「私は薔薇の上に寝ているのか?」
(スペイン人による処刑時、アズテク帝国最後の王ガティモジンが灼熱の炭火の上に寝かされた際の言葉)
危篤の報を受けてHの入院する病院に駆けつけた時、すでに彼女は逝った後だった。
日曜日で、その日担当の若い医師は、午前4時頃から、異状を告げるべく数回私の携帯電話に電話してきていたが、就寝時、私は携帯電話を書斎に置いているので気づかなかった。書斎は寝室からは少し離れていて、深く寝入っていれば携帯電話の音は聞こえない。病院には家の固定電話の番号も教えていたので、病院側はまずそのほうに電話するべきはずだったが、どういう手違いでか、携帯電話にのみ医師はかけ続けた。
問題含みの臨終だったが、それでも死の床に横たわるHを見ながら、私にとって最悪と思われる事態は回避できたと感じた。「意識を落とす」ということをHには施さずに済んだと思い、まだ温かい遺体の頬や額に手を差し伸べた。
死後三十分が経っていたが、顔を見つめるうち、Hの眦から涙が滲んだ。こういうことがあると話には聞くが、本当にあるのだと思った。
この涙については、様々な感情や思いがある。それらについては別の場所で書くかもしれない。ここでは「意識を落とす」ということの周囲に話を絞り、幾らかごつごつした粗い考察メモを記すことにしたい。
2010年の春から夏にかけ、卵巣ガンおよびガン性腹膜炎で闘病中だったHの腹水や浮腫は極度にひどくなった。自宅での生活は不可能になり、駒沢にある独立行政法人の大病院に四カ月入院し続けることになった。
穿刺して毎日3000CCほどの腹水を排出していた頃、担当医師としばしば話しあったのは、今後発生しかねない痛みへの対処のことだった。
卵巣や腹膜のガンということもあってか、発症以来、本人はまったく痛みを感じないできていた。幸いなことというべきだったが、この先、ガンの進行や転移のぐあいによっては、患部が神経近くに触れるような場合、痛みが出てくる可能性はありうる。鎮痛剤で緩和できる程度の痛みならばいいが、継続的に激痛を覚えるような事態になったらどうするか、ということが話題の中心だった。
その場合には意識を落していくことになります、と医師は言っていた。
意識を落とす、と言われると、医学的にしっかり管理された措置を冷静に表現したように聞こえるが、要するに、故意に意識を朦朧とさせたり、失わせたりする、ということである。強力な鎮痛剤と睡眠剤、あるいは麻酔を使用し、強制的に意識を失わせて肉体のみを維持しようとする意思の、冷静かつ機能主義的な言表である。
医学は、病気を含む身体的異状をよりよい状態に向かわせるための知の集積であり体系であるはずだから、その立場から発せられる言葉は、ふつう、希望の方向を向いているべきである。「意識を落とす」という言葉も、もちろん、耐えがたい痛みを緩和するという希望の方向を向いている。しかし、この場合の希望は、人間にとって生命そのものを意味するともいえる意識活動を低下させ、場合によっては停止させることと引き換えに得られる希望で、「意識を落とす」という表現を反芻し、実際に起こるはずのことを想像すればするほど、この措置の重大さが思われた。
こういう措置が選択肢として目前に迫ったことは辛かったが、冷たさや怒りを覚えたわけではない。医学は、身体を扱う際の再現可能な人類の経験知と普遍的技術の総体であり、そういう知的・技術的体系がHの末期ガンを前にして「意識を落とす」措置に言及したということは、現在の人類にとって、あらゆる可能性を考慮した結果として、ほぼ、他の方法はないと判断されるということを意味する。
末期ガンという病気の性質上、これは回復を見越した一時的な措置というわけではない。肉体の死の前に、あらかじめ「意識を落とす」措置を採り、意図的に植物人間化し、ガンの進展により肉体が機能不全に陥って死に到るのを待とう、ということである。
人は日常生活の中で、思いもよらぬ瞬間、ふと、人類の能力的限界に直面することがあるが、Hの病状の見通しを考える中で医師の口をついて出た「意識を落とす」という措置は、今の人類が直面している知的技術的限界のひとつに、Hも私も医師も逢着したということだった。病んでいる個体はHではあるが、ここでは、個体Hは患者側の立場に立つ際の人類を代表しており、一方、治療者側の人類を代表する医師が、人類としての自らの知的・技術的限界に突き当たっている。
人により見解の相違はあるものの、知的生物である人間にとって生命そのものとも言える意識、感覚したり感じたり考えたりする主体としての意識活動、それを「落とす」ことまでして、ここでは苦痛を避けさせようと企てられ、肉体の生命を守り、維持しようとしている。
この肉体の生命と意識活動との関係、価値のあり方などを、どのように考えたらいいか、と私は思った。より正しく考えようとするならば、身体的苦痛の扱い、その意味や価値の捉え方(たとえば、宗教的修行のある種の見地からは、身体的苦痛には独自の価値があり、単に軽減すればいいものではない)、さらには生命の終焉についての認識や扱い方などの諸論も、ここでは読み込んで考察されなければならないと思われた。これらを総合的に視野に収めつつ考察しようとするならば、私という思考主体は、医学知という人類知のうちの限定知内部に立ってはならず、その外部に立って、歴史学や文化人類学、古今東西の思想史を含む、より広大な人類知を総動員させなければならないと思われた。
「意識を落とす」ことまでして痛みを軽減させ、肉体の生命を維持しようと医学知が試みるというのは、医学知において、意識活動の価値が、肉体の生命の価値の中に包含され回収されることを示す。あるいは、意識活動の価値が、肉体の生命の価値を基盤としてのみ成立するという見解を示している。私としては、末期ガンの苦痛緩和が問題となるような場面において、このように明瞭に発現してくる思想、意識よりも肉体の生命を優先して保持しようとする思想の是非を考えねばならぬと思ったわけではない。こういう思想を支えている思考構造が、古代エジプトのミイラ作りのみならず、現代にも続く墓所の維持行為、遺体や遺骨祭祀行為をも支える思考構造に、大枠では一致していると思われ、私たちがいると思っているこの物質界、現実界、現世との接点としての物質的・肉体的ベースを、無意識にも、かくも重視してしまう人類の根深い思考様式とはなにか、と考えさせられた。
末期ガンだったHの闘病中に、病の側から提起され続けたこうした問題群は、彼女が逝って一年数か月経った今も、いわばオープンなまま、私の思考領野に残されている。これらについて少しでも正しく―というのは、問題にふさわしく、ということだが―考えようとするには、厖大な関連知識や思考、周辺概念の見直しや整理が必要になる。納得がいくかたちで、これらの問題解決に一定の成果を出すのは、おそらく、私の生の残り時間の中では不可能だろうが、思考上の正しさやふさわしさのレベルを「落とす」のを受け入れるならば、ある程度の解決には到れるだろうか、とは思う。
病気に関わる他のすべてと同様、この「意識を落とす」措置についても、私は、H自身と率直に語りあい続けた。医学的見地から意図的に「落とす」ことになるかもしれないHの意識そのものがつねに目の前にあり、そういう彼女の意識そのものと語りあった。「落と」されるかもしれないHの意識に向かって、あらゆる状況データを示し、想定される事態を示す。その上で最善と思われる「今」という時間の過ごし方を作り出そうとする。こうした時間には、普通の日常生活では感じることの少ない生の臨場感があった。木下順二の戯曲のどこだったか、「あゝ今おれは彼と会ってる、確かに会ってる、今は」というセリフがあったが、こうしたリアルな「今」が発生していた。
強烈な覚醒のような瞬間こそ生や人生のクライマックスであるとするならば、来るべき近未来の時間の中、どう病気に対処するか、耐えがたい痛みが襲ってきた場合にどうするか、「意識を落とす」前の心をどう整えるか、整え得るか等などを、H自身の「意識」とともに検討し続けた二〇一〇年の春から夏は、私にとっては最高度の覚醒の継続の日々のようだった。
Hが入院していた病棟では、午後六時から七時の夕食の後、九時には消灯時間となった。部屋全体の明かりの消えた病室で、ベッドの小さな個人用ライトだけを灯し続けながら、身体について、病について、生死について、霊について、あらゆる価値と価値論について、ひそひそと語り続けた私たちだけの時間があった。
決死の軍事作戦を前にしたレジスタンスの兵士やテロリストたち、処刑を控えた処刑囚たちにも、しばしば暗がりの中で、こういう時間は訪れるのではないか… 大げさな比喩ではあるまい。当然のようにやってくる明日が、何カ月後、何週間後、あるいは数日後には停止するかもしれないという状況に直面した者は、普通の人間が当たり前のものとして受けとっている意識の継続性を、たったひとりで、または、わずかな対話者のみを交えて、まるごとカッコに括らざるを得なくなるのだ。
死の覚悟をする暇もない突発的な死を迎える者以外、これは誰もがいずれ迎えざるをえない事態であるはずなのだが、個別にこういう時を迎えるまでは、どうやら、これを絵空事やフィクションのようなものとして捉えようとするのが現代人の流儀になっている。いや、現代だけではあるまい。兼好は「人はたゞ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり」(『徒然草』第四十九段)と書いたが、彼の時代も同じだったのだろう。そうでなければ、彼がこのように強調する必要もなかった。
人間の生死の問題は、現実にはつねに、「意識を落とす」措置を含めた「意識」の管理との関連の上で考察されねばならない。意識というものが、通常の活動状態にあるかぎりにおいて、とかく自らの存続は恒常的なものであり永遠であると信じ込みやすいのを思えば、この考察課題にたいしては、なかなか適切なアプローチをとり続けることさえ容易ではないと見込んでおかねばならない。
病気に関わるすべて、病状も、そのさまざまな進行の可能性も、治療法も、治療法の限界も、物理的・社会的・経済的生活の今後も、私はHに対し、Hの意識に対し、隠そうとせずに話題に乗せ、俎上に載せ続けた。知識や状況把握も「意識」の一部分であるため、もしなにかを彼女に隠せば、それはすでに「意識を落とす」措置を部分的に施すに等しいと思われた。
意識至上主義だったろうか?
人間=意識活動そのものであるといった人間観のみに洗脳されていただろうか?
意識範囲の維持・拡張の方向にのみ人間を進ませるイデオロギーに与していたか?
通常意識なき人体、部分的に機能停止した脳を抱える人体、それらをさえ十全な生の状態にあるものとして回収できる生命観こそを夢見ている私は、今さらながら、いっそう強く、こうした反省に傾きがちになっている。