桐壺をひさしぶりに読み直し、桐壺更衣に対する父帝の情の深さが泌みてくるようだった。
かつては、さほど思いにも残らなかったところだが、過ぎた歳月にこちらの心の反射角が変わったかもしれない。あまた目にしてきた世間や周囲の愛憎の劇が、人の情や愛欲へのこちらの間口を広げたかもしれない。
さるべき御遊びのをりをり、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづまうのぼらせたまふ。ある時には大殿籠りすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひし…
夜をともにさせた後も、ひきつづき傍に置いておく。作者自身、「おのづから軽きかたにも見えしを」と書いているものの、ここでの父帝の振舞いは、むしろ、桐壺を並みの女房に見えるようにするという方便さえ使いながら、とにかく桐壺を少しでも長く傍に置いておこうとしているもののように見える。
愛しているのだ。
執している。溺れている。ひとときも、遠くに置いておきたくない。父帝の、こういう自身の情に対する態度は誠実で、気づき直して眺めれば、恋の目を洗われるようである。
「すぐれて時めきたまふ」という桐壺が、本当に魅力的だったのかどうかはわからない。「すぐれて時めきたまふ」は、うっかりすると、きらめくような美しさと受けとめがちにもなるが、これは寵愛を受けて栄えているというほどの意味だから、桐壺の美しさや魅力を保証しているわけではない。さほど美しいというほどでもなかった人か。過分すぎるほどの愛情を、なぜか帝は桐壺に覚え、人目も憚らぬ振舞いに出た。そういうことはないか。
そんなふうにも思いながら読み直すと、冒頭のあの文、
いずれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
これは、格別に美しいわけでもなかった桐壺、として読んだほうが、帝の情愛がいっそう身に泌みてくるようで、味がある。もちろん、生まれてきた光源氏が「世になくきよらなる玉の男御子」というのだから、もとより、無理にこだわるべき見解でもない。しかし、絶世の美女からでなくとも美男は生まれるだろう。その逆もある。
たとえ一時さえも、肌身離さず、というほどの、帝からの桐壺への扱い、情の深さ、情の氾濫のさまは、それにしても、愛おしい。
帝とあるので、これもうっかり壮年以上と思い込んで読んでしまいがちだが、けっして、老いた老獪な男でなどあるまい。まだまだ若い男であろう。若い男の体であろう。その体に溢れる素直な情欲、そのままに動こうとする一途さが愛らしい。冬の朝など、肌の若々しい冷たさが桐壺を求めるのだろう。汗には、切り取ったばかりの菖蒲の香が立つだろう。
昔、ごく若い頃に読んだ桐壺の巻は、帝権のままに幾多の女たちを集め、夜々、気の向くままに選んで伴をさせている王者の我欲からはじまる物語と見え、むしろ不愉快であった。そうでなくともこの巻では、源氏自身の出生の物語、寵愛を受けた桐壺更衣の命の衰えの物語などの縒り合わさりの様を追うのに忙しい。父帝の情の真摯さ、隠しようのなさについては、わざとのように見逃し、見落として、昭和の戦後の急ごしらえの市民倫理に都合のいいように読み進めていこうとしがちであった。
私の揺籃たる戦後昭和の男女観や人間観、社会観や世界観、そればかりか、平成のここまでの日本の感性や常識のすべてが愚かであった――とまでは思わぬものの、桐壺の巻ひとつでさえ、読み直して、父帝の情欲の真摯な温かさと若さを汲み直すにも、なんと多くのものを脱ぎ捨てねばならないか、と思う。
むろん、第二次大戦までの日本の人間観が良くばかり見えるはずもなく、ましてや中古の倫理観に今さら首肯できるはずもないが、とりあえず、戦後の感性や思潮の風土は一巡し、旧来のイデオロギーのひとつとみなすべき対象となった。
先の原発事故とその後の日本社会の対応のあり方が、それを明らかにしたのである。
日本人は、自らの高度成長期とそれに続くバブル期、そして平成の精神的崩壊期という、それなりに長かったある自家戦争のようなものに敗北し、自爆したのではないか。
いわゆる311なるものは、第二次大戦後どころか、近代の日本人の、大がかりな完膚無き敗戦であった。
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