2013年6月15日土曜日

土屋文明晩年のゴキブリ歌





 土屋文明を知らぬ者はない。斉藤茂吉から歌誌『アララギ』の編集発行を継ぎ、アララギ派の中心として、20世紀の歌壇に君臨し続けた。1990年に100歳で逝去するが、それまでに、日本芸術院賞、日本芸術院会員、宮中歌会選者、文化功労者、文化勲章などの名誉を与えられ、没後には従三位に叙されまでしている。

 この土屋文明、栄誉赫々として近代短歌の最後の大立者たる生涯の晩年の歌は、たとえば、次のようなものであった。

敷物も代へたのにゴキブリは不思議不思議子等は言へどもまこと出ありく 

背のはげし本の膠はゴキブリの好き餌といへど防ぐ術なし

寝台古りわらやはらかに馴れたればここを城とし籠るゴキブリ

置く毒に中り死にたるゴキブリか後を頼むとわが枕がみ

眠る前の面に来りて散歩するゴキブリを憎む無告の被害者

何の為にゴキブリ我がまはりにはびこるか背のはげ並ぶ本を見るか

本郷新花町七十年前貸二階に我を攻めしは小形のゴキブリ

食をつめる如き明け暮れの幾月か我とゴキブリ残し世帯主は夜逃

蚊が来なくなりしと思へばゴキブリか吝しみつづける暖房のため

 土屋文明は中期以降、美しいものや情緒を扱うことを意識的にやめたように見え、これら晩年のゴキブリ歌もその延長上にあるので、格別、驚くべきほどのことがここにあるわけではない。
驚くべきことがあるとすれば、自身の生活に取材しつつ、同時に、生活歌に伴いがちなある種の感情の予定調和を、あいかわらず元気に削ぎ落していこうとしている点であろう。短歌をつくる以上、感情も思いも動かねばならないが、土屋文明の感情や思いはつねに暴走し、異形化する。個々の感情や思いは、発現するや脱皮し、古い殻やしがらみを捨てて、未知の感情や思いになり変わろうとし、さらには予想外の関係性を相互に結ぼうとしはじめる。あるいは、―こちらはもっと面白く、推奨されるべき事態であるが―、関係性などもはや顧慮されず、個々ばらばらであろうとしたり、その場その場でなるがまゝであったりする。
土屋文明の作歌の価値は、近代短歌のバチカンというべきアララギ派の中心にありながら、じつに、深く本質的に異端であったところにある。異端の力を自己抑制するのは中心にある者ではなく、いつも、周辺に侍従してご機嫌を窺う者たちなのだが、なるほど、中心に鎮座坐(ましま)していた彼は、端正だの、格調だのといったおぞましい死体趣味的劣等概念に惑わされることはなかった。
美という野卑の極み、あるいは深みとかいう安酒、幽玄だの霊妙だのというアベノミクス並みの三百代言を全面的に敵にまわし、これと乱闘をくりひろげ続けるというのが詩歌の唯一の仕事であるのは、古今、論を俟たない。なぜ美が、深みが、幽玄が、霊妙さが詩歌の敵かといえば、それらが言葉ひとつひとつのエネルギーを必ず曖昧化し、拡散し、霧散させ、意味や音や特定社会との関係でがんじがらめに拘束し切った上で去勢し、つねに、社会と時代のたまたまの愚鈍な主流層の怠惰な快楽意識の称揚に益してしまうからである。「言葉はなにも証明しない」(三島由紀夫『音楽』)ことなど誰でも知っているが、詩歌は、証明する/しないというレベルを言葉に超えさせようとし、意味を云々するレベルをも超えさせ、岩石や重金属よりも堅固な物質として、おそらく人類の精神にとっての唯一無二の実体として変容し切ろうとする。
土屋文明の晩年のゴキブリ歌をことさら大げさに評価する必要はないにしても、美のほうへ、安らぎのほうへ、深みや熟成などといったもののほうへと情けなくも妄りに自身の言葉が陥らないよう、生涯かけて闘い続けた巨大な姿の名残をそこに見てとるのには適していると言えよう。
もちろん、

食をつめる如き明け暮れの幾月か我とゴキブリ残し世帯主は夜逃

構成主義的な技法で作られたこの歌に縫い込まれた複数時間の処理、視点の重層化、「世帯主」なる登場人物に仮託した運動性、残された「我とゴキブリ」の間にふいに出現してしまう同等性の妙味など、たった一首で凡百の小説を凌駕してしまうような達成があっけらかんと挟みこまれていたりもするのだが、もちろん、これもまた土屋文明ならではの醍醐味といえる。









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