2012年7月3日火曜日

絆なし、連帯なしの首相官邸「大飯原発再稼働反対」デモ




6月29日金曜日、首相官邸周辺での「大飯原発再稼働反対」を旨とするデモの中に、現場に集まった人々の流れの中にいた。

絆などで結ばれてはいない人々、連帯など全くしていない人々が、ぽつぽつと単独に、個としてたくさん集まってきた、という印象があった。
デモを組織し、数カ月にわたって地道に行い続けてきたスタッフたちには、もちろん彼らの間の連帯も絆もあるだろう。そこへ外部から加わってきた人びとにも、家族や友人どうしという程度のつながりはあっただろう。しかし、7月に入って急に増えた参加者たちは、そうした絆や連帯につながっているわけではない。あれだけの多数の人々を首相官邸に呼び寄せたのは、今の日本社会の中での一個人として、とにかくなんらかの動きを示すほかないという切迫した感情に違いない。互いに他人であり、見知らぬどうしであり、もちろん趣味も考えも違っていて、多くの点で感受性も価値観も違っているだろう。そういう人々が、金曜日の夕方、仕事が終わってからわざわざ首相官邸に押し寄せなければならないと感じ、やってきた。そう見えた。
ここのところが画期的だった。絆なし、連帯なし。それでも、しかし、たくさん集まる。デモというものの性質上、即効性はないだろう。だが、長期的には、社会の中で孤立している個人たちの意識への浸透力は強いものになるだろうと思えた。政治も社会も、表面だけで成り立っているわけではない。水面下、地中というものがある。そのレベルで広がっていく類の現象が始まっていると感じた。

何人ほどが集まったのか、現場にいるとよくわからない。人は止まっておらず、たえず流れ続けている。後から後から来る。どんどんと進んで、歩き去っていく。そうかと思うと、ガードレールや塀ぞいに何層かになって立ち止まり、様子を見守る人々もいる。
比較的自分に近い、視野に入るかぎりの広がりの中で1万人ほどはいるのではないか、と思えた。目に入らない離れた場所もある。それらを入れると、3万人はいてもおかしくない。デモ終了後のニュースで報道ステーションでは4~5万人と見積もったが、これに近いかもしれない。警視庁発表では1万7千人だが、これは少な過ぎる。産経の2万人弱も、部分的な人数を数えた程度。主催者発表は15万人、TBSでは20万人、朝日新聞では15~18万人だが、そこまでいくと、はたしてどうか、盛り過ぎではないか、と疑問もわく。
いずれにしても、前の週の22日にあった同じデモの人数よりかなり増えたのは確からしい。22日の参加者は、警視庁発表で1万1千人ほど、主催者側やデモの参加者の側からの発表では4万人とも5万人とも伝えられていた。警察ふうの辛い数え方をしても、少なくとも6千人は増えたことになる。

 18時からデモが開始されるというので、永田町駅に18時過ぎに着いた。あたりの雰囲気を感じたり、次第に中心部へ向かいながら様子を見ていこうと思って、わざと、ぐるりと国会議事堂をまわり、遠まわりしてから首相官邸方面へ進んだ。夕雲のきれいな空には月が浮かび、ヘリコプターが数機飛んでいる。広瀬隆の手配したものがあれか、向こうのは岩上安身のか、などと思いながらデモの中心へ近づいていく。
明るいうちから人出は多かったが、まだ歩いて移動しやすかった。暗くなるにつれ、人数は急速に増え、歩道のデモの流れに身を任せ、向こう側の様子を見たりしているうちに、いつのまにか動きづらくなってしまった。
「さぃかどう、はんたい!さぃかどう、はんたい!」のかけ声が、進んでいく人たちからも、止まって見守る人たちからも発せられ続ける。これはシンプルでいい。「さぃかどう」と誰かが言うと、それに続いて他の人たちが「はんたい!」と付けて言える。簡単ながら、応答のかたちで声が続いていく。いろいろな言い方、太鼓の音とともに、あるいは笛の音とともに、生声で、拡声器でと、方々から発せられる。ペルーの笛のようなものを吹いている人もいれば、日蓮宗の団扇太鼓を叩いていく人たちもいる。
横断幕に「紫陽花革命」と書かれたものも散見されるが、手製の幟、プラカード、A3版からB4判やA4判程度のオリジナルな小ぶりのプラカードも多種多様、太字で明快なものから、ずいぶんと意匠を凝らした絵や文字もあって、よくもまぁ、たくさんの人たちが、各人、こんなに頑張って工作して…と驚かされる。小さい子たちをつれた若い夫婦も多い。短パン、Tシャツの若い父親が胸に赤ん坊を抱いて、子供の背にプラカードを持って歩いていたりする。お祭りの行進のように遅々として進まない流れに、逆に楽しくなってはしゃいでいる子たちもいる。制服姿の学生たちもいる。
集まった人びとは歩道にぐんぐん進み続けて、やがて身動きできなくなって…と、そのうち、車道にぽろぽろ出て行く人たちが増え始め、しばらくすると、警官たちが車道の車の流れを止めて迂回させ、人びとが車道に出られるようにしてしまった。昨年に新宿などのデモで見たのと違い、警官たちの言動は丁寧だし、デモ参加者たちの無事への配慮がまず感じられる。今回のデモが、左翼系や組合系の組織したものでないことが大きいのかもしれない。
どこを見ても、目立つのは家族づれであり、夏のシンプルな格好の女性たちであり、おばさん達であり、ワイシャツの仕事帰りの人々であり、とっぴな格好をしている人たちがいても、ここぞとばかりオメカシしてきたお祭り参加者といった様子である。外国人たちもぱらぱらと参加している。外国人ジャーナリストたちも縦横無尽に歩きまわっている。「再稼働反対!」のプラカードをつけて自転車で疾走していく人たちもいる。「再稼働反対!原発反対!」の文字を車体に描いてゆるゆる進んでいく車もある。進まなくなった車列の中で、周囲の「さぃかどう、はんたい!」にあわせて、クラクションを鳴らし続けるトラックもある。中には、「右から再稼働反対!」という右翼の自動車もあった。後で聞いたところでは、セックス・ピストルズのアナーキー・イン・ザ・U.K.をかけていたらしい。
平成24年の日本で、とりどりのこうした人びと、車、自転車、警官たちなどが一所に集結してひしめく光景というのは、これだけでも一見に値する。十分に事件である。
意味は後で考えればいい。解釈はいくらでもこねくり回せる。まずは見ておくこと、まずは現場にいること。そして、空気を感じ、野田佳彦が「大きな音だね」と評した、たくさんの人々が発し続ける声に、拡声器の声、楽器、太鼓、笛、クラクションまでが混じる、確かにたいへんな音響のかたまりの連続する2時間の中に身を置き、偏向報道しかしない新聞やテレビが報じる以前の、原風景そのものの一部になっておくことだ。

時間はすぐに過ぎ去り、20時になる。主催者側から、時間になったのですみやかに解散してください、との声が飛ぶ。あちこちの人びとがこれに従い、さっぱりと引きはじめていく。246ではなかなか人びとが引かず、集まっていたが、また来週に集まりましょう、との主宰者側からの呼びかけに答え、拍手が起こって、ようやくお開きになった。あとは、サ~ッと引いていく。あっさりというか、素直というか。

帰宅後、ツイッターなどを見ていろいろな意見を読むと、非暴力的でよかった、平和的でよかった、警察と衝突しないでよかった、などといった声がある一方、こんなヤワイ抗議をいくら続けても政府や電力産業体はビクともしない、首相官邸に突入すべきだった、これでは見くびられて、むこうの手中に落ちているだけ、といった意見も多く出ていた。

過激に政府機関への突入を行ってみても、今の段階ではその後が続かないだろう。警察はもちろん警備をさらに強化することになるだろうし、直接間接にいろいろな方法を用いて、デモそのものを阻止してさえくるだろう。実力行使を続けていくには物理的闘争の方法論や論理が必要だが、何十年ものあいだ平和ボケに徹してきた日本にあって、普通の「市民」や「国民」や「生活者」のひとりひとりの側にはそんな準備はない。求めるとすれば左翼の側へそれらを求めていくことになるが、そうなれば今回の動きを左翼運動に落とし込んでいってしまうことになろうし、左翼の側にしたところで、けっきょくは古い方法論しか持ちあわせがない。現政府に立てをつく動きを封じ込める論理と方法論の持ちあわせについては、いくら野ダメ政府とはいえ、「市民」側に比べれば政府側にやはり一日の長があり、容易に「市民」側は潰されることになろう。実効性が薄いとみえても、道路交通の安全の維持を旨とする当面の秩序維持を担う警察を尊重し、時間も限って、お利口に、秩序正しく、しかし、くり返し抗議行動を行っていき、そうしながら個人の意識レベルでの拡散と浸透を目指していくほうが、長いあいだには真の実効性を持っていくことになるだろう。
警察をデモ参加者たちに敵対させるのでなく、むしろデモ参加者たちのガードマンとして巻き込んでいくような抗議活動のあり方が、たぶん、今の日本では模索されるべきだろうし、そのほうが新しく、画期的でもある。ひろい共感も呼びやすい。

 とにかく、福島原発事故を受けて、―そこを起点として、(…本当は、沖縄の基地問題などをも起点としているはずであり、そうあるべきだが、…)、国民のうちの普通のひとりひとりの感情が、心が、各地で大きくゆらゆらと動きはじめているのは事実であり、それは手足を伴って行動をとり始めてもいる。政治家の世界とは違う、水面下や地中としての個人個人の政治意識、生活そのものとしての政治に、急な変貌が、ここへ来て、生じつつある。小泉純一郎や民主党のような輩に対して耐性を持った、いっそう騙されづらい政治意識が、ようやく個人個人の中に根を下ろす可能性を持ち始めているのか、…と、思っていいのか、いけないのか、まだわからないが…



(参考・6月29日当日のデモの模様)




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