2016年8月7日日曜日

指導教授K  4

 少し脱線して、この本にあるKBのサインについて考える。
 1936年にブリュッセルで購入したか、読了したかに見えるサインだが、これがKBのものだとすれば、ちょっと訝しいところもある。
 KBは、父が商船会社勤務だった関係で、1926年にシンガポールに生まれ、そこで育った。父は、三菱の出資で北ボルネオで開拓事業もし、KB農園を開いていたともいう。
 生まれ育ちからして海外だったKBのことだから、商船会社勤務の父の存在もあって、10歳という年齢でブリュッセルに行くことがあった可能性はある。後年の詩人、文学領域の大知識人は、わずか10歳ながらも様々なジャンルの書籍に関心を持ち、買ってもらうこともあった可能性はある。
 しかし、私がKから貰った本は文学書ではない。19世紀の著名な外交官たちについての本であり政治の本で、20世紀前半に有名だったモーリス・パレオローグMaurice Paléologueの『タレーラン・メッテルニヒ・シャトーブリアンTalleyrand Metternich Chateaubriand』(Librairie Hachette, 1928)である。もちろん、10歳の文学少年がこれに興味を持ってもよい。しかし、語学的にも内容的にも、10歳ではなかなか読み通せないはずの本である上、所々に、フランス語をフランス語で語釈した語学的な書き込みがあり、的確な下線が引かれている。それらは後年に読み直した際のものだとするとしても、「Bruxelles、1936」というサインはあまりに手慣れていて、10歳の少年の手になるものとは思えない。
 KBには1920年に生まれた兄がいた。長じて、東大法学部を卒業し、横浜正金銀行(後の東京銀行)に入行、パリ支店や新橋支店次長を経て、国際投資部副参事役、さらには欧州東京銀行頭取となる人で、1936年には16歳だから、語学能力の上でも内容の上でも、この本を購入するには遙かにふさわしいかもしれない。銀行勤務を通した人だが、16歳頃には外交官を目指していたかもしれない。
 しかも、この兄は、単なる銀行員ではなかった。大学時代から加藤周一、中村真一郎、福永武彦らのマチネ・ポエチックに参加し、創作を始めており、とりわけアルベール・カミュ『異邦人』の決定的な名訳で、翻訳者としてはKBよりも遙かに有名になった。
 こうした事情からして、私の手元に流れてきたパレオローグの本は、おそらくKBの兄が購入したものであり、すぐに読んだかどうかはわからないまでも、それなりに愛着を持った本で、すぐにサインを入れたものだろう。KBも兄も苗字は同じだから、他人から見ればサインは同じである。
1936年の何月かはわからないが、この年、1月には日本がロンドン海軍軍縮会議から離脱しており、イギリスではジョージ5世の死去とエドワード8世の即位、2月に2・26事件、3月にドイツのラインラント進駐、7月にスペイン内戦勃発、9月からはソ連でスターリンによる大粛清開始、11月にはアメリカでフランクリン・ルーズベルト大統領再選などと世界は動いており、「ロマン主義と外交」と副題された評判のパレオローグの本をブリュッセルで手にした16歳の兄の心には、おそらく昂ぶりがあっただろう。これからの世界で、外交の道に進もうという夢と野心がページを繰らせたに違いない。

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