―高村光太郎*『智恵子抄』**について
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋るこの妻をとりもどすすべが今は世に無い
『智恵子抄』
言わずもがなのことだが、『智恵子抄』は、全篇まるごとオノロケ詩集である。それがなんだというのか。オノロケでない恋愛詩など無粋の極みなのだ。
一〇〇ページ以上にわたってノロケられるのに耐えられそうもないなら、もう少し修行を積んでから『智恵子抄』の門は開いたほうがいいかもしれない。アポリネールの『ルーへの詩篇』やネルーダの『100の愛』などを読んでからでも遅くはないだろうし、シェイクスピアのソネットやジョン・ダンの形而上的恋愛詩もある。万葉や和泉式部だって必須課目だろう。世界文学のフィールドは、オノロケ恋愛詩読解の練習場には事欠かないのだ。
練習を積んできて『智恵子抄』を読んでみると、いささか問題に感じることがある。「をんなは多淫/われも多淫/飽かずわれらは/愛慾に光る」(『淫心』)などと言いながら、光太郎の「愛慾」がいかにも淡白に見えてしょうがないということだ。むろん、生身のご本人の行為がどうだったかはわからない。詩のかたちで表現された「愛慾」のことを言っているわけで、なんだか「愛慾」の病人食を食わされているような印象なのである。「想像以上に生活不如意」だったそうだから、精の出るものなど、あまり食べられなかったのだろうか。
そういえば、ふたりしてムシャムシャ旨いものを喰うなんていう描写は皆無である。せっかく外出しても、「さあ、又銀座で質素な飯でも喰ひませう」(『或る宵』)となってしまう。まったく、世界の詩人たちの中には、「『脂肪でぴちぴちした』ズアオホオジロや、アイのワイン、琥珀カキ、ダマシカの子の肉のロースト(ガーリックソースあえ)、鳩のパテ、アーティチョークの芯、『男のあそこを熱くするあらゆるもの』など」***の愛好者で、美食家の集うキャバレーで食い倒れて死んだ十七世紀フランスの詩人サン=タマンのような享楽家もいたというのに、わが光太郎さんは、なんだか、ひとり清貧している風情なのだ。精神失調を来たして、砂浜で千鳥と遊ぶ智恵子の姿も寂しいが、妻の死後に「しづかにしづかに味はふ」のが「死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒」(『梅酒』)だけだというのも寂しい。やっぱり、にっぽんが寂しいということか。それとも、「存在はすべて悲しい」(西脇順三郎『第三の神話』)のか。
もちろん、心の尾羽打ち枯らして、ひたすら寂しく、悲しく、侘しくなってしまう時も人間にはあろうというもの。智恵子との関わりを契機に舞い来たったそんな心境のなか、淡い「愛慾」を必死に奮起させてオノロケを演じて見せたのだとすれば、詩人のギリギリのひとり舞台には、やはり痛切なものがあるというべきだろう。
とはいえ、光太郎の愛の真相についての詮索などくだらない。「この妻をとりもどすすべが今は世に無い」(『山麓の二人』)といった詩句の切実さに、リアリティー創出の彼の手腕を見ておけば十分なのである。もとより純然たる創作であるべき詩集というものを、実生活の記録であるかのように思わせてしまうところに『智恵子抄』一巻の紛うかたない成功があるのを忘れてはいけない。光太郎が企てたのは、自分たちの生きた純愛を記録することではなく、詩文による純愛の創造だったのだ。
*高村光太郎、一八八三年東京生。伝統木彫を修めた彫刻家光雲の子で、自らも彫刻家。欧米遊学後に享楽詩を発表した後、白樺派の影響下に人道主義的精神主義的詩風に移行。
**妻・智恵子との愛の日々をたどる詩集。出会い、結婚、夫婦そろっての芸術精進の日々から、精神に分裂を来たした妻へ想いの絶唱まで。夫婦愛の普遍的な形象化に成功したか。
***『果物と野菜の文化誌』(ジャン=リュック・エニグ著、大修館書店)より。引用箇所は拙訳。
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