙かにふさわしいかもしれない。 銀行勤務を通した人だが、 16歳頃には外交官を目指していたかもしれない。
しかも、この兄は、単なる銀行員ではなかった。 大学時代から加藤周一、中村真一郎、福永武彦らのマチネ・ ポエチックに参加し、創作を始めており、とりわけアルベール・ カミュ『異邦人』の決定的な名訳で、 翻訳者としてはKBよりも遙かに有名になった。
こうした事情からして、 私の手元に流れてきたパレオローグの本は、 おそらくKBの兄が購入したものであり、 すぐに読んだかどうかはわからないまでも、 それなりに愛着を持った本で、すぐにサインを入れたものだろう。 KBも兄も苗字は同じだから、 他人から見ればサインは同じである。
KBは、父が商船会社勤務だった関係で、
生まれ育ちからして海外だったKBのことだから、
しかし、私がKから貰った本は文学書ではない。
KBには1920年に生まれた兄がいた。長じて、
しかも、この兄は、単なる銀行員ではなかった。
こうした事情からして、
1936年の何月かはわからないが、この年、 1月には日本がロンドン海軍軍縮会議から離脱しており、 イギリスではジョージ5世の死去とエドワード8世の即位、 2月に2・26事件、3月にドイツのラインラント進駐、 7月にスペイン内戦勃発、 9月からはソ連でスターリンによる大粛清開始、 11月にはアメリカでフランクリン・ ルーズベルト大統領再選などと世界は動いており、「 ロマン主義と外交」 と副題された評判のパレオローグの本をブリュッセルで手にした1 6歳の兄の心には、おそらく昂ぶりがあっただろう。 これからの世界で、 外交の道に進もうという夢と野心がページを繰らせたに違いない。
0 件のコメント:
コメントを投稿