2012年7月23日月曜日

7月20日の「さぃかどう、はんたい!」



「さぃかどう、はんたい!、さぃかどう、はんたい!」…
 7月20日、抗議行動が続く中、19時頃からは国会議事堂前にいた。いつもは場所をかえて、あちこちを動きまわるのだが、めずらしく同じ場所に長時間居続け、1時間以上は同じシュプレヒコール、音響、人々の中にいた。

 人びとの口臭や呼気の臭いがする。
長い時間、シュプレヒコールを発し続けていて口が渇く。飲料のペットボトルを持っていても、シュプレヒコールの調子が乗ってくると、口を潤したり、水分補給をしたりするのは忘れられがちになる。後回しになる。たくさんの口から出る臭いがまわりに立つ。渇くと、だれの口も同じ臭いを放つ。
 デモや集団抗議行動の臭いのひとつか、と思う。集まって、声を発し、異議申し立てをしている人間、人体。鮮やかに、それを認識させられる臭い。来てみて、人々の中に混じり、身動きもとりづらくなってみて、はじめてわかるもの。
夏場の雨模様の中での体臭も混じる。それほど強くも不快でもないのは、日本人だからこそか。たまに、学生時代に男子ロッカールームで嗅いだ強い煙草っぽい臭いが鼻をつく。そのほうを見ると、若い女の人が手づくりのプラカードを掲げて、腋が宙に開いている。男子の臭いは、男子の体だけが放つものではない。
古雑巾のような臭いも漂ってくる。重そうなリュックを担いだ太った中高年の男性。Tシャツの上にカメラマンベスト。白髪をポニーテールにし、サングラスをかけている。臭いはこのカメラマンベストかららしい。プロではなさそうだ。
グレープフルーツや他の柑橘系の清々しい香りが漂ってくることもある。急ぎ足で公園側の段の上を進んでいく若い女性たち。朝つけた香りがこんな時間まで持続しているはずはない。ここに来る前に化粧室でつけてきたものだろう。

今日は、経産省近くで、抗議の意思を表す白い風船を手渡されてしまった。この風船を持つと、機敏な動きができない。デモで並んでいる人々や、警察の指示に素直に従って一か所に集まって立ち続けている人々を逸れたり、警官や主催者たちの誘導を掻い潜って擦りぬけたりするのが難しくなる。
そのため、行動のしかたを変えることにした。デモや抗議行動をする人々と同じ動きを、はじめてやってみようと思った。昨年来何度もデモの現場に来たが、一度もそうしたことはなかった。

風船には、けっこうてこずらされた。はじめから宙に浮かんでいる風船なら簡単だったのだが、紐を自分で結びつけて小さな工作を要するタイプの風船をもらった。手元で振っている分にはいいが、宙に浮ばせようとすると、小さな工作をしなければならない。いったん、厚紙のクリップから外す。紐で口を縛り、結びつける。簡単なようだが、中のガスが洩れないようにきつく縛るのが意外とむずかしい。
宙に浮かべているうちに、だんだん小さくなってくる。縛りが緩かったらしい。もっとギュッと口を縛ろうと、紐を巻きつけ直し、縛り直す。これが難しい。簡単なはずなのに、と思いながらも、どうもうまくいかない。
並びながら、そんな作業をずいぶん長い時間手元でやっていた。
 それでも30分ほどは、風船は頭の上に浮かんでいた。しかし、ガスが漏れ続けたらしく、小さくなって、やがて、高く上がらなくなってしまった。こうなると、持っているのが逆に邪魔になる。あんなに苦労して縛った紐を、今度は解きにかかった。この作業に、また15分ほど。いったい、なにをやっているんだか… だが、デモの行列が進むわけでもなし、国会前の歩道に立ち続けて、公園側の段の上から奏される鳴り物の大音響を浴び、シュプレヒコールの連続の中に漂い、飽きもせず手元で紐解きに熱中していた。

 元首相の鳩山由紀夫が首相官邸前に現われ、演説をしてから官邸に入って行ったらしい…  そんな噂が国会前でも、スマホでツイッターを見ている人たちから広がる。彼が来るかもしれないとの情報は知っていたが、どこまで本当だかはわからない。曇った空の下、官邸方面を見上げながら、あっちのほうではそんなことが起こっているのか…と考える。
 田中康夫はいつものように白い風船を配って行ったというし、福島みずほなども来ているようだし… そんな噂が近くの人たちの口から聞かれても、だからといって、なにがどうかわるというわけでもない。デモや抗議行動の現場では、見通しがきかず、動きがとりづらいままの長時間を、ただ、とにかく耐える。これが一個人の現実だ。社会生活そのものの縮図ではないか。
鳩山由紀夫になにかが期待できるわけでもないと思うし、他の政治家たちにも同様。確かに政治家たちがこのデモの中に現われたとなれば、デモや抗議行動に別種の政治的な構造線が引かれることになる。しかし、民主党が政権を取った際に、唯一、人々の期待がかかった初代首相でさえ、あのようにあっけなく崩れて退陣したのだから、今後、合法的に脱原発の方向に政治を向けていくのが容易であろうはずもない。そう思いながら、シュプレヒコールの続く中、大音響の鳴り物の中、立ち続ける。

 風船にうまく紐をつけようとしたり、ガスを抜こうとしたりしていた時、はじめて、「さぃかどう、はんたい!、さぃかどう、はんたい!」と何度か、いや、何十回か、言ってみた。
大きい声ではなく、ふつうの声で。
もちろん、大声でこれを叫んでいる人たちの中では、響くどころか、誰にも聞こえない。それでも、まわりの人たちがふいにこちらを見たので、少しは周囲に聞こえたのだろう。高い声で言う人たちが多い中で、低音でふつうに言うと、周囲には、逆に耳につくかもしれない。
昨年の新宿などでのデモ以来、何度も一連の抗議行動には居合わせているのに、ふつうの音量以上で声を発してみたのは初めて。一度もない。このシュプレヒコールを咽喉に通すとどんな調子になるのかと、小声で試したことはあるが、それだけだった。
仕事柄、ふつうの人以上の大声を出せるのは知っている。大声を出すパフォーマンスもやって来た。しかし、それでも、大声で「さぃかどう、はんたい!」と言わないのは、日本の現状のあらゆる点について、自分の中に未解決な問いがたくさんあるからだ。ふつうの声で、しばらく唱和してみることならできる。だが、大声で「さぃかどう、はんたい!」とやれば、何か決定的な欺瞞を自分の中に生じさせることになる。大声で当然のように「さぃかどう、はんたい!」とやれる人たちへの違和感、齟齬は、私においては、無視できないほどに大きい。
もちろん、原発再稼働の問題性に自覚的でない人々には、さらに大きな違和感と反感がある。この落差が、私を毎週、首相官邸前に向かわせる。首相官邸周辺に集まる人々のほうが、集まらない人々(無視したり、原発に賛成したり、お高くとまって「民衆」の行動を論評だけするような人々)よりも、私の内面の政治性との差異がはるかに少ないためだ。
地震の危険の甚だしい日本列島で、無策のまま再稼働を各地で始めるのは愚行も甚だしい。しかも、現在の野田佳彦内閣の政治手法の粗雑さは、この国でぎりぎりのところで持ちこたえられていた輸入〈民主主義〉©U.S.A.の形骸化を加速している。時代の変化やインターネットやツイッターの普及によって質的に急変を遂げた政治空間の実相を無視したまま、強引な昭和ふうの政治を続けようとするアンシャンレジームであることを、野田佳彦内閣はすっかり露呈してしまってもいる。これに対してNONを表明するためだけでも、永田町や霞が関の路上に出る理由はある。たとえ、他の多くの点で、あそこに集まる人々と対立するのだとしても、この幾つかの点では意見は共有されており、共闘は可能であり、しかも、今はまさに、これらの幾つかの点で共同戦線を結ぶべき時点だと考える。だから、個人的には積極的に唱和したくはない「さぃかどう、はんたい!」の中へも、混じり入っていくのだ。

私にとって、「さぃかどう、はんたい!」と「てんのうへいか、ばんざい!」は、じつはあまりかわらない。君が代斉唱も同じであり、どこの党であれ特定の議員に「がんばれ!」などと声援を送るのも同じこと。「がんばれ、日本!」など、口が裂けても言えない。言わない。オリンピックで日本を応援したこともない。学生時代に母校の選手たちを応援したこともない。反吐が出る。そんなことを強要されようものなら、頭に血がのぼり、腹わたが煮えくりかえって、すぐにも相手に殴りかかろうとする。徹底的に手に負えない反抗的少年だったのを、そろそろ告白してもいいかもしれない。
再稼働反対派や原発反対派ばかりか、推進派や現状維持派の人々からも顰蹙を買うかもしれないが、いかなる派であれ、そんなセクト連中には背を向け続ける。
とにかく、いかなるものであれ、こう言いましょう、ああ言ってください、こんなふうに叫びましょう、などと強いられるのはご免こうむる、そんな人種がいるものだが、私は生来、そんなうちの強固なひとりである。

ボードレールやランボーの徒とでも言っておけばいいか。アルト―の血が流れているとでも言っておけばいいか。

まったく政治的でなかったかのように誤解されがちだが、ボードレールは二月革命の際に駆けまわっているし、革命家ブランキの中央共和派協会に入っていた。プルードンやクールベとも知っていた。ランボーも普仏戦争さなかの混乱したパリに繰り出している。マラルメでさえ、若き日は相当の過激派であった。
彼らと同列に自分を見なすわけでなど全くないが、抽象的にも現実的にも、〈自由〉なるものが少しでも損なわれそうな時には矯激な抵抗を示す者たちを詩人といい、詩人気質の人々という。詩の唯一の定義は、つねに、無制限の〈自由〉への永遠の志向性ということであって、詩人たちや詩の側に立つ人々は、この志向性のままに精神と言葉の危険な旅を続けるべく、ろくでもない地上にわざわざ下り立つ物好きどもだ。

私ごときの三文詩人が、この歴史的な乱にあたり、ひとりでも、抗議の群れの中に混じる。それだけでも、群れにはほのかな異様な色がさすだろう。さいわいなことには国家も三文国家、時代も三文時代であり、三文詩人が混じるには格好の舞台設定ではある。すべてが茶番の国、すべてがすぐに消えゆく定めの時代であるからには、小さな齟齬には拘泥せず、いつわりの演技も多分に混ぜて、旅の思い出を増やすに越したことはない。





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