2012年10月16日火曜日

経ってしまった時間、その向こう側からこちら側へ

                  ―森鴎外*『じいさんばあさん』について

  

癇癪持ちだった武士美濃部伊織は、せっかく、るんというよい妻を得て穏やかに暮らせるようになったというのに、単身赴任を申しつけられる。
赴いた先で、了見の狭い男にたまたま金を借りることになるが、この男のわざとらしい不愉快な言動に癇癪を破裂させて、切りつけてしまう。傷が元で男は死ぬが、このため武士は解任され、禁錮刑の一種である「御預」を仰せ付けられて、遠国の大名の下に留め置かれることになる。牢に閉じ込められたりはせず、預けられた先で剣術や手跡を教えて暮らすとはいえ、家族のいる江戸に帰ることもできず、自由な移動もできない。
三十七年もの歳月が、こんな状態のまま、過ぎていってしまう。
それでも、やがてお許しが出る。
江戸に戻る。
と、そこへ、長く御殿女中をしてから隠居していた妻が会いに行くのだ。そうして、仲睦まじい「じいさんばあさん」としての同居が始まる。

「とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍しげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなった。ところが、もう年が押し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反する、歳暮拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下がったばかりの、邸の主人松平左七郎に広間へ呼び出されて、将軍徳川家斉の命を伝えられた。『永年遠国に罷在候夫(まかりありそろおっと)の為、貞節を尽候趣聞(つくしそろおもむききこし)()され、厚き思召(おぼしめし)を以て褒美として銀十枚下し置かる』と云う口上であった」。

非常な爽快感のある作品なのだが、それは、どこから来るのだろう。
長い別離と空白、あるいは経ってしまった時間。そうしたものの後にも、人の絆が立ち消えにならず、維持されているということ。そこからだろうか。

経ってしまった時間というものは、若い鴎外にとって、物語を詠い出そうという時の重要な発想上の契機だった。
『舞姫』の「五年前の事なりしが」、『うたかたの記』の「六年前にこゝを過ぎて」、『文づかひ』の「十年ばかり前のことなるべし」など、もちろん、一九世紀後半のヨーロッパ短編小説の常套に則ったものではあるが、こうした時間的間隙がある場合のみ鴎外の物語は起動し得たのであり、彼の創作活動自体も、これによってこそ動き出すことができた。
むろん、デビュー当時の作品に見られる時間的間隙は、物語の主題をなす事件そのものの遠さを意味している。物語は、経ってしまった時間の向こう側にあり、起こった事件は取り返しがつかない。現在安定した境遇にある語り手は、事件を回想して感動や反省はするものの、その影響に現在の生活が晒されるということはない。

約二十五年後の『じいさんばあさん』では、しかし、事件の位置に移動が生じている。
主人公に三十七年の空白を課す刃傷沙汰は、むろん、極めて重い出来事には違いないが、この作品においては発端にすぎない。三十七年の「御預」期間もまた、素材にすぎない。『じいさんばあさん』を、まさに作品として成立させる事件は、「御預」期間が済み、三十七年の空白の後に出来するのである。
すっかり歳をとって「真白な髪」になった美濃部伊織の許へ、黒田家四代にわたる御殿女中を勤め上げて隠居していた妻のるんが、遅れることなく赴き、何事もなかったかのように、平穏なふたり暮らしを始める。これこそが事件なのであり、事件はこちら側で、経ってしまった時間のこちら側で起きているのだ。
しかも、過去の出来事によって別離や空白を余儀なくされた人物たちによる、積極的、意志的な、それでいて、構えのない自然体の姿から打ち出される事件。
これは同時に、経ってしまった時間のこちら側での、一見無抵抗とも思える超克が発明された瞬間でもあり、鴎外という事件の現場なのである。

 

*森鴎外、1862~1922年。津和野生。軍医としてドイツ留学後、翻訳、評論、小説など多方面にわたり、近代文学の基盤を築く。陸軍軍医総監、帝室博物館長なども歴任。




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