5コマの授業数が多過ぎる、重荷過ぎる、 などというKの感慨を聞くと、いい気なものだ、 と思わされたわけだが、 これは有名な大学の教授たちに共通したものなのかもしれない。 Kにも、 学生たちに対するはっきりした優越意識や驕りのようなものがあっ た。
教授が、知識や学業において、また学究経験において、 学生に対して優越意識を持つのはもちろん当たり前であり、 その点で怠惰な学生を見下すようなことがあっても、 それは理解できなくはない。ここで言いたいのは、 それとは異なったことである。
Kの研究室での研究発表の時、外から、大学院生のではなく、 大学生たちの嬌声が響いてきたことがあった。校舎の脇で、 大学生がボールを回しあって遊んでいるらしく、 彼らが立てる声が響いて上がってくるのだ。
私たちにはさほど気になるほどの声でもなかったが、 発表者が時どき声を止めたりすると、 下からワアッと上がってくる声はちょっと際立つ。
Kは、ブラインドの紐を弾いたり、弄んだりしながら、 プリントに目を落としていたが、とうとう立ち上がり、発表者に「 ちょっと待ってね」と言うと、窓から身を乗り出して、怒鳴った。
「なに遊んでいるんだ! うるさいぞ! 君らはなんだ? 学部生か? 学部生だろ? ここをなんだと思っているんだ? ここは研究棟で、大学院の授業をやっているんだ。 学部生が来るところではない」
一気にこう言うと、ピタッと外の声は消えた。席に戻ると、
「発表を止めて申し訳ない。まったく、学部生の分際で、 こんなところまで来て、ボール遊びをしているんだから。 大学は研究するところなんだから、 学部生なんていないほうがいい。 大学院生以上だけがいるべきところなのに、ねぇ」
このように言い、発表の再開を促した。
学部生と院生とがはっきり差別され、 私たち院生のための静謐が守られたことになるわけだが、 私たちにしても学生には違いないのだから、 学部生をこうまで見下した発言をされると、 あまりいい気持ちはしなかった
いかにも先生然とした視野の狭い教授であったのなら、 まだそうした不見識も理解できるところがあるが、彼は、 第一文学部と第二文学部でそれぞれ学部長を勤めた経験があるのだ から、「学部生なんていないほうがいい」という発言には、 やはり首を捻らされる。
とよく言っていたが、これも今になってみると、 やりたくもない人が易々と学部長になれるほど、 学内政治は暢気なものではないのがよくわかる。明らかに、Kは、 自分から学部長になるのを望んだものだろう。 学部長ぐらいまではやっておかないと、 彼を目の敵にする後輩たちに示しがつかないと踏んだのではないか 。
学部長を勤めていた頃は、 義務となる授業数はかなり免除されたようだが、 他学部でならゼミに当たるはずの私たち大学院の授業と院生の毎週 の発表は、欠かさず行われた。それでも、 時どきは学務の仕事で途中から抜けたり、 あるいは遅れてきたりせざるをえなかったが、 そんな時のKは本当に残念そうだった。
「君らと一緒に勉強しているこの時間が、いちばん楽しいんだよ」
Kの研究室での研究発表の時、外から、大学院生のではなく、
私たちにはさほど気になるほどの声でもなかったが、
Kは、ブラインドの紐を弾いたり、弄んだりしながら、
「なに遊んでいるんだ! うるさいぞ! 君らはなんだ? 学部生か? 学部生だろ? ここをなんだと思っているんだ? ここは研究棟で、大学院の授業をやっているんだ。
一気にこう言うと、ピタッと外の声は消えた。席に戻ると、
「発表を止めて申し訳ない。まったく、学部生の分際で、
このように言い、発表の再開を促した。
学部生と院生とがはっきり差別され、
単純に考えても、大学院生から徴収される学費など、 大学にとっては大したものではないはずで、 運営にかかる費用のほとんどは多数の学部生たちから徴収される学 費で賄われているはずなのだから、「 学部生なんていないほうがいい」というのは、 経営的に言ってありえない。学部生はたしかに、 院生よりも学業に熱を入れていないかもしれないが、 学部生が来るところではないとか、 学部生などいないほうがいいとか、そこまで言うとなると、 ちょっと違うだろうと思わされる。
Kが、研究や授業しかしない、
入試で合格した学生の数は実際の入学の際にはたいてい減るわけだ が、それを見越して、大学は少し多めに合格者を出しておく。 学部長の匙加減ひとつに掛かっているこの水増しぐあいは、 大学経営に直結するので、毎年受験の頃になると、 学部長は戦々恐々なのだという。 今年は入学辞退者が少なくてよかった、 という話をKから何度か聞いた。 もし辞退者が多くなり過ぎて定員を下回るようなことになると、 自分の責任になるから、と言っていた。
Kは、やりたくもないのに学部長をやらされる羽目になった、学部長を勤めていた頃は、
「君らと一緒に勉強しているこの時間が、いちばん楽しいんだよ」
そう言っていたが、たしかに、そこに嘘はなかっただろう。
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