2012年10月24日水曜日

純粋とはこの世でひとつの病気です

―吉原幸子の詩について






風 吹いてゐる
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
(「無題」)


雲が沈む
そばにゐてほしい

鳥が燃える
そばにゐてほしい

海が逃げる
そばにゐてほしい
(「日没」)


愛がこわい やさしさがこわい
かみつぶす思いの悔いがこわい
わたしをいのちに誘わないでください
(「祈り」)



すべての過去を共有しない限り
どんなふたりも
現在を共有することはできないのか
そんなにわたしたちはひとりぼっちか
(「共犯」)


せっかくふるへながら犯した罪が
お経ひとつで帳消しになってたまるものか
(「霊異記」)






……吉原幸子の詩をいまでも人は読むのだろうか。

一九三二年生まれの彼女はジャン・アヌイの劇に傾倒したというが、アヌイ劇もとうに人気を失った頃、彼女の幾つかの詩とエッセーと、そして写真と逸話に出会った。
詩集を数冊買い込み、脇に抱えて外に持ち出した。喫茶店でも読んだが、移動のさなか、とくに電車の中で、駅のホームで読んだ。他の現代詩人のものは古本や現代詩文庫で読んだのに、吉原幸子のものはもっと値の張るオリジナルの新品の詩集や作品集で、厚手の紙にちゃんと大きな字で刻印されたものを読んだ。一九八一年に出た『吉原幸子全詩Ⅰ・Ⅱ』(思潮社)をリアルタイムで買い、既知の作品を読み直した。
切れ味が鋭く、美人で、ようするに“かっこいい”人に見えた。

彼女にとって、詩は「いつも遺書のやうなものであった」という。
「詩は排泄だ」とも語っていた。
なるほどと思う。
スパッと潔い言葉だった。
男のではない、女の潔さ。
仮借ない自己追求を続けつつ詩作する人で、剃刀の刃の上での張り詰めた舞踏独演を見るようだった。

わたしの小さな光のために
まはりの闇が もっと濃くなる
わたしにはあなたがみえない
あなたのなかの闇がみえない

わたしの小さな光のために
わたしには わたしがみえない
わたしの流した白い血だけがみえる
(「蝋燭」)

 なにか言ってもなかなかわかってくれないような者たちに向かって、とにかく言い募ってやまない詩人。
そのように見えた。
言ってもわからない者たちのうち、もっとも手ごわい者たちは、じつは、彼女自身の中にこそいた。だから、彼女の詩はみんな、彼女の内面に向けて書かれていた。
第二詩集『夏の墓』のノートに記された「このひとりぼっちの相聞歌を、誰でもなく、誰であってもよい〈あなた〉に捧げる。そうして別れを告げる」という言葉も、もちろん彼女自身に向けられている。「別れ」ても「別れ」ても、「わたしは わたしの青い墓」(『愛』)だから、離れることはできない。体や心は死んで消えても、「わたしの墓」という自己認識のゆえに、「わたし」を捨て去ることはついにできない。死に切ったところで、果てにあるのが「墓」だからだ。

 彼女を「恋愛の詩人」(飯島耕一)と呼ぶのは定説となったが、吉原幸子が書き続けたのは恋愛の甘美さや幸福ではなく、一貫して、愛の不可能性やその不在だった。
 石原吉郎はこう書く。
「彼女が『愛』と呼ぶとき、それは、愛を除いたその他の一切をいみすることがある。すべてがある。ただ、愛だけが『愛』において不在なのだ。そのときたぶん、彼女は愛ということばによって愛そのものの不在へ賭けている」。
正確な読解というべきだろう。「恋愛の詩人」としての吉原幸子を考える際、出発点とすべき認識である。

傷のない愛などある筈はない だが
愛はないのだから 傷もある筈がない
ない空にない風船をとばした罪
ない恋人を抱いた罪
半分が終った
さうして残る半分は
わたしがそこにゐないことを
証明するための時間だ
とどかなかったナイフは ない
傷はないのだから わたしは ない
(「独房」)

 彼女のこのような恋愛方程式において、つねに「わたし」が重要な要素をなしていることも、もちろん忘れられてはならない。
「病的な〈嘘アレルギー〉」(『愛の終止符』)だったという石原吉郎にとっては、「純粋」というものも、吉原幸子のもうひとつの核心をなしていた。
「わたし」と「純粋」のふたつの極のあいだに彼女の「恋愛」は発生し、両極を焼きつつ、詩として刻印されていったのだ。

彼女にとっては、自分の外に位置する男たちよりもよほど、「わたし」と「純粋」のほうが危険な愛人たちだった。
「純粋とはこの世でひとつの病気です」(『オンディーヌ』)とはわかっていても、どうにもならない。

ハンスたちはあなたを抱きながら
いつもよそ見をする
ゆるさないのが あなたの純粋
もっとやさしくなって
ゆるさうとさへしたのが
あなたの堕落
あなたの愛
(「オンディーヌ」)

こう彼女が書く時、ここでは「あなた」は「わたし」のことを指しているが、問われているのが、じつは自らの「純粋」の去就のみであって、男たち全般を意味する「ハンスたち」など、内なる「純粋」の振舞いを照らし出すための反射板となっているに過ぎない。

わたしの小さな光のために
わたしには わたしがみえない
(「蝋燭」)

そうであったからこそ、必要とされたに過ぎない反射板。

「あなたの純粋」と「あなたの愛」は反射板からの照射の中に拮抗し続け、容易なことでは折り合ったりしない。融合したりはしない。
「純」と「愛」を安易に結びつけるのは吉原幸子の詩学ではなかった。
そもそも、このふたつの概念の本義からして、共立などありえないはずでもあった。

「愛」についてはもちろん、「純」についても、その他のすべての概念についても、なんでも緩く緩く受けとめることに慣れ切ってしまった後続の人間に、吉原幸子は、いつも、鋭い。痛い。
 彼女のほうへ、戻らねばならないか…
 進む時代は、もう、永遠に去ってしまったのでもあるし…



    他人(ひと)にも傷がある そのことで
    救われるときがある たしかにある

    でも 
    わたしの傷が 誰を救ふだらうか
(「非力」) 





2012年10月21日日曜日

悲しささえもが観念である

―藤枝静男『悲しいだけ』について



三十五年間にわたって病魔に侵され続けた妻が、全身衰弱の後、とうとう息を引き取る。その葬儀の後で、こんなふうに書く男がいる。

〈「妻の死が悲しいだけ」という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。理屈が変わったわけではない。こんなものはただの現象に過ぎないという、それはそれで確信としてある。今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。〉                       
(『悲しいだけ』)

 藤枝静男である。
 三十九年間にわたる結婚生活のうち、彼は妻の病(肺結核、乳癌、癌性腹膜炎)に三十五年間付きあい続けた。
そればかりでなく、療養所に入院している妻の見舞いを描いた一九四七年の処女作『路』以来、一九七九年の『悲しいだけ』でその死を描くまでの三十二年間、つねに作品の中心テーマとしたわけでなくとも、ずっと妻の存在を創作行為の底に抱えてきた。
ついでに添えておけば、この眼科医は、家族の貧困、結核、淫蕩な血、「漠然たる正義感」の問題や妻の病を引き受けつつ、リアルで明晰な幻想性を確立した作家として記憶されている。一九〇七年、静岡県藤枝生。一九九三年没。
妻の病に添い続けた長い労苦の時間にたいして、ことさら「純愛」などという名を冠してみる必要はないにしても、世間一般の「純愛」をして顔色なからしめる性質が、藤枝静男の人生と作品にあるのは確かだろう。

 生きていく上でも、創作上も、性欲というものが彼にとって大きな問題だったことはよく知られているが、この点でも藤枝は、世間の「純愛」に対してはるかに優越している。というのも、性欲の凝視を経ていない「純愛」など、もとより滑稽な思い込みに過ぎないはずだろうから。
恋愛対象への意識の傾きが、「純愛」と呼ぶほどのものなのか、それとも単に性欲と呼んでおけば済むものか、あるいは気晴らしなのか。
一見、「純愛」という言葉ほど藤枝静男から遠いものはないのだが、それは、「純愛」が最後の最後に来る言葉だということを彼がよく知っていたからである。「性欲」や「執着」や「遊び」や「気まぐれ」、あるいは「血」。たいていの恋愛感情は、これらで説明がついてしまうのではないか。彼の厳格この上ない凝視は、いいかげんな観念が内心に揺曳するのを許さなかったのである。

しかも彼は、そうした内的な検討に留まらず、追求が、生活や身体へと現われ出るのを求めた。
『木と虫と山』で、主人公に仮託して藤枝はこう書いている。
〈ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう恰好でやったか、やらなかったか、または病苦や肉親の死や飢えをどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである〉。
「肉体精神運動の総和」として「思想」を捉える以上、時間の長さは当然重要なものとなるし、時間の中での行為や思いや逡巡や思索ももちろん重要だろう。あらゆる観念を呵責なく凝視し、粉砕してきた彼が、「純愛」という観念だけを特別扱いしたはずもないのである。

『悲しいだけ』では、もちろん、妻の死が描かれているように見え、ひいては妻のことが描かれているように見える。
しかし、注意してみれば、彼が言及するのは妻やその死そのものではなく、妻の「死」という観念であったり、死の時の「光景」であったり、妻が「わたしはこのお墓に入るのはいやです」と言った「瞬間」であったりしている。
おそらく「光景」や「瞬間」も、観念として見直すべきなのだろう。
〈『妻の死が悲しいだけ』という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している〉。
そう彼が書く時、悲しささえも観念として捉えられている。

彼が行っているのは、おそらく、単なる哲学的な戯れではない。
出来事の生起、経験、生、それらの認識、記憶、想起、さらには「思想」へのそれらの練り上げ過程の実相への執拗な観入が、藤枝静男という「運動」だったのである。




2012年10月20日土曜日

レンアイと「性交」のドサまわり

     ―高橋源一郎『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』について




いまは昔、純愛文学をあつかって論評する企画に呼ばれたことがあり、その時に割り振られて手こずった作品のひとつに高橋源一郎『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』があった。
気取って文学に接していたい人たちなら、とりあえずは眉をしかめたくなるようなお下品なえげつない作品集ではあるが、世間の猫かぶりを暴くのを身上とするこの作家らしく、狙いはけっこう純情であり、生きとし生ける人間の誰もが避けようもない性の21世紀的現実を侘しく、せつなく、ちまちまとした卑小な光景そのままに露呈させる中短編集となっていた。『さようなら、ギャングたち』で登場以来、この作家の身上は、実体から乖離させた言葉こそが持つ機能をフルに生かし、小説の既成服を果敢に脱ぎ続ける文芸ストリッパーたるところにあると思われるが、AV俳優になっていく「短小で包茎の引きこもりの男」と「ブスでデブの冴えない女」、幼児性愛者の欲望の微妙さ、チンパンジーがセックスを続ける前で少女と出会う「終わった」男など四話からなるこの本も、そうした持ち味のいかんなく発揮された作品集だった。

 読者と世間を舐め切った捨て身のいい加減さがよく発揮された高橋源一郎の書くものは嫌いではないし、なにより、下品なものやえげつないものは大好きなので、それなりに楽しんで読んだものの、困ったのは、この本に溢れた侘しい貧相な現代日本の性の現実に、「純愛」というテーマをどう接続してもっともらしい論評をでっちあげるかだった。
  誰もが知るように、文芸の企画ものの批評や論評など、単なるもっともらしいでっちあげの産物以外の何ものでもない。儲けたくて、ついでに世間を騒がせたい、耳目を惹きたいという貧乏な出版社と編集者と文芸趣味の幾たりかが集まって一場の泡の夢を見る。そんなところに文芸ものの批評本などはでっちあげられていくのであり、これはこれで、いかにも貧相な、侘しい、蛍光灯の下の血色の悪い面々のようなえげつなさに満ち満ちた企てで、高橋の描いた蛍光灯的性交風景といかにも近似しているのだが、まあ、これは別の作家に別の本として描いてもらうべき課題だろう。
その企画では、まず作品の中から特徴的な部分を引用し、その後、作品全体の紹介もすれば、面白味の提示もしつつ、かつ、批評にもなっているような字数の限られた文を書くということになっていたので、ともあれ、こんな引用から始めたものだった。東南アジアで児童買春に明け暮れる男を描いた小説の一部である。

〈もっとも最近、わたしの相手をしたのはT**という九歳の少女だった。わたしはその街にいた一週間の間、ずっとT**と一緒だった。わたしは途中で相手を変えたりはしない。
残念ながら処女ではなかったが、何人かの候補の中でいちばん気に入ったのがT**だった。T**はなかなか情熱的だった。誰に教えられたのか、セックスの前には、必ず、わたしの顔を両手ではさんで見つめ、セックスの最中には、やはり両手でわたしの背中を軽く叩いた。それが癖のようだった。
T**は、小さく、細く、六歳ぐらいにしか見えなかったが、穴の具合はきわめて良かった。極楽だった。滅多にないことだが、精神的だけではなく、わたしは肉体的にも大きな満足を得た。
夜に一度、夜中に一度、挿入した。欲望に果てはないようだった。 
 明け方、わたしはまた、T**を抱いた。T**は、いつものように、わたしの顔を両手で挟もうとした。しかし、わたしはそれを許さなかった。わたしは、小柄なT**の軀を裏返し、後ろの穴に挿入しようとした。それでも、T**は、なんとか軀をねじって、わたしの顔を両手で挟もうとしているようだった。おそらく、それはT**にとって、欠かすことのできない儀式の一つだったのだろう。わたしは、T**の腕を押さえて、髪を掴み、後ろから強引に挿入した。わたしは、T**の怯えた顔をはじめて見た。自分が欲望の対象となるということがほんとうはどういうことなのか、その時までT**は理解していなかったのだ〉。
                                    (『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』)

 見事な個所で、幼児娼婦とのセックスの際に起こりそうな場面のうち、暴行というほどの荒々しい行為などなしに表出される残虐さがよく描き出されている。「わたし」の顔をはさんで見つめることから始めることで、相手の挿入・射精行為を性行為に昇華し、さらにはおそらく、自分と相手と神とを結ぶものとしての聖なる行為にまで高めようとするT**の意思をいとも簡単に無視し、逸らし、こちらの欲望の排泄穴に単に肉が付き、手足が生え、頭が乗ったという程度の器機として「わたし」はT**を扱う。ここに、「わたし」のいっそう強烈な高次の快楽が弾けるであろうことは想像に難くない。相手の感傷を、文化を、祈りを、あらゆる過去をひそやかな身振りで破壊し去ること以上の快楽は人間存在には他にないからである。
  
 例の文芸企画においては、ともあれこの引用で、読者の心に、衝撃と、劣情と、興味とが起こることを期待しながら、「純愛」というあらずもがなのテーマになんとかムリに結びつけるべく、次のような作文にとりかかったものだった。

〈概して「性交」にまつわるディティールを迂回しがちなのが、とりあえずは「純愛」というものだろう。もちろん、夫婦の「純愛」や、一定期間にわたって安定した関係を継続させている男女の「純愛」の裏には、慎ましやかで謙虚な「性交」があるはずなのだが、露骨にはそれに触れないことによって、「純愛」なるものの雰囲気というのは醸し出されてくる。
 しかしながら「純愛」が、虚栄に満ちた自意識と、性欲に突き動かされ続ける肉体とを備えた個人どうしの間に発生するものである以上、「純」という形容にはどうにも相応しくないような、後期資本主義的気晴らしとでも呼ぶべきレンアイが絶えず付きまとってくるのは自明のことであるし、「純」どころか「レンアイ」からさえも逸れて「性交」へと突き進む欲動も、人心の内で、つねに虎視眈々と祭りの機会を狙っている。ならば、あえて出発点を「純愛」に置かず、レンアイや「性交」に置いてみたら、現代日本の人間像はどのような姿で網にかかるか。なにより、あまりと言えばあまりの「純愛」の欠落によって際立つ高橋源一郎のこの小説集は、そんなプランにもとづく企てに見える。
 この企てに取り組む高橋には、ひとつ、はっきりとした姿勢がある。レンアイも「性交」も、物語的キレイさや快適さや夢想を保証してくれがちな大空へは、けっして飛翔させないということだ。もちろんハーレクイーンさせず、『愛のコリーダ』もさせず、退嬰的な心地よさへと誘うピンク映画路線も否定する。いわば、既成のドラマ性によって安易に救済されてしまうような道をかたくなに禁じて、徹底してレンアイと「性交」にドサ回りをさせようとするのだ。この小説集が、とりあえずの名前をつけられた作中人物たちの物語集である以上に、大文字のレンアイと「性交」という主人公ふたりを、達成も栄光も悟りも当面ありえないであろう過酷な探求の旅へと押し出した瞬間を記念する、一見時代錯誤的な、しかし実際にはいかにも現代にふさわしい寓話となったのは、このためなのである(いつの間にか現代が、寓話によってのみかろうじて把握されうる時代になってしまっていたのを、我々は失念しがちであるが…)。
「性交と恋愛にまつわる」領域が、イメージの氾濫とナンデモアリの言説の洪水(もちろん、いずれにも偏向と操作がふんだんに施されてしまっているが、唖然とするほどワンパターンではある)、積む金額に応じていくらでも「射精」と「挿入」が可能になってしまったこの時代(「性交」とは所詮「射精」と「挿入」のことに過ぎないではないか云々といった感慨へと導く強力な思考誘導付き)にあって、われらがヒーローふたり、レンアイ君と「性交」さんは、とうに追放されていたエデンの園へ戻ろうとするのか、それとも、覚悟をきめて未知の新たなステージへ到ろうとするのか。「性交と恋愛にまつわる」領域の地勢学に多少とも通じる者の目には、どんな道が辿られるにせよ、遠からずレンアイと「性交」が、ふたたび「純愛」という磁場に足を踏み入れざるをえないであろうことは、火を見るより明らかなことというべきだろう。
「不幸が極まった時、神は不在として現われる」とシモーヌ・ヴェイユは言ったが、現代における「純愛」の事情、そして、まさに日本文学の現代を意味する「高橋源一郎」における「純愛」の事情は、ここに言われる「神」によく似たところがある。お定まりの既成の純愛物語レシピを書庫からさがし出し、今の社会から集めてきた都合のよい素材を伝承通りに組み立てて、「はい、純愛、おひとつどうぞ!」などと読者に手渡すようなことを、もちろん高橋はしない。頭脳がよほどシンプルにできているのでもないかぎり、誰もが疑いなく等しく構造的に奪われているはずの「純愛」を、賢明にも誠実にも馬鹿正直にも巧妙にも、彼はそのまま不在として扱うのだ。不在であるものがどれほど強烈な引力を持つか、そして、ありとあらゆるモノが溢れかえっている世界で、不在であるものこそ、じつはどれほど強く希求されているか、読者は思いもよらぬところで、不在学のオサライさせられることにもなる。〉

 レンアイや「性交」の実地修練の渦中にある人たちには小むずかしい言辞もあるだろうが、そこは文芸企画ものにありがちなふりかけ程度の味つけに過ぎないから、まぁ、御愛嬌といったところか。いま振り返って読み直してみて、あまり修正箇所が認められない気がするのだが、これはこれで、脳の老いとでもいうものだろうか。
 高橋源一郎を持ち上げ過ぎなきらいもあるが、そこはそれ、文芸企画ものの慣例ということで、もちろん、フィクションに過ぎない。
言葉なんて、嘘を、いや、フィクションを言うためにだけあるんだものネ。詩歌、小説、評論、批評、論文、報道… どんなかたちを表向き採るにしたところで。



2012年10月19日金曜日

逝った相手へ、過去へと向けて始まる愛

―岩井俊二*『ラブレター』について



死んだ婚約者に手紙を出してみると、なんと返事が… 
婚約者と同姓同名の女性こそ、じつは、死んだ彼の真の愛の対象だったのでは、と気づいていく博子。
ストーリーとしては、こんな軸を中心に展開していくのが岩井俊二の『ラブレター』だ。

「鈴美が秋葉を想い、秋葉が博子を想い、博子が藤井樹を想い、藤井樹はかつて同姓同名の女の子を想い、そしてその女の子は今、かつての同姓同名の男の子に想いを馳せている。
想うことは幸福なこと。
なんだかそんな気がしてくる」。
            (『ラヴレター』) 

同姓同名。顔の酷似。どちらも、物語にはうってつけの素材だ。洋の東西を問わず、人間はこういうのに弱い。同じだけど違う、とか、違うけど相通じるものが、とか。すでに世界に無数の作品がある。これらを使う時にセンスが問われるのも、だからこそ。

岩井俊二はまず、「藤井樹」なる同姓同名の男女ふたりを設定した。このふたりを中学の同級生どうしにし、同姓同名から来る反撥、ちょっとした被害、運命の小さな悪戯を経験させる。男のほうには、長じてから神戸の短大生に一目惚れをさせる。相手は、学校時代の藤井樹㊛に酷似した渡辺博子。簡明にして効果抜群の設定が、こうして出来上がる。物語の風は、あとは放っておいても吹き荒ぶ。

 物語の公式から言えば、ふつう、同姓同名の片方は死なねばならず、酷似した人物ふたりはどこかですれ違わねばならない。藤井樹㊚を死なせて、藤井樹㊛をひとり残すこと。藤井樹㊛に酷似した渡辺博子をも、ひとり残すこと。不在の藤井樹㊚という折り返し軸をめぐって、ここに、藤井樹㊛と渡辺博子のある種の姉妹関係が出現し、ドッペルゲンガー性も出現する。
岩井俊二が教育的であるのは、世上のあらゆる姉妹物やドッペルゲンガー物が、じつは、あらゆる藤井樹㊚消滅後の後日談に過ぎないかも、とそっと教えてくれる点だ。ひょっとしたら、人類のあらゆる物語の源には、じつは藤井樹㊚性があるばかりではないのか。

藤井樹㊚は、一目惚れから渡辺博子を愛したことになっている。
しかし、博子自身が訝しんでいるように、彼が愛したのは、藤井樹㊛の面影だったのかもしれない。相手の独異性に対する軽視の罪。
いっぽう、渡辺博子は、偶然目にした卒業アルバムの中に見つけた「藤井樹」の名に宛てて手紙を書くのだが、ここで図らずも、彼女もまた先方の独異性軽視の罪を犯している。その時彼女が注目したのは、藤井樹㊛のほうの名であり、㊚のほうの名ではなかったから。
同じだが、同じでない名前。
恋人どうしとなったふたりが、それぞれに犯す同質の罪。
三人称部分と、「あたし」という一人称部分の交互の積み重ねで書かれていくこの小説で、なぜ岩井俊二が、藤井樹㊛に一人称の語りを委ねたのか、なぜ渡辺博子ではなかったのか、その秘密がここにある。三人のうち、藤井樹㊛だけが、唯一、だれの独異性も軽視しなかった無垢な存在だったのだ。
そういう彼女のほうへと、藤井樹㊚の磁場は撓みに撓む。彼女と酷似した博子への「一目惚れ」さえ起こしつつ、生涯かけて撓むのだ。

 自分と酷似した博子という迂路をたどって、藤井樹㊚が寄せていた自分への思いを発見していく藤井樹㊛の物語。
それが『ラヴレター』だったのだが、こうした発見は、思いを寄せてくれた相手への、過去へ向けての愛に発展していく他はない。無垢を約束された彼女が、不在の相手に心を向けるとなれば、どう転んでも純愛にしかなり得ないが、純愛はむろん書き得ない。書き得ないものを書かないで済ます、書かないがゆえに表わす。日本の文芸の王道といえる手法を、岩井俊二は軽く軽く、みずみずしく踏襲しているのだ。


                      
*岩井俊二、映像作家。絶え間ない繊細な動きと心の襞に直結した映像が、優しく、痛い。作品に『リリィ・シュシュのすべて』、『スワロウテイル』、『ラヴレター』など多数。




2012年10月18日木曜日

圓地文子の欲望と快楽

―圓地文子*『女坂』について



白川行友のようなひどい夫には、近ごろの小説の中では、なかなかお目にかかれなくなった。
自分の妾にするべき娘を妻の(とも)に探しに行かせるとか、妻と妾と一緒くたに住まわせるとか。いやいや、その程度に留まってはいない。もうひとり新しい妾を増やしたり、息子の嫁とも関係したり。それも過ちとか、一度や二度の出来心などというものではない。この嫁が七人も子どもを生んで死んでいくまで、馬鹿息子にこれっぽっちも気取られることなく、相思相愛の肉欲にじっくりと耽ったりもするのである。

妻の側から見れば、こんなふうになる。
「行友の好色にこれまで幾度となく苦い塩を嘗めさせられながら、(とも)はまだ行友の中に自分と同じ道徳が保たれていることを信じていた愚かさに愕然とした。息子の嫁という越えてはならぬ筈の関を行友は平気で踏み破っている。行友にとっては女は一様に雌に過ぎないのだ。そう思ってみれば、美夜は須賀よりも由美よりも遥かに魅力に富んだ若い雌にちがいない……それにしても、倫は須賀や由美を行友が愛しはじめたころに味わった嫉妬とはまるで性質のちがってしまった煮えるような憤りによろけながら、須賀の訴える声をきいていた。それはもう夫婦としての愛でも憎しみでもなかった。須賀や由美やいや当の美夜さえも背後に囲って手に負えぬ雄の行友に立向う烈しい憤りであった。(『女坂』)

自分の好色を満たすために、封建君主もどきの我儘放題を、これでもかというぐらいの直球勝負で披露してくれるこの男は、『四谷怪談』のお岩さながらの苦悩を妻に強いる酷薄な色悪として、まさに近代の伊右衛門として、これまでは見られてきた。
それはそれで、当然のことというべきだろうが、しかし、ここまでやってくれる男を造形せずにおれなかった圓地文子の欲望というものに想いを致してみると、「過去の日本の家の内部の暗い場所に生きた女達の生命」**を描き出したかっただけとは思えない。小説創作は、時代の運命や悲劇の告発だけのためになされるのではないのだ。こんな男に一方的に蹂躙される女の運命をつぶさに追って描くのは、やはり、それが快楽であればこそである。

かりに行友が、妻思いの聞き分けのよい夫であったとすればどうか、考えてみればよい。そういう彼が、出来心から不倫を犯してしまったとでも想定してみようか。なにもかもがぶち壊しになるのである。『女坂』における圓地文子の快楽は、そんなやわな男性存在からは生まれないのだ。

 なんらかの激越なものとの接触と交渉なしには、存在さえ知られず、掘り当てさえできないような深部というものがある。この作者の求めるのは、幾多の過酷な体験をそのまま溶解と鋳造の過程としつつ、来るべき女の不動の自我を練り上げることなのだ。
しかも、残虐も異常も日常的であったかのような中世などにおいてではなく、あくまで近代日本の、どこまでも平穏な日常の中でそうした激越の海を航海するとなれば、激越なものは、なんとしても人間関係の中に、とりわけ、男女のそれに求められねばならない。補助線としてエミリ・ブロンテの『嵐が丘』を思い出しておけば、じつは酷似した基本構造を持っている『女坂』が、いかに純愛小説と呼ばれてしかるべきものであるか、わかりやすくなるだろう。というより、これによって、「純愛」という曖昧この上ない言葉の中に、強度や激越さという要素を開拓するべきであったと、遅まきながら気づかされるのだ。
同じ性質の自我などというものは一つとしてなく、ましてや、男の自我と女の自我の懸隔は容易に擦り寄れるようなものでなどない。そういう二つの自我の永遠のせめぎあいを純愛と呼ぶべきだったのに、この数百年ほど、我々は忘れてしまっていたのだ。
ことによったら、数千年にもわたる忘却だったかもしれない。


*圓地文子 一九〇五~一九八六年。浅草生。国文学や江戸文化に通暁。戯曲から小説に転じた。近代日本の女性たちの運命を、日本古典の様々な女性像と通底させつつ形象化。

**『女のひそひそ話』



2012年10月17日水曜日

イメージ愛、記号愛

                            ―折口信夫『死者の書』について



()の人の眠りは、(シヅ)かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した、した、した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れてくる。(…)
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ(アツ)しかゝる黒い巌の天井を意識した。次いで、水になつた岩牀(イハドコ)。両腕に垂れさがる荒石の壁。した〱と、岩伝(イハヅタ)(シヅク)の音」。(『死者の書』冒頭)
                                                           

 無数の小説の中でも、折口信夫の『死者の書』のこの冒頭こそは、時代を経るごとに魅力と衝撃を増してきている。
二上山に惹かれて出奔し、當麻寺に住むことになった才媛藤原郎女の前に、古墳の闇の中に復活し、かつて心を寄せた女を求める大津皇子が、山越えの阿弥陀となって出現する話だが、なにか決定的な事件ででもあったかのような、まことに不思議な小説というべきだろう。

『死者の書』は、刑死して巌の暗黒の墓所に埋葬された大津皇子の目覚めから始まる。
もちろん肉体の蘇りではない。
かといって、魂の蘇りと呼んで済ましておけばよいのか、疑問がある。

 長かった眠りから覚め、意識が戻ってくるのだが、この意識は生前と同じ価値観や喜怒哀楽のしくみを内蔵してはいない。
「此世の悪心も何もかも、忘れ果てゝ清々しい心に」なった意識なのであり、天武天皇の第三皇子としての立場が強いた苦悩や逡巡、厄介事などは、ここからはすっかり消滅し去っている。

歴史の伝えるところでは、大津皇子は、天武天皇没後、后として直ちに後を継いだ持統天皇への謀反を企んだとされる。
降ってわいたようなこの疑惑の裏には、大津を廃して、実子の草壁皇子を後継者にしようとの義母・持統天皇の思惑があったとも云われる。持統の実子である草壁皇子よりも、太田皇女の子である大津皇子を愛したと云う天武天皇は、おそらく後継者について遺言して逝ったはずだろう。新羅僧行心を使って謀反を勧めさせ、なんとしても大津を排除するという感情の論理は、持統天皇においては存外自然なことであったのかもしれない。
ともに詩賦を愛し、莫逆の友であったはずの川島皇子による密告も、憤懣に耐えない裏切りとして、死の直前の大津皇子の意識を曇らせたのは疑う余地がない。

 こうした意識の濁りがすっかり消滅した後に大津皇子は目覚めるわけだが、これは、汚れのないまっさらな意識で目覚めたというようなことではない。
目覚めたのは、生前に一目惚れした耳面刀自への一途な恋の意識である。
深く想いあったわけでもなかったが、磐余(イハレ)の池での処刑の間際、刑場を囲う柴垣から顔を差し入れた彼女を大津は見る。その際に成った執心が、死の闇に沈み込んでいった大津を、ふたたびこの世に引き戻すことになるのである。
「おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすつかり、おれは忘れた」。
目覚めはしたものの、なんと五章に到るまで、自分自身のアイデンティティを取り戻せないままに大津皇子の意識が流れていくことには、おそらく注意しておく必要がある。
はっきりと自認されているのは、「こゝに来る前から……こゝに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに」想い続けている、耳面刀自への執心だけであり、「唯そればかりの一念」なのである。

 普通のかたちでの自我を失ったばかりか、死さえも通り抜け、ただ恋の一念となった純化の極みの意識が、実際には交情もなかった女の顔と名に、言い換えればイメージと記号とに、死の闇を超えて長く長く執着することから始まる小説。
『死者の書』はまさしく、愛というものについての通俗浅薄な観念に突きつけられた仮借ない鋭利な糾弾なのだが、こうした気づきは、もちろん出発点に過ぎない。
近代小説における愛執や喜怒哀楽の扱いのいちいちに異議を立てていく激しい反小説としてのすがたが、ここからは展開されていくはずである。



*折口信夫 一八八七~一九五三年。大阪木津生。古代研究の泰斗。国文学、民俗学、国語学、宗教学、芸能史にわたり独自の学風を築く。詩人、歌人としても釈迢空の名で活躍。


2012年10月16日火曜日

経ってしまった時間、その向こう側からこちら側へ

                  ―森鴎外*『じいさんばあさん』について

  

癇癪持ちだった武士美濃部伊織は、せっかく、るんというよい妻を得て穏やかに暮らせるようになったというのに、単身赴任を申しつけられる。
赴いた先で、了見の狭い男にたまたま金を借りることになるが、この男のわざとらしい不愉快な言動に癇癪を破裂させて、切りつけてしまう。傷が元で男は死ぬが、このため武士は解任され、禁錮刑の一種である「御預」を仰せ付けられて、遠国の大名の下に留め置かれることになる。牢に閉じ込められたりはせず、預けられた先で剣術や手跡を教えて暮らすとはいえ、家族のいる江戸に帰ることもできず、自由な移動もできない。
三十七年もの歳月が、こんな状態のまま、過ぎていってしまう。
それでも、やがてお許しが出る。
江戸に戻る。
と、そこへ、長く御殿女中をしてから隠居していた妻が会いに行くのだ。そうして、仲睦まじい「じいさんばあさん」としての同居が始まる。

「とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍しげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなった。ところが、もう年が押し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反する、歳暮拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下がったばかりの、邸の主人松平左七郎に広間へ呼び出されて、将軍徳川家斉の命を伝えられた。『永年遠国に罷在候夫(まかりありそろおっと)の為、貞節を尽候趣聞(つくしそろおもむききこし)()され、厚き思召(おぼしめし)を以て褒美として銀十枚下し置かる』と云う口上であった」。

非常な爽快感のある作品なのだが、それは、どこから来るのだろう。
長い別離と空白、あるいは経ってしまった時間。そうしたものの後にも、人の絆が立ち消えにならず、維持されているということ。そこからだろうか。

経ってしまった時間というものは、若い鴎外にとって、物語を詠い出そうという時の重要な発想上の契機だった。
『舞姫』の「五年前の事なりしが」、『うたかたの記』の「六年前にこゝを過ぎて」、『文づかひ』の「十年ばかり前のことなるべし」など、もちろん、一九世紀後半のヨーロッパ短編小説の常套に則ったものではあるが、こうした時間的間隙がある場合のみ鴎外の物語は起動し得たのであり、彼の創作活動自体も、これによってこそ動き出すことができた。
むろん、デビュー当時の作品に見られる時間的間隙は、物語の主題をなす事件そのものの遠さを意味している。物語は、経ってしまった時間の向こう側にあり、起こった事件は取り返しがつかない。現在安定した境遇にある語り手は、事件を回想して感動や反省はするものの、その影響に現在の生活が晒されるということはない。

約二十五年後の『じいさんばあさん』では、しかし、事件の位置に移動が生じている。
主人公に三十七年の空白を課す刃傷沙汰は、むろん、極めて重い出来事には違いないが、この作品においては発端にすぎない。三十七年の「御預」期間もまた、素材にすぎない。『じいさんばあさん』を、まさに作品として成立させる事件は、「御預」期間が済み、三十七年の空白の後に出来するのである。
すっかり歳をとって「真白な髪」になった美濃部伊織の許へ、黒田家四代にわたる御殿女中を勤め上げて隠居していた妻のるんが、遅れることなく赴き、何事もなかったかのように、平穏なふたり暮らしを始める。これこそが事件なのであり、事件はこちら側で、経ってしまった時間のこちら側で起きているのだ。
しかも、過去の出来事によって別離や空白を余儀なくされた人物たちによる、積極的、意志的な、それでいて、構えのない自然体の姿から打ち出される事件。
これは同時に、経ってしまった時間のこちら側での、一見無抵抗とも思える超克が発明された瞬間でもあり、鴎外という事件の現場なのである。

 

*森鴎外、1862~1922年。津和野生。軍医としてドイツ留学後、翻訳、評論、小説など多方面にわたり、近代文学の基盤を築く。陸軍軍医総監、帝室博物館長なども歴任。




2012年10月14日日曜日

淡い愛欲の、梅酒 

高村光太郎*智恵子抄**について




 
 ――わたしもうぢき駄目になる
 涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
 わたくしは黙つて妻の姿に見入る
 意識の境から最後にふり返つて
 わたくしに縋るこの妻をとりもどすすべが今は世に無い
  『智恵子抄』



言わずもがなのことだが、『智恵子抄』は、全篇まるごとオノロケ詩集である。それがなんだというのか。オノロケでない恋愛詩など無粋の極みなのだ。
一〇〇ページ以上にわたってノロケられるのに耐えられそうもないなら、もう少し修行を積んでから『智恵子抄』の門は開いたほうがいいかもしれない。アポリネールの『ルーへの詩篇』やネルーダの『100の愛』などを読んでからでも遅くはないだろうし、シェイクスピアのソネットやジョン・ダンの形而上的恋愛詩もある。万葉や和泉式部だって必須課目だろう。世界文学のフィールドは、オノロケ恋愛詩読解の練習場には事欠かないのだ。

練習を積んできて『智恵子抄』を読んでみると、いささか問題に感じることがある。「をんなは多淫/われも多淫/飽かずわれらは/愛慾に光る」(『淫心』)などと言いながら、光太郎の「愛慾」がいかにも淡白に見えてしょうがないということだ。むろん、生身のご本人の行為がどうだったかはわからない。詩のかたちで表現された「愛慾」のことを言っているわけで、なんだか「愛慾」の病人食を食わされているような印象なのである。「想像以上に生活不如意」だったそうだから、精の出るものなど、あまり食べられなかったのだろうか。
そういえば、ふたりしてムシャムシャ旨いものを喰うなんていう描写は皆無である。せっかく外出しても、「さあ、又銀座で質素な飯でも喰ひませう」(『或る宵』)となってしまう。まったく、世界の詩人たちの中には、「『脂肪でぴちぴちした』ズアオホオジロや、アイのワイン、琥珀カキ、ダマシカの子の肉のロースト(ガーリックソースあえ)、鳩のパテ、アーティチョークの芯、『男のあそこを熱くするあらゆるもの』など」***の愛好者で、美食家の集うキャバレーで食い倒れて死んだ十七世紀フランスの詩人サン=タマンのような享楽家もいたというのに、わが光太郎さんは、なんだか、ひとり清貧している風情なのだ。精神失調を来たして、砂浜で千鳥と遊ぶ智恵子の姿も寂しいが、妻の死後に「しづかにしづかに味はふ」のが「死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒」(『梅酒』)だけだというのも寂しい。やっぱり、にっぽんが寂しいということか。それとも、「存在はすべて悲しい」(西脇順三郎『第三の神話』)のか。
もちろん、心の尾羽打ち枯らして、ひたすら寂しく、悲しく、侘しくなってしまう時も人間にはあろうというもの。智恵子との関わりを契機に舞い来たったそんな心境のなか、淡い「愛慾」を必死に奮起させてオノロケを演じて見せたのだとすれば、詩人のギリギリのひとり舞台には、やはり痛切なものがあるというべきだろう。

とはいえ、光太郎の愛の真相についての詮索などくだらない。「この妻をとりもどすすべが今は世に無い」(『山麓の二人』)といった詩句の切実さに、リアリティー創出の彼の手腕を見ておけば十分なのである。もとより純然たる創作であるべき詩集というものを、実生活の記録であるかのように思わせてしまうところに『智恵子抄』一巻の紛うかたない成功があるのを忘れてはいけない。光太郎が企てたのは、自分たちの生きた純愛を記録することではなく、詩文による純愛の創造だったのだ。
                                                                                                                                                                                     
  
*高村光太郎、一八八三年東京生。伝統木彫を修めた彫刻家光雲の子で、自らも彫刻家。欧米遊学後に享楽詩を発表した後、白樺派の影響下に人道主義的精神主義的詩風に移行。

**妻・智恵子との愛の日々をたどる詩集。出会い、結婚、夫婦そろっての芸術精進の日々から、精神に分裂を来たした妻へ想いの絶唱まで。夫婦愛の普遍的な形象化に成功したか。

***『果物と野菜の文化誌』(ジャン=リュック・エニグ著、大修館書店)より。引用箇所は拙訳。



2012年10月13日土曜日

ハルキストがっかり



 村上春樹ファンをハルキストと呼ぶらしい。
 中国の莫言への2012年のノーベル文学賞授与は、このハルキストたちをがっかりさせたようだ。今年こそと思っていたのにとか、来年度に期待するとか語っている人たちをテレビで見た。

 スウェーデンの外交手段であるノーベル文学賞は、誰もが知るように、文学的価値だけを基準として授与されるものではない。莫言に今年の賞を授与したのは、中国の国内問題がいよいよ沸点に達する時のために、中国国内で人道的な発言をなしうるアンテナとしての表現者にあらかじめマイクを渡しておこうという目論見があったからだろう。尖閣諸島をめぐる日中間の帰属問題と表面的には見える騒ぎによって、今年の中国はなんとか国内問題を散らすことに成功したが、この国が抱えている巨大な爆弾はいつ大爆発するとも知れない。今年の中国の動き方は、この大国の脆弱さを全世界に再確認させ、世界的な警戒感を蘇らせた。これから起こる巨大な崩壊に向けて、中国国内に観察と報道の役割を担う者たちをひとりでも多く設置しておくことは重要で、莫言へのノーベル賞授与はその一環と思える。日本もなにかと問題を抱えているとはいえ、比べれば中国の潜在的危機のほうがはるかに大きい。村上春樹は今後のカードとして取っておけばよい、とスウェーデンのアカデミーは考えたのだろう。

 もっとも、よい意味で村上春樹には減点要素がある。反原発であること。また、エルサレム賞受賞の際には、比喩によりながらもイスラエル批判を行ったこと、など。国際資本とユダヤ人権益との微妙なバランスの上に成り立っているスウェーデン経済からアカデミーが独立しているはずもなく、村上春樹への投票をぎりぎりのところで阻んでいる可能性はある。彼の用いる極めて曖昧な比喩と寓意がどう受け取られるか、また、日本のみならず全世界のハルキストたちを国際的な思潮の駒としてどう誘導するか。そうした点で、今後の授与の有無は決まっていくはずだろう。

 それにしても、…とありきたりな感慨をどうしても持ってしまう。小説好きならば、ハルキ以外の作家がノーベル文学賞に選ばれた機会にその作家を読んでみればいいだけのことであるし、詩人や批評家などが選ばれたのならば、その人々のものを読んでみればいい。莫言の作品をあまり読んでいなかったというなら、発見する好機というものだろう。ハルキでないと読む気になれないなどというハルキストたちに愛され続けていくようでは、村上春樹自身があまりにかわいそうというものである。古今東西の文学作品を好み、日々、それらの読書・読解に精魂を注ぐ人々が、しかしながら、ハルキには確かに新しく深い文芸価値がある、と評する時にこそ、村上春樹の栄光はあるというものだろう。

 背景も選考理由も曖昧なノーベル文学賞への過大評価も、いつになったら薄まっていくものだろうか。軍産複合体文学賞とか、石油資本連盟文学賞とか、あるいはモンサント文学賞などという名称に変えても、人々はやはり騒ぎ立てるものだろうか。


2012年10月7日日曜日

非文章的に、さらには非文的に考えるには




 スーザン・ソンダクの文章の断片が偶然目にとまった。どこからの抜粋かわからない。

「時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます」。

 読みながら、あゝ…、と声にならない声で、批評文や哲学文やその他の論文を読む時にほとんどそうなるように、またもや小さく歎いていた。こんな粗雑な思考を書きとめて、そうして何ごとか考えたと思っている人間たちがおり、それを賞賛したり支持したりする人間たちがおり… こういう者たちによって、思考は無限に劣化されていってしまう、と。

 そういう者たちと違って私がしかるべく思考している、などと言いたいわけではない。思考の困難さにもう何十年とまどってきているか… 私は少なくとも20年ほどは停滞したまま、肉体の舟に方向も定めず乗り続けている。そうしながら、思考のモラトリアムを続けながらも言語の使用法だけは基礎練習として継続すべく、正しく思考せずとも言語配列練習のできる詩歌を弄びながら、どのように考えればいっそう粗雑でない思考が可能になるかと試し続けてきていた…

それにしても、「時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこに」あるとは、ひどい思考である。時間は消えていかない。「時間が消えていくものだとしても」と思う時点で、すでに無駄な思考が始まっている。ソンダクは、時間の内容物が消えていく、と言っているのだろうか。そうだとすれば表現は粗雑すぎる。言説の中心を支える観念について粗雑な表現を採るようでは、ソンダクの思考はやはり追うに足りない。

「場所はいつでもそこに」ある、というのも間違っている。いま在る場所Aは、一瞬後の場所A´とは異なっており、世界は眩暈的な一回性の法則下にある。あらゆる「場所」は二度とそこにはないのであり、「場所」というものを戻っていく地点、戻っていける地点であるかのように考える通俗的な紋切り型の感傷思考は間違っている。むしろ、時間こそが、時間性を以て在ると考えられるかぎりにおいて「いつでもそこに」ある。

 場所が時間の埋めあわせをするというのも違う。そのように感じることはあるかもしれない。しかし、そのように感じたからといって、それは「場所が時間の埋めあわせをし」たとは言えない。安手の詩的効果を狙った言語遣いでないならば、ここでも粗雑さを指摘しなければならないだろう。

さらに、「たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます」というのは、ソンダクの個人的な感慨である。したがって、否定する必要もないし、こうした表現に到る思考が粗雑かどうかも問題とならない。しかし、私ならば、庭はむしろ、過去の途方もない重さ…というより、「重さ」に囲い込んで限定してしまえるようなものではないどうしようもなさを、またもや沁み入らされる、と言っておきたい気持ちになる。

 これほどまでに間違いに満ち、粗雑な思考の振りによって織られているソンダクの言説が、私にとって、いや、他の人々にとっても、いったいどれほどの価値がありうるというのだろう。もちろん、問題の所在に小さな発火を促して、言葉や、言葉と並走した思考によってではついに意義ある思考をすることはできないだろうと確信している私を、ふたたび問題へと引き戻す効果はあるものの。

 こうしてふたたび、「時間」というものへ、「場所」というものへと引き戻され、そろそろ人類と地球の暮れ方に近づいているかのようなのであれば、私は考えねばならないだろう。現実には詩の一領域である哲学的思弁を採るのであれ、言語を超えたものへのアプローチの可能性を広げるために詩を採り続けるのであれ。

 つねに反省においてのみ出現する時間という概念、それこそが時間を掬いとっているのか、それとも、それこそが時間を取り逃がす原因なのか… 人が「時間」と言う時、人はつねに時間の外にいる。外からしか時間を捉えることはできず… 「いま」と言う時、人はやはり「いま」の外に出てしまっているため、いかなる「いま」も今ではない。「いま」と言う一瞬前に留まり続けることによってのみ、人は時間にじかに接するが、こういう問題を据える時、同時にあるいは準備的に、あたかも哲学のように、言語の問題をやはり整理しなければいけないのだろうか、また、非言語化の探求方法を問わなければならないのだろうか…

 …と、一気に問題群は押し寄せるが、誰のためでもなく、ただ私のためにだけ考えを進ませるには、やはり、断章形式がいいのだろうか。形式的完成の誘惑と欺瞞に引き摺られやすい文章というものをたえず破砕して、非文章的に、さらには非文的に考えるには…