2012年10月24日水曜日

純粋とはこの世でひとつの病気です

―吉原幸子の詩について






風 吹いてゐる
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
(「無題」)


雲が沈む
そばにゐてほしい

鳥が燃える
そばにゐてほしい

海が逃げる
そばにゐてほしい
(「日没」)


愛がこわい やさしさがこわい
かみつぶす思いの悔いがこわい
わたしをいのちに誘わないでください
(「祈り」)



すべての過去を共有しない限り
どんなふたりも
現在を共有することはできないのか
そんなにわたしたちはひとりぼっちか
(「共犯」)


せっかくふるへながら犯した罪が
お経ひとつで帳消しになってたまるものか
(「霊異記」)






……吉原幸子の詩をいまでも人は読むのだろうか。

一九三二年生まれの彼女はジャン・アヌイの劇に傾倒したというが、アヌイ劇もとうに人気を失った頃、彼女の幾つかの詩とエッセーと、そして写真と逸話に出会った。
詩集を数冊買い込み、脇に抱えて外に持ち出した。喫茶店でも読んだが、移動のさなか、とくに電車の中で、駅のホームで読んだ。他の現代詩人のものは古本や現代詩文庫で読んだのに、吉原幸子のものはもっと値の張るオリジナルの新品の詩集や作品集で、厚手の紙にちゃんと大きな字で刻印されたものを読んだ。一九八一年に出た『吉原幸子全詩Ⅰ・Ⅱ』(思潮社)をリアルタイムで買い、既知の作品を読み直した。
切れ味が鋭く、美人で、ようするに“かっこいい”人に見えた。

彼女にとって、詩は「いつも遺書のやうなものであった」という。
「詩は排泄だ」とも語っていた。
なるほどと思う。
スパッと潔い言葉だった。
男のではない、女の潔さ。
仮借ない自己追求を続けつつ詩作する人で、剃刀の刃の上での張り詰めた舞踏独演を見るようだった。

わたしの小さな光のために
まはりの闇が もっと濃くなる
わたしにはあなたがみえない
あなたのなかの闇がみえない

わたしの小さな光のために
わたしには わたしがみえない
わたしの流した白い血だけがみえる
(「蝋燭」)

 なにか言ってもなかなかわかってくれないような者たちに向かって、とにかく言い募ってやまない詩人。
そのように見えた。
言ってもわからない者たちのうち、もっとも手ごわい者たちは、じつは、彼女自身の中にこそいた。だから、彼女の詩はみんな、彼女の内面に向けて書かれていた。
第二詩集『夏の墓』のノートに記された「このひとりぼっちの相聞歌を、誰でもなく、誰であってもよい〈あなた〉に捧げる。そうして別れを告げる」という言葉も、もちろん彼女自身に向けられている。「別れ」ても「別れ」ても、「わたしは わたしの青い墓」(『愛』)だから、離れることはできない。体や心は死んで消えても、「わたしの墓」という自己認識のゆえに、「わたし」を捨て去ることはついにできない。死に切ったところで、果てにあるのが「墓」だからだ。

 彼女を「恋愛の詩人」(飯島耕一)と呼ぶのは定説となったが、吉原幸子が書き続けたのは恋愛の甘美さや幸福ではなく、一貫して、愛の不可能性やその不在だった。
 石原吉郎はこう書く。
「彼女が『愛』と呼ぶとき、それは、愛を除いたその他の一切をいみすることがある。すべてがある。ただ、愛だけが『愛』において不在なのだ。そのときたぶん、彼女は愛ということばによって愛そのものの不在へ賭けている」。
正確な読解というべきだろう。「恋愛の詩人」としての吉原幸子を考える際、出発点とすべき認識である。

傷のない愛などある筈はない だが
愛はないのだから 傷もある筈がない
ない空にない風船をとばした罪
ない恋人を抱いた罪
半分が終った
さうして残る半分は
わたしがそこにゐないことを
証明するための時間だ
とどかなかったナイフは ない
傷はないのだから わたしは ない
(「独房」)

 彼女のこのような恋愛方程式において、つねに「わたし」が重要な要素をなしていることも、もちろん忘れられてはならない。
「病的な〈嘘アレルギー〉」(『愛の終止符』)だったという石原吉郎にとっては、「純粋」というものも、吉原幸子のもうひとつの核心をなしていた。
「わたし」と「純粋」のふたつの極のあいだに彼女の「恋愛」は発生し、両極を焼きつつ、詩として刻印されていったのだ。

彼女にとっては、自分の外に位置する男たちよりもよほど、「わたし」と「純粋」のほうが危険な愛人たちだった。
「純粋とはこの世でひとつの病気です」(『オンディーヌ』)とはわかっていても、どうにもならない。

ハンスたちはあなたを抱きながら
いつもよそ見をする
ゆるさないのが あなたの純粋
もっとやさしくなって
ゆるさうとさへしたのが
あなたの堕落
あなたの愛
(「オンディーヌ」)

こう彼女が書く時、ここでは「あなた」は「わたし」のことを指しているが、問われているのが、じつは自らの「純粋」の去就のみであって、男たち全般を意味する「ハンスたち」など、内なる「純粋」の振舞いを照らし出すための反射板となっているに過ぎない。

わたしの小さな光のために
わたしには わたしがみえない
(「蝋燭」)

そうであったからこそ、必要とされたに過ぎない反射板。

「あなたの純粋」と「あなたの愛」は反射板からの照射の中に拮抗し続け、容易なことでは折り合ったりしない。融合したりはしない。
「純」と「愛」を安易に結びつけるのは吉原幸子の詩学ではなかった。
そもそも、このふたつの概念の本義からして、共立などありえないはずでもあった。

「愛」についてはもちろん、「純」についても、その他のすべての概念についても、なんでも緩く緩く受けとめることに慣れ切ってしまった後続の人間に、吉原幸子は、いつも、鋭い。痛い。
 彼女のほうへ、戻らねばならないか…
 進む時代は、もう、永遠に去ってしまったのでもあるし…



    他人(ひと)にも傷がある そのことで
    救われるときがある たしかにある

    でも 
    わたしの傷が 誰を救ふだらうか
(「非力」) 





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