2014年1月31日金曜日

バカなシラバス



 大学にはシラバスというものがある。授業概要や進行計画を教員が記したもので、学生が授業を選択する参考にする。
昔からあったもので…と言いたいところだが、昔はそんなものはなかった。授業要項とか授業概要という冊子はあったが、シラバスなどという外国語のカタカナ表記を冠した冊子はなかった

 文科省の指導のもと、昨今のシラバスがなかなかの奇観を呈している。概要だけならともかく、一学期最大15回の授業があるとすれば、15回分の内容を個別に書けと教員は言われる。科目ごとに潜在するはずの、いや、顕在しているはずの差異は完全に無視され、テレビ講座のように毎回きっちりと内容が確定されていなければならない。シラバス記入の締め切りの早い大学もあるので、ひどい場合には数カ月前に毎週の授業内容が弁当箱のおかず並にきっちり決められてしまわなければならない。
しかし、ことはその程度に留まらない。いつの間にか、その授業を履修することで開発されたり達成されるはずの能力も示さねばならなくなった。いわく、分析力、コミュニケーション力、海外文化理解、統合力、他者理解力、などなど。

それらだけでもヘンテコだと思っていたところへ、今年、関わっている大学のひとつで、またすごいものが加わってきた。秋の授業に関するシラバスに新項目を加えたので追加記入せよ、と手紙が来たのである。授業を受けるにあたって、どんな予習や復習が必要か、教員が詳細に記して置け、という。そればかりか、それら予習や復習に何時間ほど必要かも記せ、という。
会社勤めをやってきた身として、事務的な雑事はまさに事務的にさっさと処理してしまう習慣がついており、事務処理は得意中の得意とするところなので、すぐにでっち上げて記入してしまったものの、ここまで来ると大学生をずいぶん馬鹿にしたものだと思う。予習・復習など、人によって必要かどうかも違うし、かかる労力も違う。かたちばかりであれ、それを教員側で指定せよというのだから、学習における主体性の妨害も甚だしい。学習主体たり得ぬ学生を商売上いっぱい入学させているのを証明するようなものでもある。

大学卒業者なら誰でもわかるだろうが、いろいろな講義に出て4年を過ごした結果として、記憶に残っているような講義はほとんどない。窓外の木の葉のそよぎとか、暑い日にぺたぺた掌にくっついた辞書の薄紙とか、先生が時々する余談とか、仕草や口調とか、コンパで意外な話を先生としたこととか、記憶に残るのはそのようなことばかりで、しっかり聞いていた面白い講義でさえ、何十年もするとすっからかんで何も残っていないほうが多い。
大学の授業など、そんなものだし、そんな程度でよいものでもある。大学で重要なのは、学生の自己管理能力の養成と、18世紀啓蒙主義ふうにいえば、自己完成性能力の育成のみだからだ。この能力さえ開拓できれば、個々の科目内容などどうでもよい。知識を取り入れる根気と吸収能力さえ育まれれば、後でいくらでも内容は補充できる。事実、話下手な教授につき合うより、その科目の概論を数百ページ読破したり、最低でも新書版の入門書を読んだほうがよっぽどいい場合が多い。

授業に必要とされる予習復習のしかたを教員が指定したりすれば、学生が自分の能力や理解度に照らし合わせながら予習や復習の度合いを勘案する作業が省かれてしまう。だいたいこんなことをやっていればいいのだな、と教えられるというのは、親切なようでいて、確実にその学生の将来の重要な芯を侵す。なにかに依存し帰属する人間を作ろうとする罠であって、その人間の依存心に未来のビジネスが介入してくる。便利なもの、快いものはかならず金を要求し、主体性の放棄を求めてくる。の~りの~り乗り換えるぅ~、などというスマホ会社の宣伝にひょいひょい乗っていってしまうような、ライトなお頭脳ばかり大量生産されていくことになる。
まぁ、ライトなお頭脳といっても、26歳で断頭されたサン=ジュストや36歳で断頭されたロベスピエールだって、今のわたくしから見れば十二分にライトなお頭脳だったと思われるから、良し悪しがあるというものではあろう。ライトだからこその行動力というのも、馬鹿にはできない。
さまざまな場所で日本社会の崩壊が加速しているように感じるが、教育における、一見親切めかした支配システムの繁茂には、将来の民草の運命そのものが丸ごとかかっているだけに空恐ろしい
もちろん、「空恐ろしい」などとアサヒシンブンみたいな言辞を弄して皮一枚でぶらさがって知識人ぶろうとするなんぞも、なんだかなァ、ではあるが。

20世紀後半の大哲学者ジル・ドゥルーズは、あるインタヴューで、「私はフーコーのような知識人ではないから、即座にはそんな質問には答えられないよ」と言っていたものだったが、サルトル以後に知識人なるものが土台から崩壊したはずだったのを決して忘れない彼の何気ないこんな言い草を、やはり何かと思い出すようにはしておきたいものと思う。



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