2010年8月18日水曜日

ベストセラーときもの(3)  菊池寛『真珠夫人』



『真珠夫人』といえば、なにより、こんな姿が目に浮かぶ。

「若い男性たちに囲まれながら、彼らを軽く扱っている夫人の今日の姿は、またなく鮮やかだった。青磁色の洋装が、そのスラリとした長身に、ピッタリ合っていた。極楽鳥の翼で飾った帽子が、その漆のように匂う黒髪を掩うていた。大粒の真珠の頸飾りが、彼女自身の象徴のように、その白い滑らかな豊かな胸に、垂れ下っていた」。

 二〇〇二年のフジテレビ系列で放映された昼ドラマがずいぶんと評判になったので、そちらのほうのイメージで記憶に留めている人が多いだろうが、元はといえば、菊池寛の一大通俗小説である。

 大正九年(一九二〇年)の六月から年末にかけて大阪毎日新聞、東京日日新聞に連載された小説ということで、さぞかし古色蒼然、退屈なお話なのでは、と敬遠するむきもあるかもしれない。ところがどうして、登場人物たちは生き生きしているし、性格はどれもくっきりと濃く、現代でもあまり出会えないようなドラマティックな仕上がりで、とにかく柄が大きく、たっぷりこってりとゴージャスな味わいのある、まさに通俗小説の面目躍如たる作品なのである。骨太でぐいぐいと読者を引っ張っていくストーリーは、日本の小説というより、欧米のサービス精神旺盛なしっかりしたエンターティメント小説に近い。

 ならば、登場人物たちの装いまでもがたっぷりと洋風かというと、さにあらず、意外なほどにきものの登場する場面が多い。時代を考えれば当然というべきかもしれないが、小説での描き方を見ると、菊池寛という作家はかなり、きものの美というものに敏感だったのではないかと思わされる。ピアノリサイタルに「淡彩に夏草を散らした薄葡萄色の、金紗縮緬の着物」で赴いたヒロインの瑠璃子が、「演奏が進むにつれて、彼女の膝の、夏草模様に、実物剥製の蝶が、群れ飛んでいる辺りを、そこに見えぬ鍵盤が、あるかのように、白い細い指先で、軽くしなやかに、打ち続けている」さまなど、きものの美に鈍感では描けない光景だろう。葬儀から帰って着替える瑠璃子には「深海色にぼかした模様の錦紗縮緬の着物に、黒と緑の飛燕模様の帯を締め」させたりする。十八、九の娘時代の彼女の装いに到っては、「目も醒むるような藤納戸色の着物の胸のあたりには、五色の色糸のかすみ模様の繍が鮮やかだった。そのぼかされた裾には、さくら草が一面に散り乱れていた。白地に孔雀を浮織にした唐織の帯には、帯止めの大きい真珠が光っていた」と描き出す。菊池寛という人、繊細な観察眼と美意識を持った、しゃれた心の持ち主だったというべきだろう。

 きものには不倫や悪徳がよく似合うもので、『真珠夫人』でも、ヒロイン荘田瑠璃子のまわりには、不倫や悪徳の匂いがぷんぷんしている。たしかに、運命の悪戯から夫とせざるを得なくなった金の亡者荘田勝平に徹底的な報復を行い、さらにあらゆる男たちを手玉に取って弄び、いたぶり尽くし、男性優位社会と金銭至上主義社会に対する報復の権化となって、妖婦と呼ばれ、「男の血を吸う、美しき吸血魔」とも称される彼女は、近代日本小説では、なかなかお目にかかれないようなアンチヒロインの域に達している。

 だが、不倫や悪徳を濃厚に匂わせながらも、そうした毒々しい雰囲気をこそ頑丈な鎧とし、じつはヒロインが、世にも稀な至上の純潔と貞節をみごと守り抜き切っていくというのが、この小説の核心である。瑠璃子は、金づくで自分を奪った夫などには一指さえ体を触れさせず、マリアージュ・ブラン(白い結婚。性関係のない結婚のこと)を貫いて、たったひとりの恋人への生涯の純愛を貫くのだ。

 こういう彼女が、じつは、きものの下の白い肌襦袢の「胴のところに、軽く裏側から別に布を掩うて」恋人の写真を縫いつけ、つねに肌身放さぬようにしていた、と作品の終わりで明かされるあたり、時代というものの描き込みもさることながら、つねにどこかに、真情や魂を込めて着るべき衣類としてのきものという、菊池寛の思いや祈りのようなものが、見てとれる気がする。


◆この文章は次の雑誌にも掲載された。
・アシェット婦人画報社「美しいキモノ」二〇〇九年秋号
・駿河昌樹文葉「トロワテ」95号(2009年9月)
・THE MAIL 278( 8/September/2009 by Masaki SURUGA)

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