2016年8月7日日曜日

指導教授K  18

 私がHと離れて暮らすようになったのは、ふたりの間がうまくいかなくなったためでなどない。
H自身が、もっと自分の好きなように時間を使える生活形態を望んだためだった。16年も一緒に暮らした後、読書、執筆、ヨガなどに、思い通りに専心できるひとり住まいをHは求めるようになったのだった。
自分に残された時間がそう長くないのを、ひょっとしたら、感じていたのかもしれない。この後、12年後に彼女はガンで逝くことになったからである。
ふたりでいても、もう新たな進展がない、という気持ちも確かにあった。
互いのことについては、あまりにすべてのことがわかり合ってしまい、わかり切ってしまい、いっしょにいても話すこともなければ、波立つようなこともない。
ふたりでちょっと言葉を交わせば、相手の感じていることや考えていることはわかってしまうし、相手の内的な空間の様相も見え切っているので、議論する必要も殆どない。妻は、私とHが一緒にいるのを見ると、ふたりともあまりに話さないので、なんだか老夫婦みたい、とよく評した。私とHの間には、妻がそうやすやすとは入り込んでこれないほどの広大な深い相互理解の王国があって、私もHも、そこへの妻の侵入を拒否しているわけではなかったものの、今世をはるかに超える幾多の転生で交流しあってきた相互理解は、なかなか他人とは共有できない。単なる趣味や思想、感受性の合致に留まるものではなく、ともに宗教的秘教的な練習や占術などの無数の実践などをくり返してきた末の、同志や戦友とでも呼ぶべき状態に達していて、Hは、こうした私たちの状態を、コンプリスcompliceと呼んでいた。コンプリスは、悪事の共犯者、加担者を意味する。人間社会の制度、慣習、支配的な多数派の感受性や思想や価値観を全く認めないで、現代ばかりか、地球上のあらゆる時代の人間界にたびたび侵入して観察を続けるという意味でのコンプリスだった。
Hは霊能者で、さまざまな占いを実践研究していたし、彼女の占いは、長期的には百発百中だった。彼女はどこへ行くにも水晶の振り子と数種のカードを携え、毎晩、就寝する前の一時間ほどは、さまざまな事象についての占いの時間となった。彼女の行うのは白魔術だったので、自分についてのあからさま過ぎる功利目的の占いは功を奏さない。自他ともに、それほど金儲けや地位獲得などの世俗の物質的利益に関わらない事柄についてしか、白魔術的な占いは正確な答えを出してはくれない。霊的な進歩に役立つ方向でしか、白魔術は人間に力を貸してはくれないし、さらに、運命的に避けようもない事柄についても、力は貸してくれない。たとえば、近いうちに事故で死ぬことになっている人は、それを避けようと思えば避けることはできるが、たくさんの転生の中で考える長期的な視点からは、今回の事故死をどうしても経験しておくほうが、過去のカルマを速やかに清算できるため、ぜひ事故死するのが望ましいといった考え方に、基本的に白魔術は立っている。そもそもHは、自分の命を奪うことになる病気の行く末について、あれだけ信頼の置けた自分自身の占いが、全く機能しなくなっていくのを経験することになった。
私と暮らしていても、さほどHの邪魔にはならなかったはずだが、それでも夜遅くまで起きていることの多い私との生活時間のズレは、彼女の活動の妨げになったらしい。朝はやく起きて仕事に出ることがHは多く、外出する前に静かな時間の中でヨガを30分ほどはやるのを常としていたし、双方とも、自分のその時点での興味の対象についての書籍や資料などをどんどん家に持ち込むので、どんなに整理しても、書籍や資料の山が方々に出来続けていた。
別れて暮らすのを決めても、私が住むのは、それまで一緒に住んでいたHの家から数分のマンションの一室だったので、たがいに行き来は頻繁だったし、食事を作るのが苦手だったHのために、週に数回は私が夕食を作って食べさせた。全粒粉パンやライ麦パンを買って、私がいない間にマンションの入り口に置いて行ってくれることも多かったし、マンションに洗濯機は置いていなかったので、洗濯するのも干すのもHがやってくれていた。
これは、別れて暮らすようになったといっても、見方によっては、これまでより離れた自室を持つようになったとも言える。この選択は双方に確実な益をもたらした。静かな同士が暮らす場合でも、家の中に相手の存在がつねに聞こえているし、感じられているものだが、それが全くなく、ひとりで暮らすと、全く別の、いわば無音とでもいうものが物理的に聞こえ続けるようになる。これがもたらす集中度と充実度はかなりのもので、私のほうでも、Hがなにを望んでいたのか、よくわかるようになった。
人生においては、生活上、起きることも、起こすことも、必ずふたつ以上の意味あいや効果があるもので、良い一方のことや悪い一方のことというものはないし、これはこういう意味でしかない…などと限定できる現象というものはない。Hとのこうした生活の模様替えは、Hの利便も拡大し、私にも大きな自由をもたらした。
Hとの関わりの中心は、神霊・心霊研究や秘教研究、それらに関わる様々な実践にある。ふたりとも、文学や哲学、思想、物理学の素粒子論などに没頭していたが、それらはあくまで神霊・心霊研究のための比喩としての、表現上のレトリックとしての素材箱だった。この世のすべてに、とりわけ、人間界のことについて一切の関心も情熱もないのは、ふたりに完全に共通していた。

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