2012年7月8日日曜日

7月6日首相官邸前デモ、ポシャる!




 7月6日金曜日の首相官邸前デモは完全な失敗だった。人数がさらに増えたとか、たいへんな盛りあがりだったとかいうツイートがいくつか出ていたが、まったくの嘘である。民主党野田セクトか、警察側か、東電側、あるいは情報操作を任されている大手広告会社の工作員によるデマツイートであろう。警察によって完膚なきまで去勢され、分断され、つねに安全第一の意識を共有する善良なる小市民と「皆様の警察」との麗しき合作としての夏祭りであった。屋台でも出ていれば、よほどお似合いだったに違いない。ホオズキや朝顔でも道行く人のポケットにさしてやれば、なかなか風流な夕景となっただろう。

 集結人数は、警視庁発表では2万1千人とのこと、先回よりも多くなっているが、怪しい。低く見積もりそうな警視庁発表において人数が増えているので、週を追うごとにますます盛んになってきていると思ってしまうが、こうした人数発表を警察が正確に行う必要は、そもそもない。正確でないことはとうにわかっている。なんらかの目的にむけて幾らでも操作もできる。先週よりも多く発表した意図はどこにあるか、と当然考えるべきだろう。警察のような組織に向けて、先ずとるべき理性的対応はそういうものである。
 主催者側での発表では15万人、それを横流しするかたちでマスコミにもその数字を出しているところがあるが、現場を歩いてきた実感では、「あれ?今日は3000人程度か?」という印象があった。

 国会議事堂前駅などで出口が封鎖され、メトロで来た人々が外に出られず、地下構内に閉じ込められ続けたという話は後で知ったが、国会議事堂周辺はとにかく閑散としたものだった。先週の6月29日の場合、国会議事堂の塀のまわりの道をぐるりと早足でまわって、首相官邸周辺の各地の集結状況を見てまわったものだが、今回は、議事堂まわりの道は警官たちによって全面封鎖されていた。誰も人は通っておらず、横断歩道を議事堂側に渡ろうとする時点で停止させられる。

 他方、首相官邸と内閣府の間の246号線は、山王坂で警官たちによって閉鎖され、官邸前デモなどという体裁はまったくなかった。官邸前に近づこうにも、はるか前方で閉鎖されてしまっているので、集まった人々は声を発するにも叫ぶにも、方向を定めづらくなっている。山王坂の衆議院第二議員会館の側の三叉路で人々は差し止めをくらっていて、しかも、デモ参加者は246沿いの歩道に並んでいてくれと誘導され、参議院西通用門あたりまで列を作っている。そうしながら、例の「さぃかどう、はんたい!」などの声を上げる人もいないので、雨に打たれながらの、いかにも静かな市民たちの行列なのである。

 そう、折しも雨で、小雨になったり、止んだり、激しくなったり、しかも大変な湿気で蒸し暑く、デモなどには来たくなくなるような晩だった。「人数が極端に少ないのは、この悪天候と蒸し暑さのせいかな…、いかにもニッポン人だよなぁ… しかも、大飯原発が再稼働されてしまった後となっては、プシュ―ッとガス抜きされちまったかな…」。べつに批判的な気持ちというわけでもなく、実景を目の前にしながら、しょうがないかなあ、しょうがないだろうなあ、人間だもの、と、相田みつをセンセなみに思ってみるのであった。(そういえば、相田みつをに癒されている間に、どんどん日本は悪くなってしまった、というツイートを見たことがある。秀逸だ)。

 しかし、「デモに参加される方は列を作って後に並んでください」とご丁寧な誘導を続ける警察や、それとまったく同じ言葉で誘導をする主催者側(?)の人々を見ていると、こちらの気分が逆にいらいらしてくる。
参議院議員会館の前あたりにいた警官たちに聞いてみた。「今日のこの様子はなんですか?どうして議事堂側に渡れないんです?なんでこんなに少ないの?これじゃ、デモっていうようなもんじゃないよね?」(警察と話すと、いつも急速にタメ口になっていく…)といった内容の質問をしたが、「国会はいろいろと忙しくて、今日は周辺にも近づけないんです」などと意味不明な返答をし、「確かに、これはデモなんかじゃないですね、もう…」と、警官の側でも、コリャ、ダメダネ、ポシャッタネ、と思っているらしい本音を漏らした。「ほんとだよねえ…」とこちらも返し、いかにもニッポン人どうし的な曖昧な笑いを交わしあって別れたが、とにかく、こんなところで素直に列を作って並んでいたってしょうがない、主催者側の頭数にされてもしょうがないし、警察側が管理しおおせた人数に含まれたってしょうがないと思い、とにかく今夜の全体像を見ようと思って、列を離れて国会議事堂を大きくまわって歩くことにしたのだった。

議事堂間近の歩道が閉鎖されているので、ぐるりを歩くとなれば、国会図書館側の歩道を行き、憲政記念館前から国会前洋式庭園、警視庁に抜ける国会前の大通りを渡り、今度は国会前和式庭園前を通り、衆議院第二別館のほうへ折れていくことになる。

ここで大きな集まりがあった。首相官邸方面にむけて行列があり、警察が並べたロードコーン(ラバーコーン)とコーンバーの内側に律儀に並んで待っている。この列の最後尾に並べば、デモに参加…ということになるのだろうが、そういうことはせず、並んでくださいと言われても聞かずに、いつも通りにどんどん前に進む。警察は、デモ参加者と違う通行人と思って、どんどん前に通してくれる。そうして、ようやく総理官邸前に着いた。ここでは行列は壊れ、歩道一面に人々が広がって、例の「さぃかどう、はんたい!」やら太鼓や鐘やらのドンチャンをやっていて、ようやくデモらしくなっている。先週のデモとは比べものにもならない小規模なものだが、それでも抗議行動らしい活気がある。

しばらくここで写真やビデオ撮影をしたり、場の空気を記憶に残すべく、耳を開き、たえず周囲を見まわし、すぐそばの警官たちの動きを観察したり、警察車両からのアナウンスを聞いたりし続けた。だいぶ時間が経った後で、それまで封鎖されていた246への横断歩道の通行が許可され、たくさんの人々とともに渡ったと思ったら、すぐに「今日の抗議は終了です。抗議は終了しました。速やかに解散してお帰りください」と警察側が拡声器で言い始めた。主催者側と思われる人々も、同じことを話している。「抗議は終わりました」、「抗議は終了しました」と拡声器を持っている警察官や主催者側の人たちが連呼する。20時になったのだった。なあんだ、うまいぐあいにデモをさせず、時間終了に持ちこませたというわけじゃないか。やられたな。警察側の勝ち、今夜は。そう思った。

それにしても、「抗議は終わりました」と警察がご丁寧に言ってくれるデモって、なんだ、こりゃ?…である。
 
 帰宅してからツイッターを見て驚いたのだが、先週を上回る大人数の集会となったとか、大成功だとか、たいへんな盛り上がりだったとか、そんなツイートがけっこうあり、首をひねった。おかし過ぎる。現場は、部分部分で小さな盛り上がりがあったものの、全体としてはシケタ文化祭の後夜祭のようなものだった。現場にいると人数把握はきわめて難しいもので、この夜に首相官邸から国会議事堂周辺に集まった人数がどの規模のものかはわかりづらいが、自分の足で主なポイントをまわってきた感触では、どうみても1万人は超えない。3千人さえ怪しいものだと思う。15万人などという主催者側の発表はおかしい。そんな数は断じてあり得ない。なにも、毎週大人数が来なくてもしかたないだろうし、週を追うごとに人数が増えていくという、数の増大へのいかにも資本主義的な固執をする必要もない。雨で蒸し暑く、再稼働もされてしまった後で、それに先週はいっぱい集まったのだし…と来なくなった人が多くても、それはそれでしかたがないはずだ。そういう週もあるさ、と思えばいいだけのことだろう。 
 警視庁側の発表も、じつはウソだったというニュースも出た。ヤフーニュースに並んだ《オルタナ》誌からの記事だが、警視庁広報課は一度も参加者数を発表したことはなく、マスメディアの捏造だったに過ぎない、というものだ*。しかも、記者クラブ内で各社が相互に調整して数を決めるので、ほぼ横並びの数字が報道されることになる、と。これが本当なら、どこまでもお見事なニッポン、というほかない。

 再稼働への反対表明や原発そのものへの反対表明を、怪我人を出さず、交通妨害も最低限に抑えて行うというのが目的だとすれば、警察の丁寧な会場整理が前面に出たこのような抗議行動でもいいのだろう。(いつのまにか、警察も主催者側も「デモ」という言葉を使わずに、「抗議行動」と呼ぶようになっていた。これは、つい先週には、あまりハッキリしていなかったことだが…)
 しかし、参加者がメトロの駅から出るや否や分断され、誘導され、しかも、国会議事堂周辺への侵入を完全封鎖され、「抗議行動参加者の方はここに並んでください」と警察に言われるまま、唯々諾々、律儀に平和に安穏に歩道の隅に行列する姿というのは、デモとしては完全に骨抜きされ、去勢され、警察の手中でいいように動かされるに到ってしまった、と見えてならない。マスコミの紙面やテレビ上での抗議手段を持たない人々が、抗議の意思を表明するためにプラカードや横断幕や旗を持って路上に出る、それだけでよい、それだけで十分な意思表示だという見方は、ようするに価値観と解釈の問題に入ることになるから一概には否定しないが、しかし、これほどまでにキレイに警察に管理され切ってしまうとなると、異常事態であると思える。ここまで来るとおかしい。それほど奇妙な静けさの国会議事堂周囲だったのだということは、来てみた人には、誰にも容易にわかっただろう。
 首相官邸前の抗議行動も、多少はマスコミに報道されるようになったし、後は警察とうまくやって、平和に継続さえしていけば、日本中へさらに広がっていくし、国民の意識も変わっていくだろう、…そういう目論見もわからないことはない。先回までは。
しかし、7月6日の「抗議行動」とやらは、すっかり警察の手中に落ちた、躾のよい良い子ちゃんたちの「いちおう、抗議してま~す!」という一夜になってしまっていた。

主催者側とやらの中心に、どうやら警察や公安が忍びこんでいたな。
まずは、こう考えるのが定石であろう。抗議行動はやらせる。しかし、徹底的にガス抜きし、抗議者の主体性を完全に奪い、各地で従順な姿勢を強い、殲滅収容所に方途なく向かう人々のように行列をさせて。ほら、我慢して一時間も立って待っていれば、首相官邸に近いところのポイントまで歩いて行けますよ。そうしたら、サィカドウハンタイ!を叫ぶなり、太鼓を叩くなり、シンバルやカスタネットを打つなり、NHKのど自慢なみにご自慢の無害なパフォーマンスをしていただいてけっこうですよ。ただし、お時間はほとんどないかもしれないですがねえ… こんな警察幹部の思惑が、湿った空気の中に染み出ているようだった。今回の参加者管理の巧みさによって、昇進できそうな連中もいることだろう。来週以降に失敗をしでかさない限り。

今月中にも、首相官邸周辺での集まりは、サィカドウバンザイ!と叫び出すのではないか、と思われてならない。小泉純一郎にフィーバーし、民主党誕生に狂喜したニッポン人たちのことは、すこしぐらい時間が経ったからといって、簡単には忘れられないものだ。安保闘争のプシューッというぐあいの急速な萎え方も、国民的記憶にはまだ新しい。なにせ、「夢みたいなことを言っていては飯は食えないですからね」という論理が最強のお国柄であるからにして、まぁ、結論はわかりきったようなものではある。じつは核兵器を準備していたという福島第一原発が、全国に拡大生産されるところまでいくことになるのだろう。ここは、忘れてならないが、骨の髄までコンフォルミスト、順応主義者の国なのである。何にでもいい、ちょっとでも大きな側に順応する。多少の芸風の違いはあるものの、先祖伝来のこの国の芸当である。
各地の抗議行動が、そう遠くないうちに、「みなさん、再稼働したからと言って、私たちは原発を認めるわけではありません。断じて反対です。かならず、原発は廃止していかねばなりません。…しかし、だからこそ、現時点では、再稼働に反対することに固執していても意味がないのです。本当の目的はなんでしょうか?地球上からの原発撤廃です。この国だけで原発を止めても仕方がないのです。そんな枝葉末節の議論をしていてはいけないのです… いま、日本の中の個々の原発を再稼働するかどうか、そんなことが問題ではないのです…」、こんなふうに話し出すのではないかと気が気ではない。
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』には、民衆を籠絡する演説のしかたの見事な見本が披露されている。ストラトフォードに行かなくてもシェイクスピア劇が路上で見られるようになってきたとは、どうやら、なかなか楽しい時代になってきたということなのかもしれない。われわれ観客としては、スゥイフトやラム、ボワロー、チェスタトン、シオラン、ニーチェ、古いところではモンテーニュ、エラスムス、さらに古くはキケロあたりの口吻を復習して、せいぜい厳しい劇評をするべく準備しておくべきだろう。そんな外国物を読むのはめんどくさいという向きには、もちろん花田清輝や金子光晴、石川淳がいる。…そうそう、宮武外骨も。




(註)
*このニュース記事は次の通り。
「今年3月から毎週金曜日、首相官邸前で開かれる「原発再稼働反対」デモの参加者数について、大手メディアが引用している「警視庁発表」の数字が実は存在しないことが明らかになった。
警視庁広報課は「各紙が持つ独自のルートで調べているのではないか」との見解を明らかにしたが、警視庁が発表していない数字を「警視庁発表」としたり、その数字の根拠が全く不明であるなど、報道モラルを大きく問われる事態に発展しそうだ。
首相官邸デモの参加者数については、直近の6月29日、7月6日の2回について、主催者側はそれぞれ「20万人、15万人」と発表した。
これに対して、大手新聞やテレビなど主要メディアは「警視庁発表」としてそれぞれ「2万人、2万1千人」と報じてきた。
メーデーなど大型デモの参加者数については、総じて主催者側が多めの数字を発表し、地元警察が少なめの発表をすることが多かった。
だが、一連の首相官邸前デモについて警視庁広報課は7月6日、「参加者数は安全面の問題から把握はしているが、一回も公表したことがない」ことを明らかにした。
同課の担当者は、各メディアが引用している「警察発表」という表記について「各紙が持つ独自のルートで調べているのではないか」と答えた。人数をなぜ公表しないのかという質問については、「答えられない」との回答だった。
問題は三つある。一つ目は、警視庁が発表していない数字を、あたかも「警視庁発表」と偽って報道していること。
二つ目は、誰がその数字を調べているのか、あるいは作っているのかという点。
三つ目は、発表されていないにもかかわらず、大手メディア各社がなぜ「横並び」で同じ数字を報じているのかという点だ。
新聞報道に詳しい、あるメディア関係者は「大手メディアで原発再稼動反対デモの記事を書いているのは、おそらく各社社会部の遊軍記者か、警視庁の公安担当記者。彼らが記者クラブ内で数字を『話し合い』で統一している可能性がある」と話す。
「その理由は、こうしたデモの参加者の数や、大事故の死亡者数が報道各社によって違うことを、各社の記者たちは非常に嫌う性質があるからだ」と分析している。
「特に、他社の数字と違うことを恐れるのは大手通信社の記者で、しかも大手通信社の記事配信による数字を引用しておけば責任を問われないと考える新聞やテレビのデスク(編集者)が多いため、二重の意味で数字の横並びが起きやすい」としている」。(オルタナS副編集長=池田真隆)




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