2016年8月7日日曜日

指導教授K  9

 相手への、そんな当座しのぎの振る舞い方を算段することで、こちらの気分や精神のほうはある程度調節できる。むしろ、私の体のほうこそが、Kの研究室に入ってすぐに、もっとはっきりと抑圧的なものを感じていて、調節がつかなくなっていたらしい。
 修士課程1年生の夏、学期の終わりに研究室のコンパがあったが、それが過ぎてから、翌日か翌々日、便が真っ黒になった。恐ろしいほどツンとくる粘着性の高い便で、二日ほど続いた。コンパで食べた中華料理のせいかと思ったが、もちろん中華料理は何度も食べたことがあり、食後にそんな便が出たことはない。いろいろ調べてみると、血便で、しかも肛門から遠いところでの出血があったものと思われた。おそらく、胃だったのだろう。内臓からの出血など経験したこともないので、少し怯えたが、その後は何事も起こらなかったので、一時的な出血に留まったらしい。
 それにしても、二日ほど真っ黒な血便が続くほどの出血を想像すると、今後大丈夫だろうかと不安になった。中華料理で変なものを食べたとも思われず、理由としては、ストレスが胃に来たのではないかと考えられた。当時、大学院の他、生活や学費を支える仕事を毎日夕方以降続けていたが、その仕事は慣れていたのでストレスが過大だったわけではなく、そうだとなれば、これは大学院のほうの、とりわけKの研究室の雰囲気から来るストレスがいちばん大きいと思われた。自分の意識では、たいしたストレスもなく、仕事も大学院も、自分自身の研究も、創作も、さまざまな読書も、平行してこなしていると思っていたが、肉体はどうやら、自分ではわからないようなストレスを受けとめていたらしい。
 とはいえ、Kの研究室の雰囲気とK自身とを同一視するのは、控えるべきかもしれない。研究室というのは、多数の院生の集まりで成り立っている。それが作り出す雰囲気というのは、K個人のそれとは、やはり異なっている。
大学を卒業した後、私は長いこと大学環境を離れており、もともと大嫌いな場所のひとつでもあるので、それだけでも、院生がいっぱい集まっているところに居なければいけなくなると、非常なストレスを覚える。なにか、無性に気持ちが悪いのだ。
しかも、大学を出て6年も7年も社会で働いてきた人間には、大学という場所は、甘えた人間の集まりにしか見えない。大学院はさらに酷く見え、一度も大学の枠から出たことのない者たちの奇妙な慣れ合い、睦みあい、競い合いの場所と見える。どのような仕事であれ、社会人として生きているということは、住居費、食費、服飾費、キャリアアップのための学習費、交際費、遊興費、各種の税金や社会保険費など、あらゆるものを含めた生活の費用を自分で稼いでいるということであり、バランスを取りながらそうした生活を継続すべく注意し、様々な不満や不公平や不安を抱え込みながら会社や上司に従っていくことを意味する。これは、学校を卒業して普通に働いて生きていっている人間たちには当然のことであり、避けたくても避けようもない生の条件だ。しかし、大学院の院生たちの多くは、こうした経験を、いわば、免除されている。大学を終えても親の家に住み続けていたり、親から生活費を出してもらっている場合もあれば、アルバイトはしつつも、奨学金で資金上の基盤が得られていたりする。これらは、人それぞれの生活のしかたに関わるので、いいも悪いもないものの、やはり、会社組織や上司の決定に基本的に全く逆らえない状態で仕事を続ける他ない経験の有無は、人間の精神に決定的な断層を生む。
会社組織での、すでに短くない勤務経験を経てから大学院に入り、Kの研究室に来た私は、奨学金は貰えるようになったものの、生活と勉強の費用を捻出するために、大学院の傍ら、仕事を続けていたし、続けざるを得なかった。大学院での単位取得のための授業に朝9時から出なければならず、日によってタイム・スケジュールは全く異なるものの、夕方までは出席すべき授業や、大学院での用事に拘束される。夕方からは、複数の進学塾や予備校に働きに行くために、帰宅ラッシュの始まり頃の大混雑の電車を乗り継いで、大学からかなり離れたあちこちの遠方の職場に向かう。それらの場所での仕事が終わるのは22時頃で、場合によっては23時頃になる時もあり、そこから急いで帰っても、帰宅は23時半から0時頃になる。軽く食事をし、翌日の大学院の授業のための予習や様々な準備、自分の研究が始まって、寝るのは早くても3時半頃、たいていは4時過ぎとなる。そうして、7時には起きて、朝9時の教室に出られるよう、慌てふためいて準備をする。
修士課程のはじめの二年間は、このように過ぎていった。論文を仕上げるために三年目も修士課程に残ることにしたが、すでに単位もだいぶ取ってしまったため、朝9時の授業に出る必要がなくなって、もう少し余裕ができたが、夕方以降の仕事は同じことだった。つねに移動、移動という生活で、論文のための文献やぶ厚い辞書やノート類を鞄に入れて持ち歩き、満員電車の中でも読み続ける。恒常的な睡眠不足のため、朝も夕方も夜も電車の中では、ふいに気を失うほどの強烈な睡魔に襲われる。何ページも十数ページも読み進めてきたのに、ふと気づくと、読んでいるつもりだったのが、いつの間にか夢の中に入り込んでいて、全く内容が記憶に残っていないことがたびたびあった。満員の中に立っていて眠ってしまい、膝がガクッと折れてストンと体が落ち、電車の床に尻を付けてはじめて気づくこともよくあった。9・11のワールド・トレード・センターがきれいに崩れ落ちて崩壊していく動画を見た時、電車の中で立ったまま眠ってしまってストンと坐り込んでしまう自分のようだと、真っ先に思ったものだった。

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