2012年12月2日日曜日

日本人諸氏の健闘を祈る




すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。
まわっているけど、前進しない。
                      寺山修司



 国論を二分する問題とか、将来の日本国を左右する選択が迫られているとか…
 今こそしっかり政治と向き合え、と方々で声や声ならぬ声が上がっていて、なんだかなァ、と思う。

 小林秀雄が改造の懸賞で二等になった論文『様々なる意匠』、あの題名を思い出させられる。
世論も文芸界も思想界も「様々なる意匠」で喧々諤々していて、議論という点では豊かだったはずなのに、けっきょく日本は戦争に突入していったのだし、政治家ばかりか、庶民も、文学者も思想家も大学の先生たちも、だれひとりそれを止めることはできなかった。
 政治、社会、国家の未来… どんな言葉で呼んでもよいが、私という生身の一個人が生きている人的環境は、人権思想や民主主義や議会主義の長い展開の後でさえ、けっきょく「私」の望むとおりにはならない。なったことがない。私とて、社会にまき散らされている諸問題のあれこれについて、私なりの分析をしてみたり、解決策を考えてみたり、よりよい政策のようなものを夢想してみたりはする。それを、どこかで発言してみたり、熱くなってみたくもなるのだが…

しかし、…と思うのだ。
なんのための政治家たちだったか、なんのための代議制だったか、と。
さらには、なんのための専門家の先生たちだったのか、と。
あらゆる仕事が専門分化した近代社会において、各自ひとりひとりが自分の関わる分野や仕事に集中できるように敷かれたのが代議制であったのではないか、と。そのための代行者が政治家であり、役人であり、制度や運用をよりよくするために据えた政治・社会の諸事の専門家たちではないのか、と。

したがって、たとえば今後の原発政策の是非について、あるいは今後の国防のあり方について、今後の沖縄の基地について等など、もし、私がよく考え、発言し、さらには街頭に出て誰かを応援したり、主張したりしたならば、それは近代的な代議制政治を根本的に逆立させる行為ではないのか、と思われてならないのだ。
いや、本来そうした諸問題を扱うべき人間たち、専門家たちが、いま、怪しくなっているのだ、彼らの能力や質が疑わしくなっている、どうしても一般の国民の観察や批評や参加が(懐かしのアンガージュマンか?)必要だ、と言われるかもしれない。そもそも、社会参加、政治参加は近代人の義務であり、近代人はみな政治的人間であるべきであり…とも言われるかもしれない。
なるほど、重要な社会問題や、将来の国の運命を左右するような問題は、個人個人が考えに考え、そうして行動しなければならない…とは、ほうぼうで教えられてきたし、不覚にもというか、無思慮にもというか、そうすべきだと信じてきたフシもあるし、実際、そのように行動してきた場面もないではない…

しかし、…と思うのだ。           
社会や政治を十分に視野に入れて、しかるべき社会正義実現や発展のために行動すべく据えられて、それで収入を得ているような職種の人々の仕事を、どうして専門でもない私たちが手伝わないといけないのか、と。

他ならぬ福島の原発事故の現場に近い住民が、逃げようか留まろうか、将来の政策をどうしてくれろと考えようか、考えないで済ましておくか…、そんなことはもちろん切実な問題に決まっている。
しかし、少し離れて東京にいて、日々、自分のかつかつの生活のための仕事や用事に追われている一個人にとってみれば、原発問題や原発政策の未来について、いつまでも右往左往し、多様な情報を漁り続け、いちいちに立ち止まって判断し、分類整理し、意見に嘘がないか、思考に間違いがないかをチェックし、そうして同じ志を持つ集団のところに出かけて行ってさらに意見を聞き、自分も意見を言い、デモなりなんなりの行動に結び付けていくといった良心派や左翼やヒューマニスト推奨の行為は、儲からないどころか、自分だけに配分されている持ち時間やエネルギーをひたすら浪費していく行為である点、はなはだしいものがある。

こういうことを個人個人に避けさせるための近代分業制であったのではないか、と、思考は舞い戻り続けてしょうがないのだ。なにも近代分業制を称揚したいわけではないのだが、社会全体が分業を当然のこととして動き続けている以上、自分にとりあえず割り当てられた作業以外のことをすれば、その個体は大きな遅れと浪費を強いられ、損害を被ることになる点を看過するわけにはいかない。
シロウトの良心的市民たちが専門的な原発問題の勉強を慌てて俄仕込みでやってワアワア言いながらも、そこで発語されたなかなかにまっとうな意見も見解も決して専門家の世界にはしっかり取り入れられることはなく、現実の政策を動かすところまでも届かない。しかし、そうしている間に、原発の専門家たちは大学や研究機関から給料をもらい続けており、さらには方々のテレビや雑誌の頼まれ仕事を受けて臨時収入を増やしている。
善良にして勤勉なる市民たちは無給のボランティアと決まっていて、まあ、ご苦労さまでした、ということで時間は過ぎ、時代も過ぎていくというわけである。

本当の効果、有効さ、現実性という見地に立って、ほとんどの社会問題や政治問題を積極的にスルーする、という生き方を本気で考え直しておいたほうがいいのではないか。

ここに、社会や国家について重要な問題群があるとしてみよう。
それらが本当に重要であればあるほど、かならず、私よりも広く深い専門知識を持った人々がいるはずである。
私が、個人的な生活時間の暇を見つけてなにごとか考えてみるよりも、それら、専門家たちを戦わせて議論させたり、足の引っ張りあいをさせてみたほうが、よほど有効な結論に近づくのは火を見るよりも明らかだろう。
社会や国家は、そこで出てくる結論や、結論とまではいかずとも方向性に添って流れていったらよいのだし、そもそも、専門家でない私がいかに俄か研究を深めてなにごとかモノ申したとしても、どうせ誰ひとり聞きもしない。
もし問題群が、一見重要なようでも、本当はさほど重要でもないものであったとしたら、その場合にも、というか、その場合こそ、いよいよ専門家たちに任せておいたらいいということになるはずである。
重要ではないのだから、第一、私が関わる必要はない。専門家たちは、とにかく議論したり論を作っては修正したり壊しあったり批判しあったりして飯の種にしているのだから、そういう他人の業界内部の話に関わったり、微に入り細に入ったオタク論議に関わる必要は、私には全くない。
つまり、どちらの場合にも、私というひとりの心身は、マスコミやある種の問題焚きつけ趣味のある人々によって見かけ上重要と演出されたそうした問題群に関わる必要は、ない。問題に熱くなったり、声を上げたりしている間にも、二度と戻って来ない時間は流れていく。しかも、私個人のために使われず、浪費された時間として消滅していく。
もちろん、こういう事態もありうる。
専門家たちや、異常なほどに関心を持ってそれらの問題群に関わる物好きな人たちや趣味人たちといえども、なるほど私よりは広い視野を持って周到な考察を展開しているはずながらも、門外漢の私の目から見たら、ひょいと偏向しているとか、思考の道を誤っているというような場合が、それだ。たしかに、そうした事態を傍から批判するのは、個人の行動としては、ひょっとしたらなんらかの意味を持ちうるのかもしれない。
しかし、そうした批判を実効性あるものたらしめるには、批判の正しさだけではダメで、その批判を流通させ、それに力を持たせるような下地としての社会的な組織力が必要になる。とはいえ、そうした社会的な組織の下地には、つねにあらかじめ、資本を持つ者たちや偏向思想家たちが入り込んでいるもので、いかなる場合にもこちらの思うようには動かず、こちらの批判は機能しえないものなのだ。

こんなふうにつらつら考えてくると、私にとっての結論じみたものは、だんだんと出てくる。
ことが社会レベルや国家レベルの重大問題に関わる場合ほど、この私は何もしないでよい、という結論だ。
むしろ、私は、私しか問題視しないことを、私だけしか解決者がありえないような極端にマイナーな問題こそを扱い、それについて思考し、なんらかの解法に向かわせるべきではないか。
鈴木志郎康氏がかつて創造した言い方を借りれば、「極私的」テーマをこそ、いよいよこの時期に追及し、深めよ、ということかもしれない。これなくしては、国や社会の個人の内実が空洞化することにもなる。バーコードのついたコンビニ商品なみにどこにでも見つかる個性や感性や思考法ばかりしか備わらない、内実の空洞化した個人がいくら国や社会や未来を論じてみたところで、そもそもなんのための国や社会や未来かという話でもある。

以前からわかっていたことではあるのだが、よりにもよって、日本の最大の動揺期(かもね…)という時期にあたり、そろそろ、この点ではっきりした態度をとってもかまわない頃だろう。
すべての社会的、国家的、未来的…な気宇壮大な大問題という大問題を、私以外の専門家たちや心熱き人々、優れた知性の持ち主たち、そうでないとしてもとにかくワサワサと関わっていたい有意のけなげな人々に、私は私なりのちっぽけな勇気と決断をもって任せ切ろう、と思うのである。考えてみれば、これほど他者への敬意と、全幅の信頼に満ちた配慮と決意もあるまい。
日本人諸氏の健闘を祈る。本当に、衷心から。

 もちろん、気まぐれに、まったくのホビーから、定見もなく、ろくに考えもせずにどこかの党に投票したりするという無償の戯れをしてみる自由は、御愛嬌として、手もとに残しておきたいとは思うが…



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