2010年8月18日水曜日

ベストセラーときもの(6)  立原正秋『薪能』



  小説のなかで迎える夏も愉しい。作中人物がふさわしく装い、季節の空気のなかへ出かけていくさまの、あの心嬉しさ。
「昌子はかんたんな朝食をすますと、この夏こしらえたばかりでまだ手を通していない能登上布の麻の帯をしめ、日傘をさして九時すこしすぎに家をでた」。

 立原正秋は日本美に通じ、季節の味わいを愛でたが、小説での着物の的確な扱いにも長けていた。こんな時節、こんな時にはこんな着物を。そういう想像力において、あやまたない作家だった。生来の感性と好みと経験とが幸福な結びつきをしたのだろう。着物が出てくる箇所はふいに詩のようになる。なんども読み返し、人物が肌に感じている触感を確かめたくなる。

 よく知られているように、『薪能』は、狷介な血筋の旧家の従姉弟ふたりの滅びの物語である。戦死した父の娘、戦後殺された父の息子。ふたりともに母を離れ、姉弟のようにして、成人までを祖父の家に暮らす。能を愛し、一流の能楽師にも比肩しうるほどの舞いも披露した祖父、その心を土壌として育ち、かたや英文学者の妻、かたや若くして面打ちとなるが、時代にあわぬ血の絆は歳月とともに増し、鎌倉薪能の夕べ、「身のおきどころがない」のを苦しみ続けるふたりは、祖父の残した能楽堂での心中を選ぶに至る。

 日本の古典文学のほとんどが滅びを見つめた文学であるのを思えば、日本美を追求した立原正秋が滅びの大家だったことに不思議はない。が、滅びというのが本来、味わいの作法のようなものであったのを忘れるべきではない。古来、文学者たちは、季節や生の味わいが、滅びのイメージを通じて深められるのを知っていた。滅びを思う時、生の瞬間は煌めき、現在というものが鮮烈に五感に沁みる。フィクションである小説、劇、はてはオペラなどで滅びがくりかえし扱われるのも、いま在ることを味わい尽くそうという人間の心のたくらみというべきである。滅びを好む作家ほど、深い悦楽家でもあるものだ。

 昌子が夫の浮気現場で目撃するこのような情景はどうだろう。
「そこは三畳の控室で、壁に夫の夏背広がかけてあり、その下の衣桁かけに女物の絽の着物と単帯がかけてあった。昌子は珍しいものでもみるようにその絽の着物を眺めた(…)昌子は、奥の襖をあけた。そこに、明けはなした窓に青い簾をかけ、夏蒲団をかけた男と女が肩をならべてうつ伏せになり、煙草をのんでいた」。
昌子が被った心のひとつの滅びの瞬間というべき光景なのだが、いかにも適確な「絽の着物と単帯」ではないか。夫の愛人の着物でありながら、日本人みなに通底する美意識を湛えて、残酷にも美しくも、そこにある。「夏背広」や「明けはなした窓」の「青い簾」とのとりあわせも痛切で、この世に、日本人の誰もがいずれは置いて去っていく他ない日本の夏、その原形をみごとに定着した描写となっている。

 いよいよ心中という時には、作者はふたりに、このように装わせている。
「昌子は着てきた水色の綸子縮緬のまま帯だけとり、俊太郎は壬生時信が着ていた藍の結城紬に着替えていた。二人とも、ひもで両足首と膝をあわせてしばった」。
 小説の愉しさは、心中の場面でさえ、わが身のこととして思い描いてみることができるところにある。死に臨もうという時の綸子縮緬の肌ざわり、帯だけとった感触、水色で包まれた死後の自らの姿を想像してみるという、奇妙な愉しさ…… 男のほうの「藍の結城紬」、こちらのほうはどうだろう。まもなく来る死を迎えるにふさわしい着心地だろうか。
「入陽がさしこみ、後見柱と鏡板が燦爛と輝いた。やがて陽は二人の足もとに移り、まわりを茜色に染めあげた。このとき、昌子は俊太郎が打った最後の面孫次郎をつけ、俊太郎は、これもまた祖父の遺品である中将の面をつけた」。

 誰もが死んでいく、ならば、死のこのような迎え方はどうか、と作者は誘っているようでもある。フィクションの力、その醍醐味をよく知っている立原正秋は、ほとんどの人間にとって自由のきかぬ死にざまというものを、美しく水色と藍とで包みあげ、後世の日本へ残してくれたというべきであろう。




◆この文章は、アシェット婦人画報社「美しいキモノ」二〇一〇年夏号にも掲載された。
◆次の雑誌にも掲載された。
・駿河昌樹文葉「トロワテ」100号(2010年8月)
・THE MAIL 330(17/August/2010 by Masaki SURUGA)

1 件のコメント:

ton さんのコメント...

すごい。これがこのままの長さで掲載できればよかった