2012年4月6日金曜日

『絵本合法衢』と鶴屋南北




 久しぶりに見る鶴屋南北の通し狂言だったので、国立劇場の四月公演『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』*は楽しみだった。初日三日の席が取れていたので、春の爆弾低気圧で荒れる隼町で昼から四時間ばかりを過ごした。もちろん、南北にはうってつけの天候である。入場の際、内堀通りに面した植え込みに低い桜が咲き出し、ピンクの早桜が満開なのを見た。夕方には暴風雨で吹き飛ばされているだろうと思ったが、こういうのも南北好みではある。


 この狂言は南北五十五歳の文化七年三月に江戸中村座で初演され、代表的傑作のひとつとされる。敵役の名人といわれた五代目松本幸四郎に、時代物の悪人と世話物の悪人の二役を同一狂言の中で演じさせようとの趣向が南北にはあった。好評を博し、同年五月には幸四郎が再演、同じ五月、市村座では七代目市川団十郎が大守俊行まで替わる三役を演じることで対抗し、文化七年の江戸を湧かせた。
 明治に入ってからは、二十年五月に東京春木座で市川九蔵(のちの七代目団蔵)が演じた。大正十五年の帝国劇場上演では、二代目市川左団次が演じ、皐月とお松を六代目尾上梅幸が演じたが、これについては小山内薫が「南北のエスプリをしっかり掴んでいる役者は誠に少い。私の見るところでは僅に左団次と梅幸だけがそれを掴んでいた。()黙阿弥になりはしないかと懸念されていた梅幸のうんざりお松が、立派に南北のエスプリを掴んでいたのには驚いた。四条河原から妙覚寺裏の殺しまで、一言一句、一挙一動、一分の隙もなく、南北であり初代豊国であった」と書き、評価している。
 昭和四十年十月の芸術座上演では、五代目以来の八代目松本幸四郎の二役、八代目市川中車による高橋兄弟二役、芝鶴の柵とお松二役、又五郎の林平とお道二役、与兵衛には六代目市川染五郎(現九代目松本幸四郎)という配役で、菊田一夫に招かれて松竹を去り東宝に移籍した後の、幸四郎一門にとっての傑作上演となった。


鶴屋南北の劇では、誰もが知るように、凄惨な殺し場の連続が楽しいし、縛る、いたぶる、拘束する、虐める、といった場面が楽しい。他の作者たちの歌舞伎狂言にも共通するが、意外な人物たち同士が実は血縁関係にあり、それによって筋書きが見事にご都合主義的に歪んでいくといういい加減さも、これまた楽しい。
しかし、なんといっても南北においては、これっぽっちの反省もしない徹底した悪役の活躍が楽しい。良心や善意、思いやりなどというものを一切持ちあわせない南北的悪役は、しばしば、金儲けのためとか、出世のためなどというケチな目的さえ超えて、ただ悪を研ぎ澄ますだけのために邁進していくかのようだ。南北の真骨頂である。悪人の大活躍する劇は楽しい。劇や物語というものと悪人との関係は、人道主義や道徳や民主主義社会などというものよりもはるか昔に深い絆を結びあった仲で、近現代の見え透いたうすっぺらな倫理などでは太刀打ちできない。南北はこのことを骨の髄から知っていた。世間の人間模様を写す写実精神や、庶民の良心、喜怒哀楽、社会正義、花鳥風月などを至上のなにごとかと奉じて、それらによろしく言語や物語を奉仕させるようなことは断じてせず、ご都合主義、奇想天外、どんでん返しのとんでもない物語展開のためにこそ、それらを適宜使いこなす、あるいはいい加減に使いまわして最後に捨てる、こんな胸のすくような傍若無人の我がままぶりが披露されるのが、大南北の舞台というものである。ここにあるのは、文学でもなく、文化でもない。ただ、大車輪で回転し続ける劇があり、物語がある。劇も物語も、本来、人間性をつねに串刺しにし、切り刻み、これでもかといたぶり、嘘混じりかいっそうの未来的巨悪への誘導として世間で拵えられる希望だの安全だの喜びだのといった近代の玩具の外へと、遠く遠く逸脱し続ける性質のものである。南北とて完璧ではないながら、しかし、糞食らえ、人間、社会、なにするものぞ、という見得が全編を覆っている。舞台であれ、本であれ、南北に触れ続けること、それがかなわずとも、時々は南北のほうを見返ってみること、そうして、ちまちました近現代社会のおままごと染みたお作法を脳髄からクリーニングするのは、たぶん、物語やフィクション好きには義務というべきものであり、幸運でも恩寵でもある。


今回の四月の国立劇場での『絵本合法衢』上演(歌舞伎は上演のたびに台本に手が加えられるので、二〇一二年四月国立劇場版とでも呼ぶべきだろう)でいちばん面白かったのは、大詰の最後の第二場、狂言の終わりの瞬間だった。高橋弥十郎とその妻皐月が、兄と弟のかたきである左枝大学之助を討ち取る。とどめもさして、めでたく仇討ちはなったかと見え、このまま幕が引かれて劇も終わるかと見えた時、ふいに、殺されたはずの左枝大学之助が立ち上がり、客席に向いて坐り直し、合法こと高橋弥十郎とその妻皐月も、それぞれ、左枝大学之助の両脇に坐り直したところで、左枝大学之助が一言、「先ず今日はこれ切り」。三名、客席に向かって頭を下げ、ここで幕となった。
この終わり方にはいろいろな意味合いや面白味がある。仇討ちが済んだところで、殺された側がくるりと立ち上がり、殺された側とともに客に向かって終劇の挨拶をするという趣向は、そこまで展開され演じられてきたものがまさに劇であり、劇に過ぎず、フィクションでしかなかったということをまざまざと見せつけるもので、見ている客の側としては、すべてが夢であったかのような感覚にはっきりと落とし込まれる。
幕を引くこともなく、舞台にいるままの役者たちから劇の終わりが宣言されることによって、劇中人物と生身の役者との区別がつかなくなってしまうのも面白い。劇の終わりの挨拶をしているのが、つい今しがたまで、劇中人物として物語を生きてきた左枝大学之助なのか、それとも演じてきた片岡仁左衛門なのか、高橋弥十郎なのか市川左團次なのか、弥十郎の妻なのか中村時蔵なのか、わからなくなる。これは、しばしの間、不注意から観客の意識に起こった混乱でうっかりわからなくなってしまう、というようなものではない。役者の固有性が強く押し立てられることで成立している歌舞伎においては、左枝大学之助は片岡仁左衛門が演じていて、片岡仁左衛門=左枝大学之助であって、舞台上でいま悪行を行っているのは左枝大学之助だが片岡仁左衛門であって…という、ふたりの人物を同一身体に同時に捉え続ける操作が、他の演劇や映画以上に観客に求められ続ける。物語の進行過程においては、観客は、どちらかといえば、作中人物の左枝大学之助として眼前の身体を捉えるものの、しかし、「ここの場所での仁左衛門の演技はいい…」などと随時思うわけで、役者の同時存在を忘れる瞬間はない。そうした数時間を経て後、突然、殺された作中人物が起き直り、物語中の人物にふさわしいセリフではなく、劇の終わりを告げるという物語の枠組み自体に関わるセリフを言うのだから、作中人物が担ってきてその人物なりの意味の沁みている時間と、役者が担ってきて役者なりの意味の沁みている時間との混乱が、ここでは意図的に企まれていると考えねばならない。しかも、セリフが「先ず今日はこれ切り」というのだから、役者が本日の興行の終わりを告げたともとれるし、作中人物の左枝大学之助が、今日のところはここまで見せるが、まだまだ負けたわけではないぞ、と告げているともとれる。昭和四十二年三月国立劇場上演台本の『桜姫東文章』**などでは、狂言の最後、とってつけたように口上役が登場し、「東西。春の夜もおいおいに更けますれば、先ず今日はこれ切り」と言い、それにあわせて鳴物があらたまり狂言の終わりとなっているが、他の作品のこのような終幕を思い出せば、仁左衛門がここで、大学之助でも仁左衛門でもない口上役を演じているとも考えられる。
そもそも、鶴屋南北の狂言では、悪人はやすやすとは滅びない。彼らが滅びるまで、息の根を絶たれるまでを、南北は描かない。最後のぎりぎりのところで、決戦が先送りされるかたちで幕となったり、止めをさす直前で幕となったり、不利に追い込まれながらも逃げおおせて、いずれ再び――、となることもある。悪というものの地上での不滅を象徴してでもいるのか、それとも、「悪源太義平」などという時の古語、気性が激しく、強く、勇猛である性質を表わすプラスの意味での「悪」に繋がるエネルギーを象徴しようとしてでもいるのか、これが南北における悪人の特色で、勧善懲悪の紋切り型などどこ吹く風、と秩序維持に徹する体制側の精神をひょいひょい裏切り続けていくところが痛快無比である。そんな南北の狂言だからこそ、『絵本合法衢』の終わりにおける「先ず今日はこれ切り」によって、やはり南北的悪人は逃げのびるということか、お次はべつの南北作品にて乞うご期待ということか、と楽しく空想させられることになる。
今回の『絵本合法衢』の上演では、舞台上の片岡仁左衛門の身体に、役者本人と劇中人物の左枝大学之助とが重ねあわされているだけではない。仁左衛門は、一人二役で立場の太平次なる左枝大学之助配下の市井の悪人も演じているから、仁左衛門の身体には都合三人分の人物が重ねあわされていることになる。これは南北に限ったことではないが、一体の身体に複数の人格やアイデンティティーが重なってきて、これらが入れ替わり立ち替わり表に現れ出て来るというのは、歌舞伎の重要な構造の一部となっている。近現代社会が個人の身体に強要してくる一人格、一アイデンティティーなど、歌舞伎は根本から受け入れてはいない。近現代社会が畏怖するような多重人格を軽々と受け入れて成立する舞台空間が歌舞伎にはあり、逆にいえば、近現代社会をどのように根本から破壊しうるかについては、歌舞伎の適切な分析と理解とが大いに寄与しうるところということになろう。


手もとにある東京創元社版『名作歌舞伎全集』第二十二巻(一九七二年発行)所収の『絵本合法衢』昭和四十年九月芸術座上演台本(大谷図書館蔵)***では、終わりはこうなっている。

合法  サテこそな。イザ大学之助、尋常に勝負しろエヽ。
大学  やあ、勝負なぞとは何のたわ言。香炉を盗まれ、
あまつさえ菅家の一軸失う罪人、屋敷へ引っ立て
糾明するわ。それ。
ト供大勢、かゝる。
合法  やあ、兄瀬左衛門を打って一軸うばいし大学。
大学  瀬左衛門を打ちしは小島林平。
この上主に刃向かうのか。
合法  サ、それは、
大学  証拠があるのか、
合法  オヽ、その証拠こそ、
ト立つを、からみ、
搦み  それを。
トかゝるを立ち廻って、からみの切りし自在より
出でし竹槍をもちて、ツカツカと大学之助のそばへ行き、
合法  この手槍。
大学  なんと。
合法  瀬左衛門、横死のみぎりおちたる手槍、紋はたしかに向う梅、
大学  やあ。
合法  こりゃどなたの御紋でござりますかな。
大学  ぬ、もうこの上は、
ト両人、派手なる鳴物にて、立ち廻り、
トヾ、閻魔の首にからんで、
絵面にきまりし所にて、

よろしく幕

 ずいぶんと違っているが、こちらのほうが南北劇のオリジナルな幕切れの風合いを伝えている。大学之助は切られていないし、これからいよいよ決戦、というところで幕切れとするのなど、他の南北作品に共通している。悪人が捕まったり、殺されたり、仇討が成就したりというところまで進めず、そのギリギリ手前で劇を終える。この、突き詰めずにとりあえず終える、「先ず今日はこれ切り」という終わり方をしておくスタイルは、鶴屋南北作品における刻印というべき、ゾッとするほど魅力的な美学の露呈した部分であり、これを以て各作品を〆る所作は、そのまま、南北の思想そのものであるといっても過言ではない。
大学之助の「やあ、勝負なぞとは何のたわ言」というセリフにも、悪人の面目躍如たるものがある。正々堂々とか、偏りのない判定とか、そんな小うるさい考えがついてまわる「勝負」なるものなど、悪人はしない。彼らはまったく別のパラダイムにおり、社会秩序や倫理規範などに馴染む小市民とは別個の運動体なのである。
 

 終わり方といえば、『東海道四谷怪談』****の終わり方ほど印象深く、効果的、夢幻と緊張の極みに達したものはない。

二人  捕った。
ト伊右衛門に打ってかゝる。
抜き討ちに二人を切って捨て、
伊右  その手は喰わぬ。おれもそうとは、
平内  ソリャ。
捕手  捕った捕った。動くな。
ト踏ん込むを、切り捨て切り捨て、
見事に残らず切り立てる。
組み子の後より赤合羽、菅笠、
仲間体(ちゅうげんてい)の者が
交り門口に窺っている。伊右衛門、身拵えをし、
伊右  死霊の祟りと人殺し、どうで遁れぬ天の網、しかし一旦遁れるだけは、
ト門口へ出かけるところを、表より雪を礫に打つ。
心得て白刃を抜く。合羽の男、脱ぎ捨てる。
佐藤与茂七にて、両人ちょっと立ち廻って、
キッと見得。
与茂  民谷伊右衛門、こゝ動くな。
伊右  ヤヽ、わりゃ与茂七、なんで身共を、
与茂  女房お袖が義理ある姉、お岩が敵の其方ゆえ、この与茂七が助太刀して、
伊右  いらざる事を。そこ退け佐藤。
与茂  民谷は身共が、
ト立ち廻る。これより薄ドロ、陰火燃えて、
伊右衛門を苦しめ、立ち廻りのうち鼠数多現われて、
伊右衛門の白刃にまといつくゆえ、思わず白刃を取り落とすを、
すかさず与茂七、伊右衛門に切りつけ、立ち廻り。
これにて成仏得脱の、
伊右  おのれ、与茂七。
ト立ちかゝる。ドロドロ、心火と共に鼠むらがり出で、
伊右衛門を苦しむ。与茂七、付け入ってキッと見得。
ドロドロ烈しく、雪しきりに降る。
この見得にて、よろしく。

              幕


 ここでも、日本文芸至上最大級の有名な悪人、民谷伊右衛門は、討たれぬまま、劇は終わる。窮地に追い詰められ、もう逃げおおせることはできまいと思われるものの、それでも、鼠や人魂に苦しめられながらも、与茂七になおも立ち向かおうとする。善人と悪人の力の拮抗したまま、歌舞伎絵に恰好の見得となり、そこへ、「雪しきりに降る」。
 なんどか見た舞台で、この最後の場面にいったい何が起こっているのか、あの異様な魅力はなにか、見定めよう、見定めようとして、舞台の上に目を凝らし続けてきたものだ。もちろん、三島由紀夫や渋澤龍彦に愛されたあの天知茂の起用によって、歌舞伎の舞台以上の色悪をスクリーンに出現させた中川信夫監督作品『東海道四谷怪談』(1959)をも含めて。幾度か舞台を見、映画を見た後では、台本だけを読みながら、自分の舞台を思い描き、自分なりの演出もそこで行い続けてきたものだった。
 この国に生まれ落ちて以来、ひしひしと肌に感じてきた、日本というものの奇妙に曖昧な、酷薄な、ついに信じることのできない空気、人心。鶴屋南北はそこのところをギュッと鷲掴みにしていて、そこから物語とドラマを発動させている。その粋が『東海道四谷怪談』であることは論を待たないが、南北が文政八年七月の江戸中村座のために書き下ろしたこの作品の余韻の中で、その後の日本のフィクションと文芸は、かろうじて、雨露を凌いできたのではなかったかとも思う。鶴屋南北の外へなど、おそらく、我々は一歩たりとも出たことはなかったのである。




*国立劇場開場四十五周年記念2012年四月歌舞伎公演『通し狂言 絵本合法衢』四幕十二場。四世鶴屋南北作、奈河彰輔監修、国立劇場文芸課補綴。配役は、左枝大学之助+立場の太平次に片岡仁左衛門、うんざりお松+弥十郎妻皐月に中村時蔵、高橋瀬左衛門+高橋弥十郎に市川左団次、田代屋娘お亀に片岡孝太郎、田代屋与兵衛に片岡愛之助、松浦玄蕃に市川男女蔵、お米に中村梅枝、佐五右衛門に片岡市蔵、孫七に市川高麗蔵、田代屋後家おりよに坂東秀調、太平次女房お道に片岡秀太郎など。
**東京創元社『名作歌舞伎全集』第9巻(1969)所収の郡司正勝校訂版による。国会図書館写本と『大南北全集』による補修改訂版。
***落合清彦校訂版。
****東京創元社『名作歌舞伎全集』第9巻(1969)所収の郡司正勝校訂版による。演劇博物館所蔵台本を使用し、『大南北全集』と岩波文庫版を参照したもの。



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