2010年9月2日木曜日
更衣の頃 夏のはじまり
平安王朝の貴族に愛唱され、詩歌や美意識の教科書ともなっていた『和漢朗詠集』を紐解くと、夏の巻は更衣の歌から始まっています。はじめに出てくるのは、日本人の作った詩歌ではなく、平安貴族に特に愛好された白居易の詩句です。
壁に背ける燈は宿を経たる焔を残せり
箱を開ける衣は年を隔てたる香を帯びたり
「夜も短くなった。壁に向けた燈火は、一夜を経てもまだ燃え尽きずにいる。今日は衣替え。箱を開いて取り出した衣は、去年焚き染めた薫香をいまだに帯びている」。
こういった歌意ですが、むかしの夏というものが、前の年に炊き染めた夏衣の香りとともに始まったのを教えてくれる詩で、リアルな生活感をそのまま詩に昇華させています。中国の詩ではあっても、この部分が『和漢朗詠集』に採られたのは、平安貴族たちにも、強い実感とともに受け止められたからでしょう。前の年の衣に染みた薫香は、虫除けのために焚かれたものでしょうか。それとも、個人的に好んで多く用いた香りや流行った香りでしょうか。いずれにしても、心は、過ぎ去った前年の夏へと戻り、喜怒哀楽や失ったことの数々を蘇らせながら、また新たな夏を迎える準備をすることになります。香りというのは、心の過去と今をつなぐもの。過ぎ去った様々なものを香りの中に思い出し、心の中で遡行を繰り返しながら、人は現在を生きる力を得ていくもののようです。
衣替えの時期は、また、美しかった春に別れを告げなければならない時でもありました。『和漢朗詠集』には、源重之のこのような歌も見られます。
花の色にそめしたもとの惜しければ衣かへうき今日にもあるかな
「桜をはじめ、せっかくとりどりの花の色に袂を染めて楽しんで着ていたのに、夏の薄衣に替えなければならない日が来てしまって、心の重いことよ」という歌意。『装束集成』によれば、当時、陰暦四月一日の衣替えまでは、桜がさねの衣や、表の白い裏あさぎの衣、紅の単、紅梅のうわぎ、蘇芳の小袿、桜山吹の色目の衣などを着るのが通例でした。
同趣向ながらも、『新古今和歌集』の時代まで下ってくると、皇太后宮大夫俊成女の歌などは、衣替えの風景にも、人の心の変わり易さを静かに見定めるものとなっています。
折ふしも移れば替えつ世の中の人の心の花染めの袖
「季節も移ったので、夏衣に替えました。世の中の人の心は、花染めのように変わりやすいといわれますけれども、本当にその通り。あんなにも綺麗だった花染めの衣でさえ、あっさりと捨てられて、簡易な夏衣に替えられてしまうんですからね」。
こんなふうに読める歌ですが、この歌は、『古今和歌集』のふたつの歌、
世の中の人の心は花染めの移ろひやすき色にぞありける (読人しらず)
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける (小野小町)
を本歌取りしたものです。前の時代の名歌ふたつを踏まえて、世の人の心の移り変わりのはやさ、ひいては、恋心の醒めやすさを、いかにもさっぱりと、世に生きねばならぬ人間の心の宿命として歌っているところに、作者自身の達観が見られるのはもちろん、中世に入った日本の詩境に深く染み入る諦念も、達成も、冷徹さも見られるようです。
◆この文章は駿河昌樹文葉「トロワテ」21号(2006年4月)にも掲載された。
◆『美しいキモノ』(二〇〇六年夏号(アシェット婦人画報社)にも、「典雅の心を歌に詠む 日本文学ときもの【短歌編】」として掲載された。
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