2016年8月7日日曜日

指導教授K  1

 大学院で世話になった文学部の指導教授Kが亡くなって何年も過ぎた頃、まったくの偶然から、元院生のひとりが書いた追悼文じみたものに触れたことがあった。
 そこには、Kが葬儀を廃し、香典なども固辞して逝ったことを、自らの主義を最期まで通したダンディズムの行為と謳ってあった。
 哀れに感じた。
 この元院生が外国で博士号を取った頃、大学の助手だった私は、学生時代にも況してなにかとKと接することが多かったが、ふたりで飲んだ時、「さっそく、彼をこの大学の講師に迎えるべきですよね」と進言した。
 Kは即座に否定した。
「彼はダメだよ。お酒を飲んでいる姿を見たことがないかい?酒瓶を自分で抱えちゃうんだ。卑しいねぇ。あゝいうのはダメなんだよ」
 話題に上った元院生は、研究室の中で私が最も敬意を持っていた優れた学者だった。彼には性的な奇癖の噂もあったが、それは噂のレベルに止まっているに過ぎず、特に問題のある行動が露見したわけでもない。Kは、しかし、それについても厳しかった。噂が立つだけでもダメだと言った。
 この優秀な元院生にして、これか、と私は寒々とした。Kの望む方向から逸れてばかりいた私など、とうの昔に切り捨てられているだろう。もともと、大学院に三十歳近くなってから進んだ私の場合、大学で職を得るようなことは端から望んでもいなかったものの、指導教授のこういう部分を見せつけられるのは、やはり嫌なものだった。
今後Kからは、なにひとつ得られないと覚悟すべきだ、といよいよ確信するとともに、こちらからも内心はっきり断絶すべきだ、と決意した瞬間だった。


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