2012年10月21日日曜日

悲しささえもが観念である

―藤枝静男『悲しいだけ』について



三十五年間にわたって病魔に侵され続けた妻が、全身衰弱の後、とうとう息を引き取る。その葬儀の後で、こんなふうに書く男がいる。

〈「妻の死が悲しいだけ」という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。理屈が変わったわけではない。こんなものはただの現象に過ぎないという、それはそれで確信としてある。今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。〉                       
(『悲しいだけ』)

 藤枝静男である。
 三十九年間にわたる結婚生活のうち、彼は妻の病(肺結核、乳癌、癌性腹膜炎)に三十五年間付きあい続けた。
そればかりでなく、療養所に入院している妻の見舞いを描いた一九四七年の処女作『路』以来、一九七九年の『悲しいだけ』でその死を描くまでの三十二年間、つねに作品の中心テーマとしたわけでなくとも、ずっと妻の存在を創作行為の底に抱えてきた。
ついでに添えておけば、この眼科医は、家族の貧困、結核、淫蕩な血、「漠然たる正義感」の問題や妻の病を引き受けつつ、リアルで明晰な幻想性を確立した作家として記憶されている。一九〇七年、静岡県藤枝生。一九九三年没。
妻の病に添い続けた長い労苦の時間にたいして、ことさら「純愛」などという名を冠してみる必要はないにしても、世間一般の「純愛」をして顔色なからしめる性質が、藤枝静男の人生と作品にあるのは確かだろう。

 生きていく上でも、創作上も、性欲というものが彼にとって大きな問題だったことはよく知られているが、この点でも藤枝は、世間の「純愛」に対してはるかに優越している。というのも、性欲の凝視を経ていない「純愛」など、もとより滑稽な思い込みに過ぎないはずだろうから。
恋愛対象への意識の傾きが、「純愛」と呼ぶほどのものなのか、それとも単に性欲と呼んでおけば済むものか、あるいは気晴らしなのか。
一見、「純愛」という言葉ほど藤枝静男から遠いものはないのだが、それは、「純愛」が最後の最後に来る言葉だということを彼がよく知っていたからである。「性欲」や「執着」や「遊び」や「気まぐれ」、あるいは「血」。たいていの恋愛感情は、これらで説明がついてしまうのではないか。彼の厳格この上ない凝視は、いいかげんな観念が内心に揺曳するのを許さなかったのである。

しかも彼は、そうした内的な検討に留まらず、追求が、生活や身体へと現われ出るのを求めた。
『木と虫と山』で、主人公に仮託して藤枝はこう書いている。
〈ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう恰好でやったか、やらなかったか、または病苦や肉親の死や飢えをどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである〉。
「肉体精神運動の総和」として「思想」を捉える以上、時間の長さは当然重要なものとなるし、時間の中での行為や思いや逡巡や思索ももちろん重要だろう。あらゆる観念を呵責なく凝視し、粉砕してきた彼が、「純愛」という観念だけを特別扱いしたはずもないのである。

『悲しいだけ』では、もちろん、妻の死が描かれているように見え、ひいては妻のことが描かれているように見える。
しかし、注意してみれば、彼が言及するのは妻やその死そのものではなく、妻の「死」という観念であったり、死の時の「光景」であったり、妻が「わたしはこのお墓に入るのはいやです」と言った「瞬間」であったりしている。
おそらく「光景」や「瞬間」も、観念として見直すべきなのだろう。
〈『妻の死が悲しいだけ』という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している〉。
そう彼が書く時、悲しささえも観念として捉えられている。

彼が行っているのは、おそらく、単なる哲学的な戯れではない。
出来事の生起、経験、生、それらの認識、記憶、想起、さらには「思想」へのそれらの練り上げ過程の実相への執拗な観入が、藤枝静男という「運動」だったのである。




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