2014年1月31日金曜日

仮名手本忠臣蔵あれこれ




 贔屓にしていたわけでもないが、勘三郎や団十郎を失ってからの歌舞伎に、憑きものが落ちたように興味が失せた。半可通を気取っての批判めいた感情のせいではない。わざわざ出向いてまでして、こちらが浴びて来たいような力が退いてしまった気がして遠のくことになったまでで、全くの個人的な気まぐれのせいに過ぎない。
 なりゆきから、この11月、しばらくぶりに歌舞伎座で『通し狂言・仮名手本忠臣蔵』の後半を見た。興味が蘇る契機になってもよかったはずだが、そうはならなかった。いや、『忠臣蔵』の面白さにあらためて気づく機会にはなったのだから、単純にそう言い切るわけにもいくまい。全体像をぼんやりとしか思い描けなくなっていた『忠臣蔵』を、ふたたび細かく振り返ってみたいと思うようになった。
だが、役者の演技には首を捻りたくなるところがあった。わざわざ劇場に足を運ばずとも、家にある脚本を読んで頭の中に舞台を設けたほうがよほどいいのではないかと思った。
たとえば、七段目の『祇園一力茶屋の場』。重要な場であるにもかかわらず、寺岡平右衛門を演じる梅玉の口吻もさっぱりしなかったし、大星由良之助を演じる吉右衛門と遊女おかるを演じる福助の台詞まわしも残念だった。
敵の高師直について妻お石が伝えてきた長い巻紙の文を、由良之助が床に、さらには縁の下にまで垂らしながら読む。縁の下に潜む斧九太夫がそれを盗み読みし、他方、となりの二階からはおかるが手鏡を使って、やはり盗み読みしようとする。この有名な場面の後、重要なことを盗み読みされたらしいと知った由良之助は、おかるを殺さねばなるまいかと考えながら、おかるに身請けしようと唐突に持ちかけ、梯子を使って彼女を二階から下ろそうとするところで、ふたりの間にはこんな会話が交わされる。

かる 何じゃしらぬが、この梯子は勝手が違うて、怖いわいなァ。
由良 危ない怖いは昔のこと。三間ずつまたいでも、赤膏薬もいらぬ年配。
かる 阿房言わんすな。船に乗ったようで怖いわいなァ。
由良 道理で船玉様が見ゆるワ。
かる エヽ、覗かんすな。
由良 洞庭の秋の月を拝み奉るじゃ。
かる そのような事いうたら、降りゃせぬぞえ。
由良 降りずば身どもが降ろしてやろ。逆縁ながら。
(じっと抱きしめ抱きおろし、)
    おかる、そもじは何を御覧じたか。
かる アイ、イヽエ。
由良 イヤ、見たであろ、見たであろ。
かる なんじゃやら、面白そうな文を、
由良 アノ、二階から、
かる アイなア。
由良 アノ、残らず読んだか。
かる オヽくど。
由良 南無三、身の上の大事とこそはなりにけり。ヤ、ポオポオ。
かる なんのことじゃぞいなア。
由良 なんのこととは、コレおかる、古いが惚れた。女房になってたもらぬか。
かる おかんせ、嘘じゃ。
由良 さア、嘘から出た誠でなければ根が遂げぬ。応と言や言や。
かる イヤ、言うまいわいなア。
由良 そりゃまた、なぜに。
かる さア、お前のは、嘘から出た誠でのうて、誠から出た、みいんな嘘々。
由良 イヤ、嘘でない証拠、身請けしょ。
かる イエ、私には。

 この部分の、由良之助の「道理で船玉様が見ゆるワ」や、おかるの「エヽ、覗かんすな」、また由良之助の「洞庭の秋の月を拝み奉るじゃ」あたりを役者たちがどう言うか、そこをしっかり聞きとって確かめるのは忠臣蔵の愉しみのひとつなので、ずいぶん注意して聞き耳を立てたのだが、はっきりしないもごもごした言い方で吉右衛門は通してしまったし、福助も小さめの声で迂遠な言いまわしで済ませてしまった。
 船玉(あるいは舟玉、船霊、船魂とも)というのは、航海の安全を祈願して船の帆柱の下などに祀る船の神のことで、女性の毛髪や人形や銭などを和紙に包んだものを御神体とし、帆柱の下に嵌めこんだという。おそらく、銭の穴や女性の毛髪からじかに連想されたものと思われるが、江戸時代、船玉は女陰のことも意味した。さらに、中国の湖南省の洞庭湖も、これは風光明媚なことからの連想なのか、やはり女陰を意味した。
したがって、由良之助はここでおかるに対し、なかなか露骨な話し方をしていることになるわけで、実際におかるの女陰が下から覗けているとは限らないにせよ、着物をめくればすぐにそこにおかるの女陰があるというのを前提としての会話となっている。
忠臣蔵の由良之助をあまり知らない者がうっかり思い込みがちになるような、武家のお堅い忠義の鑑ででもあるかのような由良之助像を超えた人格造形が、ここぞとはっきり見える個所でもある。
この際どい、しかし、江戸時代の茶屋にあってはなんということもない自然な会話場面を、由良之助やおかるを演じる役者どうしがどう演じるか、これは、小さいようでも他の名場面に劣らぬ注目個所で、ふたりの男女がどの程度に気を許しあっているか、許し切っていないか、その度合いを、この役者あの役者はどの程度に表わすか、表わし切るか、損ねるか、というところに歌舞伎好きの観客の注意は繊細に注がれることになる。
そういう個所にもかかわらず、吉右衛門ははっきりしない言い方でもごもご、福助も小さめの声で迂遠な言いまわしに終始してしまったのだ。なぁんだ、つまらない。前もって、脚本を見直してから劇場に足を運んだ身としては、がっかりである。
性の行為においても、性の表現においても、ずいぶん露骨だった江戸時代の人間が、当然ながら、ところどころに否応なく露呈してくるところに江戸文学の面白さのひとつはあり、歌舞伎もご多分に洩れない。『忠臣蔵』の十段目の天川屋(天河屋)の場では、天川屋義平の四歳の男の子由松を伊吾という丁稚があやしている場面で、こんな会話がある。

由松 イヤ、人形廻しより、おりゃもう寝たい。
伊吾 アレ、もう俺までを唆す。仕様がない。俺が抱いて寝てやろうぞや。
由松 いやじゃ、いやじゃ。 
伊吾 コレ、そんなに、やんちゃん言わぬものじゃ。
由松 それでも伊吾は乳がないもの、いやじゃ、いやじゃ。
伊吾 アレ、また無理を言うかいの。こなはんが女の子なら、乳よりもよいものがあるけれど、なにをいうても相婿同士、角突き合いをしようより、もう寝やんせ、寝やんせ。

 もし由松が女の子なら、由松にとって「乳よりもよいものがある」とは、もちろん、伊吾の男性器を用いての慰みを意味する。このあたりを物語る浄瑠璃の詞では「家の世継は今年四ツ、傳(もり)は十九の丸額」とあるので、伊吾は元服も済んで前髪も落とした姿であるはずだが、十九では性欲のさかりでもある。いま、もし、女の子をあやしているのなら、乳首のかわりにペニスを弄らせ、相手が四つとはいえ、性交まがいのペッティング程度のこともしかねない、という風情。「乳よりもよいものがあるけれど」という台詞からは、そんなところがはっきりと見える。
「角突き合いをしようより」も、多義的とはいえ、ペニスどうしの「突き合い」としても読めてくるが、それをせずに「もう寝やんせ、寝やんせ」と収めるところ、この伊吾がなかなかシンプルなストレイト(異性愛者)としての性の傾向を備えていて、まだ男色のほうへは傾いていないのまで見え、『忠臣蔵』の一場面の観劇といえども、観客の頭の中はなかなかに忙しくなるいっぽう、ということになる。
 露骨な、あまりにあからさまな台詞づかいや大声がいいというわけではないけれども、せめて、観客にいろいろ物を思わせうるだけの声量と滑舌ぐらいは維持してもらいたいと思うのだが、どんなものか。昨今、脚本をわざわざ見直す観客も減っているだろうし、しっかりと聞きとれる者も減っているはずだとすれば、上演中の台詞まわしというのは、いわば詞華との唯一の出会いの場となりがちである以上、気にならないではない。



*引用した『仮名手本忠臣蔵』のテキストは東京創元新社版『名作歌舞伎全集』二(1968)より。演劇博物館蔵本(明治366月)に山本二郎が増補・校訂したもので、由良之助とおかるの場面はp.88、伊吾と由松の場面はp.113-p.114




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