2014年1月31日金曜日

大阪



10月から11月、ひさしぶりにのんびりと大阪を再訪した。大阪に行くのは成人後、四度目か五度目ぐらいだが、今度という今度は、ずいぶんと大阪への偏見と謬見を修正できたと思う。そういう意味では、とほうもない収穫のあった大阪行だった。

それにしても、テレビなどで大がかりに広められた大阪の歪曲されたイメージはひどい。到るところで人びとがふざけ合い、ボケとツッコミをしあっているかのような印象さえ持たされかねないが、現地ではそんなことはない。当然といえば当然なのだが、馴染んだ京都にわざと一歩も踏み入れずに大阪だけに居続けると決めた気持ちの裏には、無味乾燥や空虚や表向きのキレイキレイばかりが募る東京からひとときでも逃げ出して、べたべたまではいかずとも、ぺたぺたコッテリした大阪の空気の中にちょっと休憩しに行きたいという思いがあったのは事実なのだから、もとはと言えば、偏見で思い描いた大阪イメージへむけての大阪行だったとも言えなくはない。そもそもの目的や青写真を否定し去るがための探索とはあい成った、と言えそうではある。

大阪では、地味に驚かされることこそが本当の驚きである。いわゆる大阪っぽいことを目の前にした場合、あゝ、大阪っぽいものを見つけた!という愉しみはあるものの、そう驚くわけではない。東京とは違うことが大手を振って常態化しているのは百も承知なので、そんなものを現地で見つけたところで、だれもが情報ズレした昨今、いまさら驚きもしないのである。道頓堀で、若いサラリーマンたちが生きのいい大阪弁で、どこどこの店の女の子のカラダがどんなふうにエヽということを大声で話しながらあちこちの店にひやかしに行くのに出会ったが、おゝ、さすがにみごとな大阪弁や、とは思うものの、まァ、当然やけどナ、とすぐに思う。なかなかうまかった御堂筋わきのラーメン屋《誠屋》で、奥に五六人、よくまァ続くワと思わされるほどのボケとツッコミを続ける大阪弁の大盛り上がりがうるさかったが、そんな光景も大阪では驚くべきほどのことではない、というより、いわゆる大阪っぽさの範疇にポコッと入ってしまって、驚きには到らないのである。
むしろ、驚かされるのは、たとえば今ちょうど話に出たラーメン屋で、すぐ隣りに座った若者ふたり連れの態度だったりする。奥でいかにも大阪ふうな盛り上がりになっているさなか、しゃべる言葉からすればあきらかに大阪人であるこのふたりが、まァ、静かなこと、暗いこと。ラーメンだけは激辛をふたりして頼んで、メニューに「本当に辛いのでご注意ください」とあったのを思い出しながら、だいじょぶかいな、と他人事ながら思って、こちらは無難なとんこつラーメンと餃子を食べつゝ様子をうかがっていると、案の定、難渋している様子で、「ほんま辛いな、これ…」、「まいった、激辛や、あかんわ…」などとぼつぼつ言いながら汗だらけになって苦戦している。ほとんど黙ったまゝ、耐えつつ食べ続け、ときどき、単語に単語を返す程度の、会話以前の会話を交わすともなく交わしているのを聞いていると、大阪にもこういう連中がおるんやな、としみじみ驚かされたのであった。あんたら、東京でもやっていける。大阪にいられんようなことあったら、東京に出てきい、と思う。
このふたりは、友人どうしだったからなのか、それでも大阪弁でしゃべりあっていたが、あちこちでこんなふうに大阪をフィールドワークし、諜報して歩いた結果としてわかってきたのは、大阪人たちがあまり大阪弁をしゃべらない、という驚くべき事実であった。仕事相手と話す場合や、店員と客との会話などでは、まず、だれも大阪弁などしゃべらない。これは、私には今回、驚天動地の大発見というべきことであった。あきらかに大阪人どうしの場合でも、大阪弁はナシなのである。どこかにNO OSAKA-BENとでも書いてあるんやろか、と見まわしたくなる。大阪のビジネスは、どうやら、まず使用言語からグローバル化してきている。どこの店に行っても、大阪弁で話しかけられたことはないし、こてこての大阪ふうのおっちゃんでも、ちょっとキレイなお店では標準語で話しはじめる。まァ、そういう人の場合、すぐに化けの皮ははがれるのだが、ともかくも出だしは標準語たらんとする。もちろん、店の人は標準語である。
たゞ、言葉づかいは標準語でも、イントネーションのそこここに大阪弁は滲み出る。こちらとしてはそれを聞きたくて大阪まで来てもいるのだから、あ、出た出た出た、と嬉しく思うものの、しかし、滲み出る程度で抑えて、あちらさんは標準語での飛行を続けていく。そんな風情を前にすると、こちらが偏見から作り上げていた大阪なるものがうすらいで、しかしすっかり消滅はせぬまゝにたゆたっていくのが感じられ、これはこれでひとつの情緒なのでもある。

東京人のなかには、大阪というのはなにかと下品で乱暴なところではないか、と思い込んでいるやからも多いが、これもまったく違っていたのがわかって大発見、というか、大確認であった。むしろ、だいたいの場合、大阪人のほうが繊細でていねい、人のこと、気ぃつこうてくれる、という感じがある。特に店などでは、なにかと気がきいて、客としては気分がいい。もちろん、いろいろな場合があるのだろうし、東京にだって気分のいい店はいっぱいあるのだから即断はいけないが、少なくとも、大阪がぞんざいだなどという偏見はすっかり捨て去らねばならないと思わされた。商人の土地として長い歴史があるのだから、大阪人が無意味に乱暴でありえようはずがないと考えたほうが理に適っているのだろう。商人がケンケンしていては話にならない。相手の気分をよくして、ひょいと買わせてしまうのでなければ、商人とは呼ばれない。そんな経験の厖大な堆積がある大阪が、武ばった関東以上に粗暴であろうはずはないのだ。

大阪では電車に乗るのに人が列を作らないとか、横断歩道の信号がかわるのが待ちきれないので、あとどのくらい待てばいいかを示すサインがあるものばかりだとか(これは最近、東京でも設置されるようになってきている)、席でも場所でも他人には譲らないとか、まことしやかな伝説がよく東京では話のネタにされたりするが、これらにしても、どれも嘘であった。電車を待つホームでは人は列を作って静かに待っているし、どのくらい待つかの信号サインも、どこにでもあるわけではない。地下鉄の中では、老人どころか、初老の人が入ってきただけで席を立つ青年たちをずいぶん見て、こちらが逆に驚かされたし、電車内が込んできたりすればちゃんと詰めたりする。むしろ、東京のほうがひどいことになっていると思わされたぐらいだった。
たまたま、東京に帰って来た夜、東京駅から乗った山手線で、若い男女の勤め人たちがドア口近くに立ってたむろしてしゃべっているのにいらいらさせられた。旅帰りの大きな荷物を携えて、どうにか連中の間をすり抜けて奥の方に入ったが、何人か後から入ってきた女性が癇癪を起したらしい。ぶつかるようにして連中を押しのけて電車に入り込んだのである。他の乗降客の邪魔になっているのも省みずにドア口でたむろして塞いでいる連中が悪いのだが、その中の若い女の子が「あ~ら、オバサン、こわ~い」と叫んだ。乗り込んだ女性は娘をにらみ返したが、それだけに留めて、なにも言わなかったし、しなかった。「オバサン」と言われたものの、見ると、この女性はせいぜい三十二、三程度である。彼女をオバサン呼ばわりした女の子は、おそらく二十二、三というところだろう。三十を越えた程度で「オバサン」呼ばわりされてはたまったものでないだろうな、と思いながら、こういうことは今回の大阪行では、まったくなかったなぁ、と思い返した。たまたま穏やかな環境に恵まれたのだといえばそれまでだが、しかし、ちょっと込んだ電車の中でも、その場に乗りあわせた人間たちのあいだで、空気は微妙に調整方向に流れていたのが大阪だったような気がする

大阪の人間が粉ものばかり食べている、というアレも、嘘である。そりゃあ、食べるだろう、三食食べる時間とちょっとズレた空腹の時などには。しかし、大阪に行ってなにを食べようかとあれこれ見てまわってみると、いわゆる粉ものとか、串カツとか、そんな大阪名物には大阪人は入って行かず、ふつうのちゃんとした和洋中の料理をしっかり食べようとしていることがわかる。粉ものの店に入るのはまずは観光客で、次には、そこらの店のおっちゃんたち。大阪のふつう勤めの人間たちは入らない。もちろん、家で作れるだけの器材も材料もあるということでもあるのだろうが、大阪人=粉もの等など、というバカげた公式は取り下げておくに越したことはないらしい。途中から、大阪ではまじめにちゃんとした料理を物色したほうがいいらしいし、それこそ大阪を愉しむ秘訣らしいと気づき、天王寺駅の地下街《あべちか》のビブロで『評判のうまい店500軒・大阪 なにわくいだおれ天国』(成美堂出版、2014年版)を買って、大がかりに検討し直して方向転換するに到ったほどだった。

大阪では、いろいろな店の男たちがやさしい、と思わされたのも忘れがたい。ハロゥインの仮装をした女の子たちでごった返すキタの茶屋町あたりでは、ちょっと空腹を癒すために〈大阪王将〉に入ったが、まかない飯を食べていた勤務外の男の子がずいぶん気を使ってくれた。餃子を焼いていたにいちゃんが、注文が入るたびに、「は~い、はい、は~いよ~」などといった調子のいい口調で応じていたのも楽しかった。新世界の有名な串カツ屋〈だるま〉では、たぶん高卒ぐらいだろうと思われる男の子たちが目の前で揚げていて、好奇心からそれを覗くと、時どき目があう。そのたびにニコッと笑うのである。むこうは商売とはいえ、見知らぬ若い男からこんなふうにニコッと微笑まれるというのもなかなかないことで、新鮮だった。ちなみに、彼が揚げてくれた中でも、特に餅の串カツ、エビやアスパラの串カツはうまくて、なるほど、串カツというものはこういう旨さなのかと発見させられた。餅の串カツの旨さは、ホント、大発見だった。
阪神梅田の地下の〈ぼてじゅう〉のおにいちゃんの感じもよかったし、梅田地下街の魚料理の〈とと屋〉の板前さんにもやけに丁重に扱われた。感じのよいのが偶然続いただけだとも言えるが、東京よりもヒット率は高い。個人的にこちらの感性が大阪に合っているということかもしれないが、それだけでもたいそうなことではある。

これぞという大阪弁を聞く機会を得たのは、大阪市立美術館に特別展『大阪の至宝』展を見に行った時だった。
見終えて、出口近くにいたら、雨がぱらついてきたらしいと人が話している。開かれた大きな扉のむこうを見ながら、外のようすを知ろうとしていると、出入口の整理係のおっちゃんが入ってきて、「雨やで。ややこしいことやで」と言って、係の女性たちに話しかけた。あゝ、出た、大阪弁の「ややこしい」だ、降り出した雨をめんどうに思うような時のこんな用法もあるんだ、と嬉しくなり、大阪の小旅の目的のひとつが遂行されたのを感じた。

係のおっちゃんが「ややこしいことやで」と言ったのか、「ややこしいわ」と言ったのか、「ややこしいで」と言ったのか、じつはちょっとうろ覚えで、私のつたない大阪弁の知識では、末尾につける助詞や助動詞(大阪弁の「で」は助動詞なのか、助詞なのか?…)のどれもが、こんな場合、はたして使用可能なかたちなのかどうかも怪しい。美術館を出てから、書店でさっそく名著の噂の高い『大阪ことば学』(尾上圭介、創元社)を買い求めて読み出し、東京に帰ってもしばらく大阪弁の世界にアタマはあり続けていた。国語学、とりわけ文法論専門の東大教授のこの本はさすがにみごとで、大阪弁に正面から取り組もうとする者にはかっこうの入門書だったが、この本によって開かれた大阪弁の興奮すべき新世界については、いずれ他の機会にメモしてみることもあるかもしれない。



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