2010年8月18日水曜日

ベストセラーときもの(5)  三島由紀夫『春の雪』



 いきなり慎みのない話題からはじめることはどうかと思われるが(これは他ならぬ三島由紀夫の『美徳のよろめき』の冒頭文そのもの。ちょっとお借りした)、これからはじめて抱こうという女性が、豪奢に「襲の色目に云う白藤の着物」で寸分の隙なく装っているような場合、どうしたらよいか。まして、男の側は未成年で童貞、草食系どころか、絶えず感情の矛盾や沸騰に内面を掻き乱されている徹底して面倒な夢想家タイプという場合は?
 三島由紀夫の最後の最大の傑作、『豊饒の海』の第一巻をなす『春の雪』の主人公松枝清顕の場合がこれである。

 相手は、宮家に嫁ぐことが決まった幼馴染の綾倉聡子。これまで姉のように清顕に接して来、親しみゆえの軽侮と愛情と誘惑とがない混ざった態度を、つねに彼にとってきた。
 聡子の肩に手をかけたはいいが、清顕はかたくなな拒絶の手ごたえを感じとる。もっとも、この拒絶、じつは清顕の好むところで、「絶対の拒絶」や「絶対の不可能」、「禁忌」などはみな、彼の精神的快楽の源泉。拒絶されるがままに、「聡子の庇髪の正しい櫛目のなかには、香気にみちた漆黒の照りが、髪の根にまで届いて」いるのを見たり、「月夜の森へ迷い込むような心地」がしてしまったりと、はやくもひとり陶酔境に入らんばかりだ。

 詳述する暇はないが、聡子との関係はいくらでもうまく進め得る機会があった。はじめて口づけして以来、聡子は清顕に素直に心を開き、そのまま順調にいけば結婚も可能だったはず。だが、「可能だった」という此処のところが清顕には気に入らない。「可能」や「順調」は、通俗な人間たちの有難がるもの。自分の恋愛や結婚が、そんな下等な概念に汚されてたまるものか。三島作品ではお馴染みの、優越願望と劣等感の嵐を抱える神経過敏な心の貴族なのである。

 待ってましたとばかりの好ましい「拒絶」に出くわして、俄然奮い立ち、此処ぞと接吻しようとする清顕なのだが、聡子のほうは「自分の着物の襟にしっかりと唇を押しつけて動かなく」なってしまう。相撲でいえば、がっぷり四つか。このあたりから、着物を描く三島の筆が冴え冴えとしてくる。

「夏薊の縫取のある半襟の、きちんとした襟の合せ目は、肌のわずかな逆山形をのこして、神殿の扉のように正しく閉ざされ、胸高に〆めた冷たく固い丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの鋲のように光らせていた。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさまよい出ているのが感じられた」。

 ともかく、帯を解かねば。が、「頑ななお太鼓が指に逆ら」う。と、そこへ「聡子の手」、「清顕の手の動きに強く抗しようとしながら微妙に」助けてくる。聡子のこの拒絶、協調、協同の悩ましさ。三島的エクスタシー湧出の基本的な布陣を整わせるべく「二人の指は帯のまわりで煩瑣にからみ合」っていくことに。「やがて帯止めが解かれると、帯は低い鳴音を走らせて急激に前へ弾けた。そのとき帯は、むしろ自分の力で動きだしたかのようだった。それは複雑な、収拾しようのない暴動の発端であり、着物のすべてが叛乱を起したのも同然で、清顕が聡子の胸もとを寛ろげようとあせるあいだ、ほうぼうで幾多の紐がきつくなったりゆるくなったりしていた。彼はあの小さく護られていた胸もとの白の逆山形が、今、目の前いっぱいの匂いやかな白をひろげるのを見た」。

 こうしながら、聡子の裾がめでたく開かれるところまで来る。「友禅の長襦袢の裾は、紗綾形と亀甲の雲の上をとびめぐる鳳凰の、五色の尾の乱れを左右へはねのけて、幾重に包まれた聡子の腿を遠く窺わせた。しかし清顕は、まだ、まだ遠いと感じていた。まだかきわけて行かねばならぬ幾重の雲があった」。

 まったくもってご苦労さまというところだが、甲斐あって、「ようやく、白い曙の一線のように見えそめた聡子の腿」に「清顕の体が近づ」くという仕儀に相成り候。なんだか、こちらまで儀式ばってきてしまう。
 不可能性や拒絶や禁忌という概念を狂愛した三島にとって、着物はそれらを装うに格好の煽情的衣装だったらしい。他人事だと思うなかれ。これが、われら日本文化の核心をみごとに掴んでいるのは、もちろん言うまでもない。



◆この文章は、若干の修正を加えて、アシェット婦人画報社「美しいキモノ」二〇一〇年春号にも掲載された。
◆次の雑誌にも掲載された。
・駿河昌樹文葉「トロワテ」98号(2010年3月)
・THE MAIL 313(12/March/2010 by Masaki SURUGA)

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