老人性痴呆と介護の問題を描いてベストセラーになった『恍惚の人』には、きものはほとんど出てきません。にもかかわらず、この作品の終わり近くの描写が、有吉佐和子の作品世界のなかでも最も重要なきものの描写のひとつなのだといったら、やはり、奇異に響くことでしょうか。
「常々ズボンと毛糸のカーディガンを家着にしていた茂造だったが、一組だけお対の和服があるのを、彼の死装束として着せたものか、あるいは信利への形見頒けとして残すべきか、まず最初にそういうことを思案し、それは京子が来てから相談してきめよう。京子は現実家だから、あんないい着物を焼くのはもったいないと言うに違いないというところで考えがきまった」*1
購入されて茂造の手に渡ったときには、この「お対の和服」にもしっかりした価値があったはずでしょう。どんな時にどのように着ようか、着させてみようか…… そんな思いを向けられているあいだこそ、きものはきものであるはずです。茂造のこの「一組だけのお対の和服」には、しかし、きものとしてのそんな未来は、もう来そうにもありません。購入時にいくらだったか推し量ろうとして、嫁の昭子や娘の京子が脳裏に思い描いてみるであろう数字が、いまとなってはかろうじて、この和服にいくばくかの価値づけをする程度のことでしょう。持ち主の人生や思い出、あるいは親から子へといった密な人間関係によって付与されてきていたはずの、きものにふさわしい価値づけのされ方などすっかり削ぎ落とされて、かぎりなく意味あいを薄めてモノとなったきもの。零度のきものとでもいうべきで、数多い有吉作品のなかでも、これほど凄絶に寂しいきものが描き込まれた箇所は他にはありません。
きものを愛してやまなかった有吉佐和子には、『紀ノ川』や『香華』、『芝桜』、『木瓜の花』、『真砂屋お峰』、『和宮様御留』、『華岡青洲の妻』、『地唄』など、まさにきもの文学とでも呼ぶべき作品群があります。
いたるところ、贅沢にも豪奢にも、あまりに豊かにきものの諸相が描き込まれていて、ひとたびこれらのページを開こうものなら、きもの好きの読者はたちまちのうちに、絢爛たる錦の渦に巻き込まれかねません。
しかし、ふり返ってこれらの作品世界の底に思いをこらしてみると、一枚のきものというものが、それに携わるひと一人ひとりに応じて、どれほど容易に価値を増したり損ねたりするものか、ときには宙に浮いたように軽々と無価値にもなってしまうものか、そんな宿命的な不安定さに、作者がことのほか敏感だったらしいのが感じられてきます。
衣の過剰として発生し発展してきたきものが、どうにも避けえぬものとして含み持つ恒なる危機、とでもいえましょうか。
たとえば『紀ノ川』のなかで、主人公の花があれほどの心尽くしをして、娘・文緒の婚礼衣裳を贅沢に作ってやりながらも、「衣裳は、それを好んで身につけるのでなければ、人に印象づけることができない」*2ものであるため、あまり映えぬままに式が終わることになったり、せっかく帯まで見立てて拵え、文緒に送ってやった戦前の高島屋の立派な絽の訪問着が、「新しい生活には洋装が最も適している」*3として、むげに花につき返されてきたりするのも、同じ一枚のきものが、母と娘それぞれの心に、あまりにかけ離れた意味をかきたててしまうからでしょう。
あるいはまた、孫娘の華子が戦中に三越本店で花に買ってもらう「牡丹の模様を染め抜いた派手な縮緬」*4の反物が、戦後の食糧難のなかで小麦や野菜類に交換されていったりするのも、きものが含み持つ美的価値がいったん無視されて、布としての実用的価値ばかりが拡大される瞬間を物語っているようです。
『華岡青洲の妻』では、主人公の加恵が、祖父の葬儀の際、のちに姑となる於継の美しい喪服姿にほれぼれ見惚れてしまうという場面がありました。
「衿の抜き具合といい、合わせ具合といい、帯の形から締め具合といい、於継には寸分の隙もな」*5く、しかも「帯の下の背縫が、まるで絹糸に錘をつけて垂らしたようにぽんと一本の直線になって」*6いて、「きりっと結上げた浅葱色の手がらがはっとするほど鮮やかに美し」*7い。
そんなさまに心を奪われる加恵でしたが、しかしこの時、於継という秀でた女性の美しさに、じつはそのまま露呈しているはずの、もうひとつ別の意味、すなわち、将来の自分にとって、最大の理解者とも最大の敵ともなる魂のすがたについては、まだまだ見抜けないでいるのです。
そして、読後のこころの震えのとまらぬような、あの不朽の名作『和宮様御留』。朝廷と幕府という、巨大な〈家〉どうしの間の大がかりな婚礼小説ともいうべきあの作品では、立場を異にする人々のあいだで、同じきものがどれほど異なった価値や意味の投影されるスクリーンとなってしまうか、微に入り細を穿って描き出されていました。
「精好(せいごう)の濃紅の袴の上に、薄紅色の単衣、葡萄(えびぞめ)の打衣、茜色の上衣、そして一番上に萌黄色の綾織の小袿(こうちぎ)」*8。
皇妹和宮の身替りとされた主人公フキに、身につけるべきものとして与えられるのはこんなお召物の山でしたが、この「精好の袿袴というのは、仙台平よりもっと部厚く、おまけに能衣裳のように幅がひろい」*9もので、「袿姿にしても精好の袴まであわせると、それはそれは重」*10く、しかも、「宮様お袴召さぬはよくよくおくつろぎの折ばかり」*11で、たとえば「関東にて徳川(とくせん)御本家に御謁見遊ばされる折は必ず御袴御着用遊ばされ」*12るべきものなのでした。
なるほど立派なお召物ではありますが、フキにとっては、これがそのまま、豪奢で過酷な責め具として機能することになり、他方、徳川家と大奥の滅亡を知る読者たちには、壮麗なまでに無意味でむなしい悲劇の象徴として映るわけです。
まことに有吉佐和子の世界にあっては、きものやそれに付随する小物と、それらがそのつど持たされる価値や意味あいの絡みあいが、大小無数にはりめぐらされ、緻密なアラベスク模様さながら、組み尽くせぬほど豊かな物語の綾となって織り出されていくことになるのです。
しかしながら、彼女の小説世界でなにより注目されるべきは、きものが、世間一般の社会的・経済的な価値づけの支配を受ける身分からいきなり超え出て、なにものにも拘束されない、きものそのものとしての絶対価値のほうへ、絶対美のほうへと急速度で暴走していく瞬間の、あの比類ない美しさとカタルシスでしょう。
屈指の傑作というべき『真砂屋お峰』では、経済的にも精神的にも病んで「いつまでもこんな世の中が続くものですか」*13と人々が思っている文化・文政期、主人公お峰は、自分が継いだ老舗の材木屋を意図的に潰すために、三条西家の姫君も大奥最高職の上臈〈姉小路(あねがこうじ)さま〉も凌ぐ豪奢極まりないきものの数々を買って財を蕩尽していきます。お峰によって普通の価値づけから完全に脱線させられた金銭ときものとが奏でる名場面の連続、ことに京の都の桜の下での衣裳競べの場面など、有吉文学の頂点というべき迫力です。
これに拮抗しうるのは『芝桜』でしょうか。
たとえば、あの「艶々と光るような黒」*14に染めた縫取ちりめんに、漆糸の「金の小菊が、ぽうっ、ぽうっと蛍のように浮き上がって見える」*15きものを、主人公の正子ばかりか蔦代までがしつらえ遂(おお)せて歌舞伎座に現われる場面。
あるいは、大正十五年、正子も蔦代も鶴弥も、それぞれにいっぱいの趣向を凝らして出かけた正月の衣裳競べの席に、「戦争成金の旦那を後盾にして、七枚の百円札を裾に散らして綴じつけ」*16「帯止めには金貨をつけた」*17小猿という若い芸者の出現してくる、あの場面。
もちろん、『香華』の郁代も忘れるわけにはいきません。
自堕落でわがまま勝手、淫蕩で奔放、「台所も掃除も洗濯も何一つしない」*18この美女は、しかし、「自分を粧う為に」*19だけは「努力家」*20で、無限の情熱をそこに発揮するアンチヒロインです。
軍国主義や拝金主義などの下に姑息に胸を張る権威的な〈家〉など一顧だにせず、いわば絶対きもの主義者として装いの美に邁進していく姿には、「常識のタガをはめ」*21ず、「出来た人」*22でもなかったという有吉佐和子本人の魂や理想が大きく投影されているのかもしれません。
読後しばらく経って、心の深くにいちばん愛しく思い出されてくるのは、世間が自分をどう見るかも、きものの値段も意に介さず、ひたすらきものそのものを愛して、「自分を粧う」*23喜びに生きた郁代の姿なのです。
◆この文章は、かなりの修正を加えた上で、『美しいキモノ』二〇〇七年夏号(アシェット婦人画報社)にも、「日本文学に見るおしゃれ・女性作家ときもの【有吉佐和子】」として掲載された。駿河昌樹文葉『トロワテ』38号(2007年6月)にも掲載された。
註
(1)『恍惚の人』(新潮文庫)
(2、3、4)『紀ノ川』(新潮文庫)
(5、6、7)『華岡青洲の妻』(新潮文庫)
(8,9、10,11、12)『和宮様御留』(講談社文庫)
(13)『真砂屋お峰』(中公文庫)
(14、15)『芝桜(下)』(新潮文庫)
(16、17)『芝桜(上)』(新潮文庫)
(18,19、23)『香華』(新潮文庫)
(20)『悪女について』(新潮文庫)
(21、22)有吉玉青『身がわり ―母・有吉佐和子との日日―』(新潮文庫)
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