この女性教授より年下だが、世代の近い男性教授からは、
「Kさんって、本音ではどう思う?」
と、ずいぶん真面目な雰囲気で聞かれたことがある。
私はちょっと考えて、
「真面目というか、律儀というか、
本当にしっかり教育する人ですが、…少し、抑圧的なところはありました」
そう答えたが、この時、頭にあったのは、Kが時どき、自分の美意識や価値観を露骨に出してくるところがあったからだった。
Kの研究室に入って二年目ぐらいのことではなかったかと思うが、Kの個人研究費で購入した書籍類が届いた際、院生たちで見ていて、ドラクロワの素描集が交じっていたことがあった。
訳読授業が済み、発表が始まる前の休憩時間で、なにか用事のあったKは席を外していた。院生たちは寛いで、おしゃべりしながら本を捲っていた。
ドラクロワの画集の中に、瀕死か、それとも死んだばかりの老婆のスケッチがあって、皆、特にそれに興味を惹かれたというわけでもなしに、たまたまそのページを開けて見ていた時、Kがちょうど入ってきて、
「それ、なに?画集が届いたのか?…」
そう言いながら覗き込み、そのページの老婆の死のデッサンに気づいて、
「なんだ、君たちは。人の母親が危ないという時なのに、こんな絵なんかわざわざ開いて…」
気分を害したように、こんなことを言った。
私たちは、Kの老母の容態が悪いとも知らなかったし、わざとこのページを開いて、Kに見せようとしたのでもない。画集が届いたのも偶然、開いていたのも偶然、Kがちょうど帰ってきたのも偶然で、まるでKに故意に嫌がらせをしようとしたかのような言われ方は心外だった。Kが、それほど老母の容態を心配しているのはわかるものの、こんな思い違いをされるのは不愉快だった。
お好み焼の、こんな話もある。
院生たち何人かが、どこかの店のお好み焼を食べに行ったら、なかなか旨かったという話をKが耳にして、
「君たちは、なんだ、お好み焼なんか食べるのか?あんなもの、よく食べられるもんだねぇ、嫌だねぇ」
というような反応をした。小田原周辺の出身で、関東で育ったKは、大阪の庶民的な粉ものを軽蔑していたらしく、本当に一度も食べたことがなかったらしい。いちばん好きな料理として、わざわざお好み焼などを挙げる者が私たちのうちにもいたとは思えないが、だいたいが、一場のおしゃべりの話題として、この間どこかでたまたま食べてみたら旨かった、という程度の話なのだから、真面目に反応するまでもない、どうでもいい話である。それに対して「あんなもの、よく食べられるもんだねぇ」と言われると、どこか変な印象が生まれる。
Kは、他の院生たちにも、
「君も食べるか?君も好きか、お好み焼?」
などと聞いて、私にも聞いたが、私はあまり好きではないし、だいたい、ほとんど食べない、と答えた。
「そうだろう、食べるもんじゃないよ、あんなもの」
とKは言って、別の話題に進んだように思う。
好きも嫌いも、その当時、今ほどはお好み焼の店が東京にはなく、実際、食べる機会は少なかったように思う。もちろん、食べようと思えばそれを出す店はそこここの街にあったが、やはり、各段に店の数が少なかった。わざわざお好み焼を求めずとも、他の食べ物で済ますほうが楽だった。
しかし、それでも、こんな言い方をしなくてもいいのに、とは皆が思った。お好み焼程度のB級ものは、好きでも嫌いでもどうでもいいはずだが、それをこんなに気にするKが煩わしく感じた。
もちろん、どうでもいい食べ物だし、どうでもいいテーマだから、そこにわざと引っかかって、「あんなもの」扱いをして、一時の話題にしてみるという手はある。お好み焼嫌いをわざと演出してみて、ちょっと院生たちの気分に波乱を立てて楽しむ、という気分になることはあるかもしれない。
しかし、こんなKの発言の後では、院生たちはだれも反論する気にもなれず、せいぜい、「そんなもんでしょうか」ぐらいのことを言って、先生を立てておくような収め方に流れる。
このあたりのことを思い出して、私は、団塊の世代の男性教授に、「抑圧的なところはありました」と答えたのだった。なんとなく、「そんなもんでしょうか」と答えて止めにしておきたくなってしまうところに、Kから漂っている抑圧的なものの存在を感じていたのだった。
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