特攻隊にいて生き残った日本人たちと、特攻される側の軍艦にいて生き延びたアメリカ人の対面をテレビで見た。戦争から六十年以上が経ち、ともに、今では八十代に至った老人たちである。本音での回顧譚をする中で、かつての敵どうしは、お互いなんらかわりのない人間どうしだったとわかり、とくにアメリカ人側が抱いていた憎しみや恐れが解消されていったようだった。こういうのは、もちろん、悪い見ものではない。
元アメリカ兵にとっては、長い間、特攻隊を志願して突っ込んでいった日本兵たちが理解できなかったらしい。それが苦悩と恐怖の大きな部分となっていた。元特攻隊の老人たちに、どうして特攻を志願したのかと聞いていた。かつての上官だった日本の老人は、志願したのではなく、突っ込めと上から命令されたのだと答えた。他の老人の場合、志願するかどうかを問われた時に、強く望む、望む、否、の三種の回答が可能だったが、否などと答えられる雰囲気ではなかったと言った。
元アメリカ兵の老人たちを安堵させたのは、こうした発言である。上からの明らかな押し付けがあった。ひとりひとりの兵士たちには有無の言いようもなかった。特攻で突っ込んできた日本兵たちは、理解不能な怪物でも殺人機械でもなく、追い詰められた戦争の命令体系の中で発せられる指令の具体的な実現のかたちだった。これは、どんなに奇矯に見えるものであれ、戦争の通常形態であり、さらには一般社会のシステムの常態でもある。そう直観して、アメリカの老人たちは安堵したのかもしれない。これによって、若かった日本兵ひとりひとりが異常だったわけではなく、自分たちと同じ普通の青年たちが、上からの命令で異常な行動を強制されていたのだという合理化ができる。安堵とは、つねに成就された合理化である。
もちろん、これではなにも解決しないどころか、ここから本当の難問が始まるわけで、テレビを見ていて、過ぎ去った六十二年なるものはいったい何に役立ったのかと、暗澹たる思いになった。大戦争を経験した人々は、もちろん、二度と戦争を繰り返してはならないという教訓を唱える。そういう教訓が周知され、軍事的解決に向かおうとする国家の悪癖に対する方法的怠惰を、少しでも多量に発生させるのには少なくとも役立った、そう言おうとすれば、確かにそうは言える。しかし、国家規模での政治操縦論としては、これはあくまで消極的な手段に留まるものであり、六十二年という長い年月の産物としては貧困といわざるを得ない。
上からの命令で特攻に志願した、せざるを得なかった、という事実が明らかにされるのは価値のあることで、あれほどの大戦の中でのそうした事実が記録され積み上げられていくことは、人類的な遺産であるとさえいえる。しかし、事実や証言を掘り起こして記録するに留まっているだけでは、未来の生にむけて本当の価値を持つというには至らない。六十二年の間になにがなされるべきだったかは、明白なのである。人間社会において、愚劣な人間たちが命令系統を握ってしまった場合、それをいかに破壊し、その人間たちを排除するか、そこから発せられる命令をいかに無力化し、体制を、そこに属する人間たちのよりよい生存のためのいっそう合理的なものに速やかに転換するか。そうした学を深め、誰でも運用可能なまでに公式化する作業である。残念ながら、第二次大戦後の六〇年あまりの間に、この学が正しい方向に深められたとは思えない。排除されるべき人間たちが、自分たちの狭い既得権益を維持するために編み出す政治術はいっそう緻密になったが、権力破壊学としての、また、既得権益者排除学としての政治学は、まだ公共の知となるには至っていない。
こうした来るべき権力破壊学、既得権益者排除学の観点から見るかぎり、第二次大戦で日本人が得た最大の教訓は、巨大化しすぎた国内権力の破壊には、より強大な外国権力を衝突させればよいという一事に集約される。なんのことはない、古来からの戦争論の常道だが、大きく軌道をずれて動き続ける戦争機械(ドゥルーズ的な意味ではない)を破壊するには最良の方法であるし、唯一の方法でもある。「日本人」という呼称がともすれば隠してしまう悪平等を徹底して排除し、人格や才能や教養や創造力、さらには魂の純粋さなどからおのずと生まれてくるはずのよき差別の観点に立って、戦争当時いったいだれが日本人であったのか、日本人と呼ばれるべき日本人、生き残るべき日本人であったかを考えれば、連合軍の勝利は、どう考えても日本人の勝利そのものだった。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と続くなかで軌道を外れ、巨大化するばかりだった戦争機械との戦いを、十五年戦争時代のよき日本人たちは強いられていたと見たほうがよい。それが日本列島やアジアという枠からはじけ出し、世界に蔓延ろうとしたところで、外国からの救援を得るに至った。これが第二次大戦ということなのであり、おそらく数百年後、数千年後の学生たちは、眠い目を擦りながら、かつて存在したというニホンという国の遠い小さな戦争のレジュメを、このように習うことだろう。
直截に言えば、敵は、指示や命令を落としてくる「上」というものなのであり、権力なのであり、命令組織、命令系統なのである。課題は、かつての長い人類史においてそうだったように、未だに、こうしたものの破壊と変容をいかに速やかに、合理的、効率的に行うか、その学を公明正大に打ち立てるということなのである。
大がかりな知的挑戦といえるが、もちろん、もっと小規模なところから社会的実験が行われてもよい。かつて岸田秀は「集団においていちばん問題なのは、無能なリーダーをどのようにして排除するかということです」(「日本人と『日本病』」)と書いたが、無能なリーダーの蔓延している現代では、リーダー排除はあらゆる破壊学の実践練習として取り掛かりやすい。
もちろん、排除すべきは無能なリーダーなのであって、有能なリーダーは尊重されねばならない。有能なリーダーとはどんな人か。第二次大戦当時の太平洋艦隊司令官ウイリアム・ハルゼーの言葉を確認しておこう。
「どんな人物がすぐれた指揮官、すぐれた幕僚であるのか。これは容易には決めにくい。ただ、すぐれた幕僚であれば、どんな指揮官に対しても、その能力を最大限に発揮させうるようリードできるものだし、すぐれた指揮官もまた、それに対し、鋭敏な反応を示すはずである」。
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