2013年9月19日木曜日

『一言芳談抄』の他力








 他力といわれる浄土宗も、『一言芳談抄』に集められた念仏者たちの言葉や逸話から見るかぎりは、強く厳しいものだったと考えざるをえない。渾身の自力を以てしなければ、ここに見られるような他力は支えられまい。
『徒然草』第九十八段には、この草子を読んで共感したことを兼好が書きとめている。兼好の没年は1350年なので、『一言芳談抄』の成立はそれ以前でなければならない。一方、この草子中で言及されている慈心の没年が1297年であるところから、それ以後の成立でもなければならない。いずれにしても遠い時代のことだが、その頃の他力がどのようなものだったか、それをよく伝えているには違いない。


 浄土宗といえば、南無阿弥陀仏を唱えればよいものと思われている。真言宗のような自力での経典の学問や行の修得はいらず、ただ阿弥陀仏にすがって、念仏を唱えればよい。そういう理解である。しかし、『一言芳談抄』に収められた法然のこんな教えはどうだろう。
「一念を不定に思ふは、念々の念仏ごとに、不信の念仏になる也。其故は、阿弥陀仏は一念に一度の往生をあておき給へる願なれば、念ごとに往生の業となるなり」。*
(ひとつの念仏で往生できないと思うなら、念仏をするごとに不信の念仏となるぞ。阿弥陀仏は、ひとつの念仏ごとに一度往生するよう取り計らわれたのだから、ちゃんと念仏すれば、念仏するごとに往生の業を積んでいけることになるのだぞ。)
 念仏を真剣に唱えよというわけだが、この場合の真剣さとは、単なる精神統一などというものでなく、身と心と霊が貫かれ、その〈貫かれ〉が空洞に成り切った統合そのものとなっているような真剣さである。思いが純一になり、感情が鎮まり、行への心的エネルギーが純一に強まるといった現世的な精神性が求められているのではない。霊として、霊の域の全層全方向に陥没的に突き抜け、すべてに繋がる空洞となることが求められているのであり、しかも、念仏という猶も物質的な仮の道具を使いながら、一瞬にそれを成すことが求められている。法然が勧める念仏とはこういう最高強度のものであり、こういうものでしかあり得ない。
 だから、他の場所で、このようにも法然は言うことになる。
「もし自力の心に住せば、一声なほ自力也。もし他力をたのまむは、声々念々みな他力なり」。
(もし自力の心であり続けるならば、一声の念仏を唱えるのも自力ということになる。もし他力にすがろうというのなら、何度念仏を唱えても、みな、他力ということになる。)
 自力と他力がじつは同じものである、と法然は言っているのだ。真言密教の修行システムの煩雑さ、完成度、要求される非人間的な忍耐力、修行における選民性などによって、ようやく到れるかどうかという達成を、法然は、南無阿弥陀仏の念仏だけで獲得できるものと考えている。
むしろ、煩雑な多くの瑣事の集成である密教的修行をこそ否定していただろう。人間の意識はそれらの瑣事のコントロールに忙殺され、知識量と記憶力と注意力と総合的判断力にいかに秀でたところで、こうした行の連続によって強化形成されざるを得ない自我は、肝心の往生において、必ず最後の障害となって襲いかかる。成長繁茂した大脳も、知的構築物の網の目を延々と作り出し続けるようになり、それに対しても適切なコントロールを毎時行わなければ、幻影や魔が創り出され続ける。密教的自力の修行の最終段階では、こうした全コントロールが一気に放擲されねばならないが、その時に用いられるのは端的に言えば、法然の勧めるような他力なのである。自らが培って身につけてきた能力や方法を脱いで、〈自〉の外へと、まさに〈非自〉として出る。法然は、自力の最終段階にあるこうした過程をよく知っていたし、あらゆる自力の行はここに到るがためのものに過ぎないと知っていた。それを密教が語らないのを卑劣とも思っていただろう。
念仏を唱えようと思うほどの人間ならば、こうした自力の行に匹敵する日常的な生の行を十二分に積んできている。一般に組織宗教に属する者たちは故意に看過しがちだが、誰にも見守られず、監督されず、修行者とも見なされない普通の人間の生ほど厳しい修行は存在しない。規則も戒律もなく、導き手もなく、無限に続く物質や物体の妨害に遭い続け、他者たちの不透明な心理と価値観の泥沼とのつき合いから一時も抜け出ることのできない平凡普通の生は、もし組織宗教に属する者がそこにすっかり戻されるなら、たちどころに心身を持ち崩すであろうほどの試練の場である。ならば、組織宗教に属さない普通の生活者を、いきなり他力の最終段階に向きあわせてなんの問題があろう、と法然は考えた。いかなる場合であれ人生そのものが真の行でしかなく、そうしたものとしての人生にじかに接続するかたちでの念仏を勧めればよい、との判断があった。
 すぐ続いて記されている、法然のべつの言葉も見てみよう。
「往生は、決定(けつぢやう)と思へば、定めて生る。不定(ふぢやう)とおもへば不定なり」
(往生は、確かにそうなると思えば、かならずそう往生する。不確かだと思えば、そうならない。)
 もちろん法然は、ここで、思い込みの強さのことなど語ってはいない。確信、などということでさえない。信の問題などではなく、成る事実とその認識の一致の問題がここでは語られている。「思へば」とは、行動と認識の完全に位置した意の〈用いられ〉を表現している。
自力と他力について語っていた先の短い言葉と、それに続くこの短い言葉は、いわゆる悟りというものを、法然がはっきりと経ていたことを示している。念仏と往生の間に、ふつうに考えられがちな因果関係が存在しないこと、念仏そのものが往生であり、念仏を唱えるに到る物理的先行時間も往生であることが、法然にはわかっている。


 意識、と呼べばすでに逸れてしまうので、かりに意と呼んでおくが、法然が勧めたこうした行法には、なるほど、意における技術的な問題も絡んでいたのではあろう。
「有(あるひと)云く、『往生をおもはん事、たとへばねらいづきせんとする心根をもつべし』」
(ある人が言った。「往生を思うのなら、たとえて言えば、ねらい突きをするような心がまえでいるべきである」。)
 このような指導がときに成されるのにも理由はある。しかし、意の用い方においては、知や物質的領域と違い、これ以上の理屈の詮索に深入りしない必要が、どうしてもある。法然はこのように教える。
「念仏の義を深く云ふ事は、遍而(かへつて)浅き事也。義はふかゝらずとも、欣求だにも深くは、一定(いちぢやう)往生はしてん」
(念仏の理論を深く言いたてれば、かえって浅くなってしまう。理論の深みはなくても、希求する思いが深ければきっと往生するだろう。)
「称名念仏は、様なきを様とす。身の振舞、心の善悪をも沙汰せず、念比(ねんごろ)に申せば、往生するなり」
(念仏を唱えるのは、方法がないのを方法とする。身の振舞い、心の善悪も論ぜず、ねんごろに唱えれば往生する。)
 往生に向かう念仏において、意の技術というべきものは方法になってはならず、ましてや、理論構築に向かってはならない。方法や理論のようなものは意にすっかり呑み込まれ、方法や理論としては自立し得ないかたちに留まっていなければならない。「身の振舞い、心の善悪も論ぜず」というのも当たり前のことで、この世に属するものなど問題にする必要もない。この世をどう生きるか、どう振る舞うかなど、とうに放擲した事柄に属するのである。
 特に「心」へのこうした態度、その「善悪も論ぜず」という態度は、浄土宗の念仏者たちの冷徹な人間認識にもとづくものといえる。信仰においてばかりか、社会における倫理においてさえ、「心」はつねに扱いの厄介なものだから、そこに往生の要を置かないよう、はじめから配慮しておく。
 松蔭の顕性房こと、入道相国頼実はこのように言う。
「心の専不専を不論(ろんぜず)して、南無阿弥陀仏ととなふる声こそ詮要と、真実に思ふ人のなき也」
(心がもっぱらであるかどうか、純一にそれに向かっているかどうかなどは問題ではなく、南無阿弥陀仏と唱える声こそが大切なのを、真に理解している人がいない。)
 さらに、こうも言う。
「真実に此身を仏にまかせたてまつる心をば、人ごとにおこさざる也」
(本当に自分の身を仏にお任せする心を、誰ひとり起こさない。)
 また、
「『仏たすけ給へ』と思ふ心を、第一のよき心にてあることを、真実に思ひしる事、人ごとになきなり」
(「仏さま、お助けください」と思う心が、いちばん善い心であることを、本当に誰も理解していない。)
「仏さま、お助けください」という「心」の内容だけにしてしまい、さらには、仏に「心」を完全に任せてしまうならば、「心の専不専」など問題にもならぬ道理である。「心」をこのようにして念仏する者は、言うまでもなく、すでに往生している。すべて、「心」のみによるからである。


物であれ、内的なものであれ、『一言法談抄』は激しく放棄を勧めてもいるが、とりわけ仏道の学問については、厳格な放棄を迫っている。
「慈円僧正入滅ののち、或人の夢に示して云く、『顕密の稽古は、ものの用にもたゝず。時々せし空観と念仏とぞ、後世の資粮となる』」
(亡くなった後で、慈円僧正が或る人の夢に顕われて諭された。「顕教や密教の勉強はなんの役にも立たない。時どき試みた空観と念仏だけが、死後では糧となっている。」
 周囲に多くの学徒を集め、法相宗研究で有名だった解脱上人のところに、学問を望んで参じたある僧に、この上人はこう答えたともいう。
「学問してまたく無用なり。とくかへりたまへ。これに候ふものどもは、後世の心も候はぬが、いたづらにあらむよりはとてこそ、学問をばし候へ」
(学問など、全くなににもなりません。はやくお帰りなさい。この寺にいる者たちは、後世を願う心もない者たちでございますが、なにもしないのよりはいいだろうと考えて、学問をしているだけでございます)。
 明遍もこのように言う。
「其心真実ならずば、百千の不審をひらきて、甚深の義理を悟候ふとも、往生かなひがたく候ふか。仏道修行には、功が大切なるなり」
(往生を願う心が真実でなければ、たくさんの疑問を解決し、最も深い哲理を理解しようとも、往生はかなわないでございましょうな。仏道の修行には実践が大切なのです。)
 心霊の行を積んできた人にはわかりやすいだろうが、文字情報と概念と多様な思考パターンを総合的に用いながらの学問は、必ずしも往生の妨げになるわけではない。むしろ、重要な必須のものである。しかし、この方面の大脳の用い方に十分な能力を備えない人がこうした学問をすると、たまたま自分が出会って学んだわずかの内容や思考方法に精神が固着されてしまうことが多い。慈円や解脱上人や名遍が指摘しているのは、こういう人々の「学問」の問題性なのである。空海のような人にとっては、「学問」はなんの妨げにもならなかっただろう。大脳と身体と霊の全的な運動を平然と機能させることができたのである。
 空海のレベルに達しない知力の者は、せめて、自分が修得した「学問」の内容や方法論が、どう緻密に練り上げられていようが、結局はただの比喩に過ぎないと忘れないようにしておくべきである。それどころか、自我も、生も、自然や宇宙さえもが、ただの比喩に過ぎない。人間が感知し、認知し、考え得るもの、考え方、納得や了解、理解のすべてに到るまで、すべては壮大な比喩に過ぎない。こうしたポイントを外さずに「学問」をするならば、念仏者たちの批判は容易にかわせることだろう。
 とはいえ、調度ももちろんそうだが、知という「もの」は、本来的に無限に蓄えられ続けようとするところに宿命があり、その手段である「学問」は当然、この宿命的性質の下にのみ機能し、展開する。次のような簡素な戒めが、どこまでも重要となる所以である。
「或上人同法を誡めて云く、『物なほしがり給ひそ。儲(たくはへ)はやすくて、捨つるが大事なるに』と云々」
(ある上人が、仲間を戒めておっしゃったことには、「ものを欲しがってはいけません。貯め込むのは簡単だが、捨てるのが一大事ですからな」)。
 物品など何ものでもない。知こそ恐るべきもので、「貯め込むのは簡単だが、捨てるのが一大事」なのである。 


*『一言法談抄』のテキストは、『一言法談』(小西甚一校注、ちくま学芸文庫、1998年)によった。現代語訳は、この版に付されたものを参考に、適宜、変更して訳し直した。)











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