―折口信夫『死者の書』について
「彼の人の眠りは、徐かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した、した、した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れてくる。(…)
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ圧しかゝる黒い巌の天井を意識した。次いで、水になつた岩牀。両腕に垂れさがる荒石の壁。した〱と、岩伝ふ雫の音」。(『死者の書』冒頭)
無数の小説の中でも、折口信夫の『死者の書』のこの冒頭こそは、時代を経るごとに魅力と衝撃を増してきている。
二上山に惹かれて出奔し、當麻寺に住むことになった才媛藤原郎女の前に、古墳の闇の中に復活し、かつて心を寄せた女を求める大津皇子が、山越えの阿弥陀となって出現する話だが、なにか決定的な事件ででもあったかのような、まことに不思議な小説というべきだろう。
『死者の書』は、刑死して巌の暗黒の墓所に埋葬された大津皇子の目覚めから始まる。
もちろん肉体の蘇りではない。
かといって、魂の蘇りと呼んで済ましておけばよいのか、疑問がある。
長かった眠りから覚め、意識が戻ってくるのだが、この意識は生前と同じ価値観や喜怒哀楽のしくみを内蔵してはいない。
「此世の悪心も何もかも、忘れ果てゝ清々しい心に」なった意識なのであり、天武天皇の第三皇子としての立場が強いた苦悩や逡巡、厄介事などは、ここからはすっかり消滅し去っている。
歴史の伝えるところでは、大津皇子は、天武天皇没後、后として直ちに後を継いだ持統天皇への謀反を企んだとされる。
降ってわいたようなこの疑惑の裏には、大津を廃して、実子の草壁皇子を後継者にしようとの義母・持統天皇の思惑があったとも云われる。持統の実子である草壁皇子よりも、太田皇女の子である大津皇子を愛したと云う天武天皇は、おそらく後継者について遺言して逝ったはずだろう。新羅僧行心を使って謀反を勧めさせ、なんとしても大津を排除するという感情の論理は、持統天皇においては存外自然なことであったのかもしれない。
ともに詩賦を愛し、莫逆の友であったはずの川島皇子による密告も、憤懣に耐えない裏切りとして、死の直前の大津皇子の意識を曇らせたのは疑う余地がない。
こうした意識の濁りがすっかり消滅した後に大津皇子は目覚めるわけだが、これは、汚れのないまっさらな意識で目覚めたというようなことではない。
目覚めたのは、生前に一目惚れした耳面刀自への一途な恋の意識である。
深く想いあったわけでもなかったが、磐余の池での処刑の間際、刑場を囲う柴垣から顔を差し入れた彼女を大津は見る。その際に成った執心が、死の闇に沈み込んでいった大津を、ふたたびこの世に引き戻すことになるのである。
「おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすつかり、おれは忘れた」。
目覚めはしたものの、なんと五章に到るまで、自分自身のアイデンティティを取り戻せないままに大津皇子の意識が流れていくことには、おそらく注意しておく必要がある。
はっきりと自認されているのは、「こゝに来る前から……こゝに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに」想い続けている、耳面刀自への執心だけであり、「唯そればかりの一念」なのである。
普通のかたちでの自我を失ったばかりか、死さえも通り抜け、ただ恋の一念となった純化の極みの意識が、実際には交情もなかった女の顔と名に、言い換えればイメージと記号とに、死の闇を超えて長く長く執着することから始まる小説。
『死者の書』はまさしく、愛というものについての通俗浅薄な観念に突きつけられた仮借ない鋭利な糾弾なのだが、こうした気づきは、もちろん出発点に過ぎない。
近代小説における愛執や喜怒哀楽の扱いのいちいちに異議を立てていく激しい反小説としてのすがたが、ここからは展開されていくはずである。
*折口信夫 一八八七~一九五三年。大阪木津生。古代研究の泰斗。国文学、民俗学、国語学、宗教学、芸能史にわたり独自の学風を築く。詩人、歌人としても釈迢空の名で活躍。
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