2013年9月19日木曜日

一回性の行為、還元不可能なものとしての〈テクスト〉読解





    ―ロラン・バルトのテクスト論について





 あらゆるものの流行の移り行きの速すぎる地上にあって、ひと頃は文芸批評の王者であったあのロラン・バルトRoland Barthesも、現在ではすっかり、ひとりの〈作者〉として、あるいは〈作品〉として完全に遺物化されてしまったかに見える。それはもちろん彼の落ち度から来るものではないにしろ、〈作者〉の死を宣告したことなどはともかく、奇妙なほどに〈読者〉を特権化し、〈読者〉のあらかじめの死、そしていつまでもの死、不在、到来の不可能性、そういったものを隠蔽したか、それに気づこうとしなかった点は、やはり、現在の視点で見直してみると、過失とも欺瞞ともいうべきことであったのではないか。


 どこかに〈読者〉なるものが存在しうるなどと信じたかったのだろうか。
なるほど、人は文字の並びを目で追うことができ、言語に関わるあらゆる種類の記憶(記憶相互を繋ぎ、反応させる装置も含む)をそうした肉体運動に伴って機動させ、なにかしらの知的感情的な刺激を得ることができる。そういうことの起こる場を〈読者〉と呼ぶならば、たしかにどこにでも、数えきれないほどの〈読者〉はいる。しかし、そのようなレベルで〈読者〉という単語を使うだけのことならば、〈作者〉という単語も大げさに用いるほどのことはなかったのであり、〈作者〉の死、などとセンセーショナルに打ち上げるほどのこともなかったはずだ。というより、できなかったはずである。彼が〈作者〉の死やテクストやエクリチュールを語る文章では、対になる単語どうしの間にこのような質的な扱いの差が見られ、往々にして、これが議論をわかりづらくしている。たとえば、あれだけテクスト、テクストと語る一方、「テクストの定義はない。それは概念ではない」1といったかと思えば、「現在、このテクストという概念は、隠喩によって近づくしかない、つまり隠喩をテクストのまわりに、できるだけ豊かに流通させ、列挙し、つくりだすしかない」2などと言うものだから、ところどころで神秘化さえ発生する。テクストの透明性を求めていたらしいというのに、議論の混濁が惹き起こされる。
 なぜ〈読者〉は死んでいるのか、到来不能なのか。
それは、まさにバルトがエクリチュールについて語っている性質そのものが、彼の言う〈読者〉の性質だからである。すなわち、「あらゆる声、あらゆる起源を破壊する」3ものであり、「われわれの主体が逃げ去ってしまう、あの中性的なもの、混成的なもの、間接的なものであり」4、読んでいる「肉体の自己同一性そのものをはじめとして、あらゆる自己同一性がそこでは失われることになる」5ような、そうした性質のものが〈読者〉だからである。エクリチュールの〈読者〉は、エクリチュールそのものでなければ〈読者〉たりえない。
さて、問題なのは、こういうものとしての〈読者〉のみが求められているとした場合、〈読者〉はどこに存在しうるのか、ということだ。私が、あなたが、彼が、このような〈読者〉であるなどというのだろうか、誰が言うのか、言いうるのか。私がそうだ、と言ったとして、その瞬間、私=そのような〈読者〉なのだろうか。
 誰ひとり、ふつうの意味での人間は、そのような〈読者〉にはなり得ない。「われわれの主体」や「自己同一性」が失われた時に存在しうるならば、「われわれ」には知り得ず、経験できないはずである。すなわち、「われわれ」にとって〈読者〉は、あらかじめの死、そしていつまでもの死、不在、到来の不可能性そのものということになる。


 バルトは、「書くということ」について、このように語っている。
「書くということは、それに先立つ非人称性―これを写実主義小説家の去勢的な客観性と混同することは、いかなる場合にもできないだろう―を通して、《自我》ではなく、ただ言語活動だけが働きかけ《遂行する》地点に達することである」6
「それに先立つ」というのはバルトの誤りであり、書くことを可能にする「非人称性」は「書くということ」とともにしか発生しえないのだが、それを別とすれば、ここでバルトが言っていること自体は極めて正しい。「書く」時、「書く」者の自我も人格も消滅し、しかも一人称でも三人称でもない非人称の機能体が起こる。これは誰でも体験を反省すればわかる事実で、疑いの余地はない。いや、自分が書いている時にはちゃんとこの自分がいて、この自分として、自分が書いている…と主張したとしても、意味がない。そのような「自分」がいるとすれば、その時の意識はそのような「自分」を意識内に記述しているのであり、それとは別の他のテーマに関わる単語連鎖を記述してはいない。意識は、つねにひとつのことしか扱えないのだ。他のことを同時に扱うためには、現在扱っている対象と他のことを合わせて〈ひとつ〉とするしかない。その場合、すでにそれらは別のことではない。
「書くということ」についてのバルトのこの記述もまた、そのまま、〈読む〉ということを説明するものとなる。〈読む〉「ということは、それに先立つ非人称性―これを写実主義小説家の去勢的な客観性と混同することは、いかなる場合にもできないだろう―を通して、《自我》ではなく、ただ言語活動だけが働きかけ《遂行する》地点に達することである」、と。


テクストやエクリチュールについては、というより、バルトにおいて〈書く〉ことと〈読む〉ことは完全に同一の現象でなければならない以上、同じことをごくわずかに観点を変えて見た内容を結局は語っているのだから、エクリチュール=テクストとでもいうべきだが、これは誰も〈読む〉ことなどできない。誰もそれらの〈読者〉ではありえず、それらについての〈読者〉は永遠に不在である。エクリチュール=テクストを〈読む〉ことができるのは、ひとつの主体ではなく、一者ではなく、「私」ではないからだ。それらが消滅した時にのみ、エクリチュール=テクストは発生する
言語配列がそこにあり、それを目で追いながら、記憶の多様な再生が連鎖的に起こるにつれ、人は脳内に、個人的な刺激の連続的な発生を経験する。個人的といっても、社会に帰属して規制された脳の運用法を身につけた人間の個人性は、パターンと呼びうる程度のものでしかなく、ほぼ非個人的なものだが、ともあれ、こうした経験を〈読む〉と呼んでおけばいいのならば、そもそも最初からバルトの試みは不要だったことになる。バルトにとっては、もちろん、そのようなものは〈読む〉と呼ぶには値しない。
そもそもエクリチュール=テクストは、本を開けばそこにあるようなものではなく、見出され続けなければならず、到達され続けなければならない。どうしてそのようなことになるのか。もちろん、エクリチュール=テクストの性質からそれは来るのである。
それはどのようなものだったか。バルトが『作品からテクストへ』においてテクストについて並べた説明を、少し思い出しておこう。
たとえば、テクストは数えられる対象ではない。物質的に作品とは区別できない。「非常に古い作品のなかにも《テクスト》はありうるし、また、現代文学の多くの産物は少しもテクストではない」7作品というものは物質の断片であり、「書物の空間の一部を占める」8が、それに対して、テクストは方法論的な場である。テクストは言語活動のうちにあり、なんらかの「ディスクールにとらえられて、はじめて存在する」9。また、テクストは作品の分解ではなく、作品のほうこそテクストの「想像上の尻尾」10である。そうして、テクストは、「ある作業、ある生産行為のなかでしか経験されない」11から、図書館の書架に留まっていることはありえない。テクストを構成する運動は横断である…
これはバルトが行っている7項目の説明のうちのひとつをまとめたものに過ぎない。この後、同じような口調の6つの説明が続いていくことになるが、すぐに気づかされるのは、彼が〈テクスト〉の対概念として用いている〈作品〉が、(彼は他所でテクストは「概念ではない」と言っていたのだから、ここで〈作品〉を対概念と呼ぶことはもちろん躊躇されるのだが、便宜上、こう呼んでおく)、世間一般では平然と、彼が〈テクスト〉に込める意味あいで用いられており、用いられうるということである。バルトが〈テクスト〉と〈作品〉とを分けることで、彼の夢みる言語活動のユートピアを描きたいのはわかるとしても、〈作品〉という言葉においては意味の射程も広ければ階層も多い。それを無視して、〈作品〉を超える〈テクスト〉などそもそも設定しようもないはずなのである。
もちろん、このような不平の言い立ては小さなことに過ぎない。バルトに触れる際には、〈作品〉という語についてのバルトなりの意味づけを受け入れておけば済むことだからである。そうしながら、エクリチュール=テクストについての美しい夢の数々を彼が披歴し続けるのに立ち会えばよいのには違いない。抽象的でもあり、どこかに多くの嘘が含まれているとは感じるものの、つまりは夢なのだから、黙って見ていればいいのである。
いつか小説を書こうとしながら、ついに書かないで終わったバルトだが、思えば、石川淳によれば「なにをどう書いてもいい」はずのものである小説にあっては、紋切り型の小説イメージに平身低頭して、人物を描写したり、性格づけをしたり、時代や背景を選んだり、日常にごまんとあるような小さな珍事や問題をこれみよがしに大仰に取り上げて、その中で人物たちを慌てふためかせて相も変わらぬドラマを捏造してみたりせずとも、抽象的な概念や奇抜な批評ばかりによって編まれたものがあったとしてもいいはずであろう。バルトの全文業は、あれはつまりは小説だったのだ、少なくともフィクションだったのだ、と思うこともできるはずで、〈フィクション〉はもちろん、〈小説〉という概念もまた、その程度までは間口の広いはずのものではある。だとすれば、次のような文句がバルトの文章中に並び続けるのも、大いによしとすべきはずのものだろう。いわく、〈テクスト〉は言表行為の諸規則の限界に向かうもので、ドクサ(通説)の向こうに身を置こうと努めるものであり、〈作品〉が一個の記号内容によって閉じられるものであるのに対して〈テクスト〉は「記号内容を無限に後退させ」12、「延期させる」13… また、いわく、〈テクスト〉は「徹底的して象徴的で」14あり、「構造化されているが、中心をもたず、閉止を知らない」15。「意味の共存」16ではなく、「通過であり、横断」17であり、「解釈に属することはありえず」18、「還元不可能な複数性」19であり、そこでは「いかなる言語活動も他の言語活動の優位に立たず、すべての言語活動が(循環[シルキュレ]する、というこの用語の意味をも保ちつつ)交流[シルキュレ]する」20


バルトが〈テクスト〉の生きた観念をつかんだのは、現実の地形であるワジにおいてだったらしい。ワジは、北アフリカの水なし川を意味する。彼は、「自分のなかの想像的なものをすべて取り払った」21無為な主体」22、「適当に空虚な」23主体となって、ワジを歩いたことがあった。その時、「光、色、草木、大気、わきあがる小さな物音、かすかな鳥の鳴き声、谷間の向こう岸の子供たちの声、すぐ近くや非常に遠くを通りすぎる住民たちの往来、身振り、衣服」24などを彼は見るが、「これらの偶発的なものは、どれも半ばしか同定できない」25し、「それらは既知のコードから来ているのだが、しかしその結合は唯一であって、これが散歩を差異にもとづいてつくりあげ、差異としてしか繰りかえされないようにする」26ゆえに「多様で還元不可能なもの」27となっている。
ここから彼は、一気に〈テクスト〉の抽象的な青写真へ、夢のスケッチへと移るのだ。〈テクスト〉はこのワジでの経験と同じで、その差異においてしか〈テクスト〉であり得ず、〈テクスト〉の読書は「一回性の行為」28でしかない。そのため、〈テクスト〉に関するあらゆる帰納的=演繹的科学は幻想に終わる他ないし、〈テクスト〉の文法も存在し得ない、と…
ひとつとして同じ経験はない、〈読む〉ことにおいてさえも。…そういうことだろうか。
たとえすべての御膳立てが「既知のコード」から成っていたとしても、一見同じ肉体を伴っていてさえ〈読者〉の側もつねに変質していく以上、ある瞬間の〈読み〉が二度と繰り返されることはなく、その経験の全容はなににも「還元不可能なもの」である。素粒子の動きのように、エクリチュール=テクストはそこに関わる者に応じて変質し、時空によっても変わる。帰納的=演繹的科学は、なるほど幻想に終わる他ない。あるいは、無限に繊細な帰納的=繹的科学が求められていくしかない…


しかし、こんなことなら、じつはル・クレジオJ.M.G. Le Clézioが小説『愛する大地Terra Amata』のプロローグではるかにわかりやすく、読みやすく、美しく語っていたことではなかったか。
「あなたは本のこのページを開いた。題名や、作者や出版社の名をぼーっと見ながら、二三ページめくってみた…29と始まるこのプロローグでは、「あなた」は書店でこの本を選んだのかもしれないとか、それとも誕生日プレゼントで貰ったのかもしれないとか、いま空港で飛行機をながく待っているのかもしれないとか、あるいはたんに家にいて、肘掛椅子に座っているのかもしれないとか、そうでなくて、サングラスをかけ、砂浜に腹ばいになって読んでいるのかもしれないなどといった、「既知のコード」からなる「還元不可能」の一回時が次々と語られ、第一章《たまたま地上に》を前にして、やがてこのような末尾に到る。
「暑過ぎると、あなたは海まで行き、水を浴びる。そうしてあなたはまた本を手に取ることができる。読んだばかりのところを忘れてしまっているが、文学においてはこれは決して悪いことではない。本は、生の只中で、あなたを取り巻いているもの以上に読みやすくもなく、持続しうるものでもない対象のように存在している。ひとりのビキニの女があなたの前を行くので、あなたは彼女を見つめる。それから、あなたは書かれているもののほうに向き直る。まるで物語の中を、本当にこのビキニの女が横切っていったかのようだ。ここには『テーブル』と書かれていて、むこうには『鏡』と書かれているが、これらは、『雲』や『タンクローリー』であってもよかっただろう。これこそが、まさしく本の面白いところだ。実現された唯一の記号の中に、やり方の上での無限の多様性が刻印されている。だとすれば、あなたがこれらの行を読んでいる時間や場所がなんだというのか?あなたがこれを読むことになった理由がなんだというのか?そんなものは、これであろうが他のものであろうがよかったのだ。無数の歯車装置から成る偶然というやつは、いつだって、消耗せんばかりに働き続けている。誰かが書いて、べつの誰かがそれを読むのだとしたところで、それがなんだというのだろう?結局のところは、それも究極のところでは、両者は同じなのだし、彼らはいつもそれを知っていたのだ」30
 バルトの〈テクスト〉論に刺激されてル・クレジオはこれを書いたのだろうか?同時代の知的雰囲気の中にいた敏感な作家たちが、個別の論文や作品にどういう順序で影響を受けたかをみだりに考えるのは、かえって本質を見逃す愚行かもしれないとはいえ、ル・クレジオのこの小説は1967年の発表である。先に見てきたバルトの〈テクスト〉論、『作品からテクストへ』は1971年のもの。自分より若いソレルスやクリステヴァの影響を受けながらバルトが自分の論を明確にしていったのを思えば、やはり、若いル・クレジオの影響を受けなかったともいえまい。
ソレルスやクリステヴァたちは、パリにあって他の作家や批評家、学者たちも含めて多様な影響を与えあっていたはずだが、出身地のニースに留まり続け、パリに出てこないことで有名だったル・クレジオだけは、ある意味で、他の同時代人からいちばん影響を受けなかった人物といえる。巨大な淵源としてのル・クレジオ?それを考えるべきなのだろうか?
しかし、ものを書く彼らは、当時、なによりも印刷物を通じて影響を受けたり与えたりしていたはずなのだから、本人たちがニースに留まろうがパリにいようが、もちろん、それは第一義ではなかっただろう。その上、ル・クレジオの先の表現を借りれば、まさしく、「あなたがこれらの行を読んでいる時間や場所がなんだというのか?あなたがこれを読むことになった理由がなんだというのか?そんなものは、これであろうが他のものであろうがよかったのだ」ということにもなろう。





*多く引用したRoland Barthes, La mort de l’auteur, 1968De l’oeuvre au texte, 1971の翻訳としては、みすず書房刊の『物語の構造分析』(花輪光訳、1979)所収の『作者の死』と『作品からテクストへ』を用いた。同訳書中の充実した「訳者解題」所収の『どこへ・それとも文学は行くか』や『若い研究者たち』の訳も若干個所用いた。


1    ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳、みすず書房、1979)、「訳者解題」p.209

2    ibid.p.209.
3   Roland Barthes, La mort de l’auteur, 1968、邦訳『作者の死』inロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳、みすず書房、1979)、p.79
4  ibid.,p.79-80.
5  ibid.,p.80.
6  ibid.,p.81.
7  Roland Barthes, De l’oeuvre au texte, 1971、邦訳『作品からテクストへ』inロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳、みすず書房、1979)、p93
8  ibid.,p.94.
9  ibid.,p.94.
10   ibid.,p.94.
11  ibid.,p.94.
12   ibid.,p.96.
13   ibid.,p96.
14   ibid.,p.96.
15   ibid.,p.96.
16   ibid.,p.97.
17   ibid.,p.97.
18   ibid.,p.97.
19   ibid.,p.97.
20   ibid.,p.104.
21   ibid.,p.97.
22   ibid.,p.97.
23   ibid.,p.97.
24   ibid.,p.98.
25   ibid.,p.98.
26   ibid.,p.98.
27   ibid.,p.97.
28   ibid.,p.98.
29   J.M.G. Le Clézio, Terra Amata, Gallimard, 1967, p.7.拙訳。
30   ibid., p.9-10.拙訳。






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