2016年8月7日日曜日

指導教授K  2

 Kが亡くなった時、私のところにはすぐには知らせが来なかったし、少し後になって元学生のひとりから回ってきた連絡には、教授本人の遺志で葬儀は無し、香典のたぐいも固辞云々とあった。
 形式走ってばかりの日本の冠婚葬祭を嫌い、会葬者となりうる人々、特に、自分の教え子たちへ掛けかねない迷惑をあらかじめ考えての、いかにもさっぱりした態度、と見えないこともない。
 しかし、私は呆れた。
 この人物が教授となり、中年頃に家を買い、家族を養って、年収1200万から1500万を得ながら、子供ふたりに高学歴を許しうるまでの生活を保ち得たのは、ひとえに彼の学生となった者たちが存在してくれたおかげというべきである。人生の終わりに当たって、せめて、とりわけ関わりの密であったはずの研究室の学生たちに、感謝のかたちとして、然るべき形式を踏んだ別れの機会ぐらいは与えてもよかったはずではないか。自分の生死を重大視しないかのような振舞いにも見える、一見、格好のいい態度を取りながら、学生たちに対してはしかし、この上なく失礼と言えるこんな幕引きのしかたは、私には非常識の極みと思われた。
 型どおりの葬儀を廃するという選択はあってよい。しかし、毎年、少なくとも年賀状程度は出すのを欠かさなかったはずの学生たち皆に、遺族は知らせの葉書ぐらいは出すべきではなかったか。葬儀は無し、香典のたぐいも固辞云々と家族に念を押したのなら、自分の学生たちへの最小限の知らせをすることについても念を押しておくべきではなかったか。それについては、病を得て、衰弱していく最中でつい失念した、と理解するべきことなのだろうか。
 そうではない、という確信が私にはあった。Kは、私が大学院生や助手として近くにいた頃、知り合いの葬儀に出るたび、会葬者が持っていく香典への返しが家族の負担となって大変だ、自分が死ぬ時にはああいうのは避けたい、と言っていた。何度も聞かされた。
 葬儀の際の遺族の負担はもっともだし、会葬者たちにも物入りなのは事実だから、これらを軽減すべきと考えるのは合理的ではある。
 しかし、Kの発想の重心は、会葬者たちが抱く煩わしさを無視はしないながらも、自分の家族の安楽のほうにあった。
 家族を守ったというわけか。
おっしゃっていた通り、なさったんだな。
 そう思い、いつまでも子供だったな、子供でいらっしゃったな、とも思った。
 これは、軽蔑と呼ぶべき思いや感情なのではない。
むしろ、早春の肌寒いような青臭さを、最期まで内面に保ってよくぞ直進なさったもの、という再確認に近い。
たとえ、創作者でない只の研究者であれ、一般に、文学に関わる者は成熟を嫌い、社会の枠に無難に嵌った善良なる一市民であることを嫌うところがある。法を忌避し、良識を笑い、世間の風潮に背を向け続けようとする。表面はどうあれ、内面には徹底した自己主義がある。社会と相容れる余地はそこにない。というより、社会とどこまでも相容れない己を自認した者だけが文学に流れ着く… 程度の差はあれ、そんなところがある。
とはいえ、Kは、彼の指導下にある院生の私からすれば「社会」の一部であった。人は他者に対して、避けがたく「社会」でしかあり得ない。嫌われ、忌避され、笑われ、背を向けられる他ないところがある。これを避け得るなどと思うのは、青二才の学生ふぜいか、幸せな世間知らずだけだろう。
もっとも、和解の機会が全くない、とも思わない。
嫌悪や忌避や嘲笑に揺れる心の底に静かな水の溜まりがあって、おそらく、そこには理解も和解もあるというべきだろう。語られる必要さえない確かさがあるとみるべきだろう。
だから、姦しく、ざわざわと、心の上辺は嫌悪や忌避や嘲笑に揺れていてもかまわないのだ、とも言える。
今すこし、Kのことを書き続けようと思う理由がここにある。


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