2012年7月6日金曜日

アルディ、「水に描く輪」、「波紋」、「水切り」、長尾高弘さん、「女」性の怖さ…



女神なんてなれないまま私は生きる。
(『新世紀エヴァンゲリオン』
オープニング曲『残酷な天使のテーゼ』)



フランソワーズ・アルディの1968年の歌《Faire des ronds dans l'eau》は、これまで『水の中の環』というタイトルで訳され、親しまれてきた。それを『水に描く輪』とし、内容もかなり変更して訳してみた。最後の部分には原詩にない連もくわえて、翻案を行った。*
 ウィリアム・ブレイクの翻訳者でもある詩人の長尾高弘さんから、すぐに次のようなメールが来た。正しい把握と長尾さんのはっきりした考えが披歴されている内容なので、私信ではあるが、一部を引用させていただく。

〈今日の訳詩、Faire des ronds dans l'eau というのは何かなということを私も考えました。
駿河さんは、指や棒で描くとも水面に描く波紋とも書かれていましたが、やはり石をぽこんと投げると波紋が立って同心円状になる、あれなんじゃないかと思いました。
水に石を投げて遊ぶというのはきわめて内向的な感じの行為ですが、その内向的な行為が逆に人々に波紋を呼んでいく。
他人に見せることを意識したスタントプレーではなく、自分に忠実に投げた言葉の方が人を動かすと言いたいのではないかということです。
言っている相手は、既成の政治家で、石を投げるのは自分たちの側(水でなく、警官隊などに投げていた訳ですけど)。しかし政治家にも自分たちと同じ原点があったのではないかと言っている。
つまらぬ読みかもしれませんが、フランス五月革命を意識した歌であれば、かなり明確な意図があると思います。
そして、糾弾している相手にも、もとはこっちにいたんだろ、という言葉を投げかけることに詩があるとも思います〉。

正しい理解だと思う。フランス語でもfaire des ronds dans l’eauというのは「水面に波紋を描く、波紋をつくる」という意味で用いられる。語学的にも、男の子や少年の行動についての常識的な理解においても、長尾さんの言う通りだと思う。ただ、石を投げて波紋を作るだけでなく、棒や枝で水を突っついたり、掻きまわしたりという動作も、やはり含めておいてよいだろう。
翻案する時には、いろいろなやり方が考えられ、迷ったものだった。ひとつのテキストにまとめざるをえないので、結局、男の子が小川で水に(指や棒や木の枝で)輪を描くというイメージを採ることにした。そうしたのは、このイメージに、どういう意味かはっきりしないところが最後まで残るからで、いわば、このイメージの意味作用の曖昧さ、わからなさを維持したいと思ったためだった。

             *

曖昧さの残るこうしたイメージを残そうとしたのは、ヨハネ福音書8章にあるイエスの行為が心にかかっていたからでもあった。姦通した女を裁くよう、律法学者やファリサイ派たちがイエスに言う場面である。まったく違う話に飛ぶようだが、聖書のこの場面でイエスが指で地面になにかを書く姿は、私の中では、アルディの歌の「水に輪を描く」イメージのすぐ隣に位置している。大幅に話がずれるのを承知で、聖書のこの箇所を見直しておきたい。

《イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」》(新共同訳)

イエスはいったい、地面になにを書いたのか。砂や土や石の上に、後が残るかたちで文字を書いたのか。絵か。記号か。それとも、固い地面に、文字も絵も記号も残らないような条件下で書いたのか。
イエスが書いた内容を誰かが読んだという記述がないので、見えないものをイエスは書いていたのではないか、と思われる。
このイエスの姿、このイメージは、新約聖書の中でも最も好きで気になる箇所のひとつだが、私の連想の中では、ここから、アルディの「水に輪を描く」イメージへとすぐに連動していくことになり、そのために訳文も、いくらかそれに近づいたものとした。偏愛するイメージからそれに類似したイメージへの連鎖を作りたかったということだろう。勝手といえば、勝手なものである。
ここでイエスが書いていたものはなにか。謎である、というシンプルな解釈(というか、解釈放棄)も多い。しかし、当時のローマ総督による刑の判決文が、原告側と被告側の面前で書かれたのを前提とすれば、律法学者たちがローマの権力を悪用してイエスを陥れようとしたこの場面では、イエスは総督の所作を模して、イエスならではの赦しの判決文を書いたのだ、という解釈もある。989年頃のアルメニア写本によれば、「イエス自身が地面に屈みこんで、彼らの罪を書き連ねていた。彼らは、自分の罪が石に書かれているのを見た」とあり、ぐっと鮮明な描写となる。「彼らの罪」とは、姦通した女をイエス告訴の道具にしようとしたことでもあろうが、イエスが人間ひとりひとりの人間的霊的な全過去と全意識を見通せる能力を持っていた以上、今生ばかりか、あらゆる転生輪廻をふくめての期間の中で、これまで彼らが犯してきた罪のすべてを、ということにもなるかもしれない。
アルディのポップスの歌詞を考えたり訳したりするのに、聖書中の問題個所まで考えなければならないいわれはないので、イエスの行為に触れ続けるのは、このあたりでやめておこう。

             *

さて、アルディの歌のほうに戻るが、もう少しはっきりしたイメージで、男の子が一般的にやりそうな行為をもっと反映させた解釈を採るならば、小川に石を投げたり、石で水切りをやってみたり、棒でさざ波を立ててみたり、という動作を元にして意味をとったり、訳したりしてみるのがいいのだろう。そうすると、タイトルをズバリ『波紋』としたり、『水の輪』としたりして、次のような翻案ができる。
ただ、イメージを水切りに限ってしまうのは、やはりふさわしくないだろう。フランス語では、水切りはfaire des ricochetsをふつうは用いる。映画『アメリ』の場合にも、アメリが好きなことのひとつだった、パリのサン=マルタン運河での水切りのことを、《faire des ricochets sur le canal Saint-Martin》と表現していた。



小川のそばではじまった
あなたの人生

川のさざめきで育ったのよね

葦のあいだを流れ
道を上っていき
雑木林を抜けていく
さざめき

風車のはねや
正午の鐘の音も
微笑んでいた

小鳥の歌声も
はっきり
聞こえていて

遊んでいたわね
あなた
小川を棒で掻きまわしたり
石を投げたり
水切りしたりして
波紋をつくりながら

いまは もっと
騒がしい水の中を
さまよっている
あなた         
熱を入れ
揺れ動いて

でも 愛は、どこ?

野望には野望の掟
野望は宗教みたいなもの
望んでいるのよね
あなた
自分の声で
喧騒を治めてやろう、って

愛されたいのね
みんなに
ちょっとした
ヒーローみたいに

水に波紋を作って
楽しんだり
水切りで
波紋を
次々きれいに
作れるはずの人なのに
あなた


いるわね
確かに
背後からあなたのことを
見ていてくれる人たち
たくさん

でも
考えておいて
あなた
川に石を投げたり
水切りをしたりしたら
みんなに思われるかもしれない、って
バカじゃないか、こいつは
村きっての
バカ者だったんだな
こいつ、って

そうしたら
だれが残るかしら
あなたに

あなたが
水面に波紋を作りたい時
いっしょにいて
あなたを見続けるのは
だれ?
できていく波紋を見るのは
だれ?

次々と
波紋を作りたいような時

あなたと


 こんな翻案があってもいいし、こちらのほうが現実的だろう。波紋とか、小川への石投げとか、水切りなどをはっきり出してきたからといって、意味の広がりが減ってしまうというわけでもない。この翻案も、手製のべつのバージョンとしてとっておくことにしよう。

 付記しておけば、原詩の「Tu voudrais que l'on t'aime / Un peu comme un héros / Mais qui saurait quand même / Faire des ronds dans l'eau」のところに、「saurait」という条件法現在が使用されているが、ここがポイントでもある。「あなたは人々に愛されたいんでしょうね。ちょっとヒーローみたいに。それでもやっぱり、状況次第ではfaire des ronds dans l'eauができる人、やれる人、それをするすべを知っている人。(そうじゃない人とはぜんぜん違うのよ、あなたは)」というわけで、場合によってはこの行為をすることができる、その能力がある、すべを知っている」と書かれている。そうなると、棒で小川を突っついたり掻きまわしたり、石を小川に投げる程度のことはだれでもできるから、それ以上のことだろうか、ならば、やはり、水切りがうまい、というようなことだろうか、と、またもや考えさせられる。
 もちろん、水切りのような技術的なものが要求される遊びができる、できない、ということだけでなく、水や、水面にできる波紋をひとりで楽しむことが「できる」という意味あいも考えられるわけで、そうなると、棒で水を掻きまわしたり、石を小川に投げるような動作も、やはり含まれてくることになる。

             *


長尾高弘さんのメールを冒頭に引用したが、そこに表われた彼の考えについても、もう少し見ておきたい。
長尾さんは、
「水に石を投げて遊ぶというのはきわめて内向的な感じの行為ですが、その内向的な行為が逆に人々に波紋を呼んでいく。
他人に見せることを意識したスタントプレーではなく、自分に忠実に投げた言葉の方が人を動かすと言いたいのではないかということです」
こう言っているが、含意の深い美しいことを、短く、うまく言っている。私は、かならずしも、「水に石を投げて遊ぶ」ことが「内向的な感じの行為」とは思わないが、少なくとも、対象が他人ではないことや、ましてや、先に見た聖書の記述のように石打ちの刑の対象となった人間でもないのだから、社会的な行為や、社会的な効果を意図しての行為でないのは確かなところだろう。
それが「逆に人々に波紋を呼んでいく」と考えられているところが、独特とか独自とかいうのでなく、正確な理解であり、正しい思考だ、と私には思える。「他人に見せることを意識したスタントプレーではなく」と続くところから、長尾さんが、言語などによる表象表現を特に念頭において語っているのは明白で、日頃、詩人として、社会や歴史の現在の中でどういう言葉を紡ぐべきかを考え続けている人ならでは、と感じる。「スタントプレー」の言葉ばかりに辟易し、「他人に見せることを意識した」行為者たちばかりの世間で、そういう人々の隙間にできる空間から、たとえば「雲」を追おうとしたり(「ぼくは雲が好きなんだ… 過ぎていく雲、ほら、あそこ、あそこにも… すばらしい雲!J’aime les nuages...les nuages qui passent...là-bas...les merveilleux nuages !」:ボードレール『奇妙な人L’étranger』in『パリの憂鬱』)、あるいは空の紺碧の青さに魂を繋ごうとしたり(「私はとり憑かれている。青!青!青!青!Je suis hanté.L’Azur! L’Azur! L’Azur! L’Azur!」:マラルメ『紺碧の青L’Azur!』)、あるいはさまざまな意味での「海」との出会いを希求したり(「海に出逢えるという望みとともに、いつもToujours avec l’espoir de rencontrer la mer」:マラルメ『不運Le Guignon』)している私たちの心に繋がるものでもある。
「自分に忠実に投げた言葉の方が人を動かす」という表現は、アルディの歌の歌詞の意味を考えながら、途中で、通りすがりに、ついでに、自分の主張を正面からあからさまに述べ立てるといったかたちをとらずに、脇から、偶然のようにフッと出たものだが、この表現が私には嬉しいし、メールというかたちの中に並べられた長尾さんの言葉が、ひょいと取った詩、志、…の姿勢(…ここで、私は、詩、という語に括弧をつけない、…)に、打たれるようでもあり、爽やかな覚悟にこちらも澄んだ水を浴びたようであり、快かった。
自分に忠実に言葉を発する、言葉を投げる…、と言ってみるのは、さらにいえば、祈りのようなものだろう。私たちは、「自分に忠実」とはどういうことか、じつは、誰も知らない地点にいるからだ。

            *

 アルディの歌について、もうひとこと言っておきたい。
 恐ろしい歌、ということだ。
 女性であるこの語り手は、どうやら、「あなた」を幼い時からよく知っていて、見続けてきていて、「あなた」がどうあるべきか、「あなた」の本質はどうなのか、世間の人々が「あなた」を離れていくような時でさえ、自分は傍らにいて、水切りで描かれる波紋を「あなた」とともに見続けると言いたげなのだが、この語り手はいったい誰だろう。どのような女だろう。しかも、「でも、愛は、どこ?」などと、鋭い質問さえ「あなた」に向けるのだが、基本的に高所に立って「あなた」を透視的に見るこのスタンス、この自らの優位への疑いのなさ。
 この歌を、端的に、女というものの恐ろしさや根源的な支配欲を如実に表現している歌としても見ておきたい気持ちが、私にはある。「野望には野望の掟」があるなら、女にとっての最大の野望である「愛」、女がそれとなく差し出し、やがてごり押ししてくる「愛」なるものにも、やはり「掟」があるのだ。「母性」と安易に呼ばれてしまいがちな去勢装置に敏感でない人間なら見落とすかもしれないが、世間の政治空間どころでない、より根源的な「政治」が、アルディのこの歌の中には網を広げている。男の子が、もっと「騒がしい水の中」をさまようのを望むのは、こうした「女」性、「母」性から逃走を図ってのことかもしれない。
 こういう視点、思い込みに立って自分を見続ける女、―それが母であれ、姉であれ、幼馴染の親しい女であれ―、そういう女には断じて見えない、理解できない領域を、精神の自由を求める男の子たちは拓こうとするだろう。ある人々にはそれは政治空間かもしれないし、ある人々には戦争空間かもしれない(「戦争がなくなったら、私はどうやって生きていけばいいのだ!」と叫んだらしいパットンのことが思い出される…)。サドのような文学者には、それは文学空間であったかもしれないし、ケン・ラッセル**のような映像家には、映像空間がそれであったかもしれない。もちろんイエスには、それは聖霊空間であっただろう。
 詩がそれである、という人物がいてもおかしくないわけだ。



                  
(註)
*水に描く輪 [先に行った翻案]



小川のほとりではじまった
あなたの人生

川のさざめきで育ったのよね

葦のあいだを流れ
道を上っていき
雑木林を抜けていく
さざめき

風車のはねや
正午の鐘の音も
微笑んでいた

小鳥の歌声も
はっきり
聞こえていて

遊んでいたわね
あなた
水に輪を描いて


いまは もっと
騒がしい水の中を
さまよっている
あなた
熱を入れ
揺れ動いて

でも 愛は、どこ?

野望には野望の掟
野望は宗教みたいなもの
望んでいるのよね
あなた
自分の声で
喧騒を治めてやろう、って

愛されたいのね
みんなに
ちょっとした
ヒーローみたいに

水に輪を
描けるはずの人なのに
あなた


いるわね
確かに
背後からあなたのことを
見ていてくれる人たち
たくさん

でも
考えておいて
あなた
水に
輪を描いたりしたら
みんな思うかもしれない、って
バカじゃないか、こいつは
村きっての
バカ者だったんだな
こいつ、って

そうしたら
だれが残るかしら
あなたに

あなたが
水に
輪を描きたい時
いっしょに
いて
あなたを見続けるのは
だれ?

水に輪を
描きたい時

あなたと



**Youtubeの《An ode to Ken Russell》は見事にケン・ラッセルの精神を凝縮してくれている。おお、昨年逝去されたわが師よ!


2012年7月3日火曜日

絆なし、連帯なしの首相官邸「大飯原発再稼働反対」デモ




6月29日金曜日、首相官邸周辺での「大飯原発再稼働反対」を旨とするデモの中に、現場に集まった人々の流れの中にいた。

絆などで結ばれてはいない人々、連帯など全くしていない人々が、ぽつぽつと単独に、個としてたくさん集まってきた、という印象があった。
デモを組織し、数カ月にわたって地道に行い続けてきたスタッフたちには、もちろん彼らの間の連帯も絆もあるだろう。そこへ外部から加わってきた人びとにも、家族や友人どうしという程度のつながりはあっただろう。しかし、7月に入って急に増えた参加者たちは、そうした絆や連帯につながっているわけではない。あれだけの多数の人々を首相官邸に呼び寄せたのは、今の日本社会の中での一個人として、とにかくなんらかの動きを示すほかないという切迫した感情に違いない。互いに他人であり、見知らぬどうしであり、もちろん趣味も考えも違っていて、多くの点で感受性も価値観も違っているだろう。そういう人々が、金曜日の夕方、仕事が終わってからわざわざ首相官邸に押し寄せなければならないと感じ、やってきた。そう見えた。
ここのところが画期的だった。絆なし、連帯なし。それでも、しかし、たくさん集まる。デモというものの性質上、即効性はないだろう。だが、長期的には、社会の中で孤立している個人たちの意識への浸透力は強いものになるだろうと思えた。政治も社会も、表面だけで成り立っているわけではない。水面下、地中というものがある。そのレベルで広がっていく類の現象が始まっていると感じた。

何人ほどが集まったのか、現場にいるとよくわからない。人は止まっておらず、たえず流れ続けている。後から後から来る。どんどんと進んで、歩き去っていく。そうかと思うと、ガードレールや塀ぞいに何層かになって立ち止まり、様子を見守る人々もいる。
比較的自分に近い、視野に入るかぎりの広がりの中で1万人ほどはいるのではないか、と思えた。目に入らない離れた場所もある。それらを入れると、3万人はいてもおかしくない。デモ終了後のニュースで報道ステーションでは4~5万人と見積もったが、これに近いかもしれない。警視庁発表では1万7千人だが、これは少な過ぎる。産経の2万人弱も、部分的な人数を数えた程度。主催者発表は15万人、TBSでは20万人、朝日新聞では15~18万人だが、そこまでいくと、はたしてどうか、盛り過ぎではないか、と疑問もわく。
いずれにしても、前の週の22日にあった同じデモの人数よりかなり増えたのは確からしい。22日の参加者は、警視庁発表で1万1千人ほど、主催者側やデモの参加者の側からの発表では4万人とも5万人とも伝えられていた。警察ふうの辛い数え方をしても、少なくとも6千人は増えたことになる。

 18時からデモが開始されるというので、永田町駅に18時過ぎに着いた。あたりの雰囲気を感じたり、次第に中心部へ向かいながら様子を見ていこうと思って、わざと、ぐるりと国会議事堂をまわり、遠まわりしてから首相官邸方面へ進んだ。夕雲のきれいな空には月が浮かび、ヘリコプターが数機飛んでいる。広瀬隆の手配したものがあれか、向こうのは岩上安身のか、などと思いながらデモの中心へ近づいていく。
明るいうちから人出は多かったが、まだ歩いて移動しやすかった。暗くなるにつれ、人数は急速に増え、歩道のデモの流れに身を任せ、向こう側の様子を見たりしているうちに、いつのまにか動きづらくなってしまった。
「さぃかどう、はんたい!さぃかどう、はんたい!」のかけ声が、進んでいく人たちからも、止まって見守る人たちからも発せられ続ける。これはシンプルでいい。「さぃかどう」と誰かが言うと、それに続いて他の人たちが「はんたい!」と付けて言える。簡単ながら、応答のかたちで声が続いていく。いろいろな言い方、太鼓の音とともに、あるいは笛の音とともに、生声で、拡声器でと、方々から発せられる。ペルーの笛のようなものを吹いている人もいれば、日蓮宗の団扇太鼓を叩いていく人たちもいる。
横断幕に「紫陽花革命」と書かれたものも散見されるが、手製の幟、プラカード、A3版からB4判やA4判程度のオリジナルな小ぶりのプラカードも多種多様、太字で明快なものから、ずいぶんと意匠を凝らした絵や文字もあって、よくもまぁ、たくさんの人たちが、各人、こんなに頑張って工作して…と驚かされる。小さい子たちをつれた若い夫婦も多い。短パン、Tシャツの若い父親が胸に赤ん坊を抱いて、子供の背にプラカードを持って歩いていたりする。お祭りの行進のように遅々として進まない流れに、逆に楽しくなってはしゃいでいる子たちもいる。制服姿の学生たちもいる。
集まった人びとは歩道にぐんぐん進み続けて、やがて身動きできなくなって…と、そのうち、車道にぽろぽろ出て行く人たちが増え始め、しばらくすると、警官たちが車道の車の流れを止めて迂回させ、人びとが車道に出られるようにしてしまった。昨年に新宿などのデモで見たのと違い、警官たちの言動は丁寧だし、デモ参加者たちの無事への配慮がまず感じられる。今回のデモが、左翼系や組合系の組織したものでないことが大きいのかもしれない。
どこを見ても、目立つのは家族づれであり、夏のシンプルな格好の女性たちであり、おばさん達であり、ワイシャツの仕事帰りの人々であり、とっぴな格好をしている人たちがいても、ここぞとばかりオメカシしてきたお祭り参加者といった様子である。外国人たちもぱらぱらと参加している。外国人ジャーナリストたちも縦横無尽に歩きまわっている。「再稼働反対!」のプラカードをつけて自転車で疾走していく人たちもいる。「再稼働反対!原発反対!」の文字を車体に描いてゆるゆる進んでいく車もある。進まなくなった車列の中で、周囲の「さぃかどう、はんたい!」にあわせて、クラクションを鳴らし続けるトラックもある。中には、「右から再稼働反対!」という右翼の自動車もあった。後で聞いたところでは、セックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」をかけていたらしい。
平成24年の日本で、とりどりのこうした人びと、車、自転車、警官たちなどが一所に集結してひしめく光景というのは、これだけでも一見に値する。十分に事件である。
意味は後で考えればいい。解釈はいくらでもこねくり回せる。まずは見ておくこと、まずは現場にいること。そして、空気を感じ、野田佳彦が「大きな音だね」と評した、たくさんの人々が発し続ける声に、拡声器の声、楽器、太鼓、笛、クラクションまでが混じる、確かにたいへんな音響のかたまりの連続する2時間の中に身を置き、偏向報道しかしない新聞やテレビが報じる以前の、原風景そのものの一部になっておくことだ。

時間はすぐに過ぎ去り、20時になる。主催者側から、時間になったのですみやかに解散してください、との声が飛ぶ。あちこちの人びとがこれに従い、さっぱりと引きはじめていく。246ではなかなか人びとが引かず、集まっていたが、また来週に集まりましょう、との主宰者側からの呼びかけに答え、拍手が起こって、ようやくお開きになった。あとは、サ~ッと引いていく。あっさりというか、素直というか。

帰宅後、ツイッターなどを見ていろいろな意見を読むと、非暴力的でよかった、平和的でよかった、警察と衝突しないでよかった、などといった声がある一方、こんなヤワイ抗議をいくら続けても政府や電力産業体はビクともしない、首相官邸に突入すべきだった、これでは見くびられて、むこうの手中に落ちているだけ、といった意見も多く出ていた。

過激に政府機関への突入を行ってみても、今の段階ではその後が続かないだろう。警察はもちろん警備をさらに強化することになるだろうし、直接間接にいろいろな方法を用いて、デモそのものを阻止してさえくるだろう。実力行使を続けていくには物理的闘争の方法論や論理が必要だが、何十年ものあいだ平和ボケに徹してきた日本にあって、普通の「市民」や「国民」や「生活者」のひとりひとりの側にはそんな準備はない。求めるとすれば左翼の側へそれらを求めていくことになるが、そうなれば今回の動きを左翼運動に落とし込んでいってしまうことになろうし、左翼の側にしたところで、けっきょくは古い方法論しか持ちあわせがない。現政府に立てをつく動きを封じ込める論理と方法論の持ちあわせについては、いくら野ダメ政府とはいえ、「市民」側に比べれば政府側にやはり一日の長があり、容易に「市民」側は潰されることになろう。実効性が薄いとみえても、道路交通の安全の維持を旨とする当面の秩序維持を担う警察を尊重し、時間も限って、お利口に、秩序正しく、しかし、くり返し抗議行動を行っていき、そうしながら個人の意識レベルでの拡散と浸透を目指していくほうが、長いあいだには真の実効性を持っていくことになるだろう。
警察をデモ参加者たちに敵対させるのでなく、むしろデモ参加者たちのガードマンとして巻き込んでいくような抗議活動のあり方が、たぶん、今の日本では模索されるべきだろうし、そのほうが新しく、画期的でもある。ひろい共感も呼びやすい。

 とにかく、福島原発事故を受けて、―そこを起点として、(…本当は、沖縄の基地問題などをも起点としているはずであり、そうあるべきだが、…)、国民のうちの普通のひとりひとりの感情が、心が、各地で大きくゆらゆらと動きはじめているのは事実であり、それは手足を伴って行動をとり始めてもいる。政治家の世界とは違う、水面下や地中としての個人個人の政治意識、生活そのものとしての政治に、急な変貌が、ここへ来て、生じつつある。小泉純一郎や民主党のような輩に対して耐性を持った、いっそう騙されづらい政治意識が、ようやく個人個人の中に根を下ろす可能性を持ち始めているのか、…と、思っていいのか、いけないのか、まだわからないが…



(参考・6月29日当日のデモの模様)




2012年6月23日土曜日

佐佐木信綱の「秋風の家」

――大伯皇女や人麻呂に遡りつつ



 佐佐木信綱が妻雪子に死に別れたのは、昭和23年、77歳のことである。家事はもちろん、その他の雑事や、信綱が主宰していた短歌結社雑誌《心の花》の作業も担ってきた長い連れ添いの死だった。
連作「秋風の家」に、次のような歌がある。

人いづら吾がかげ一つのこりをりこの山峡の秋かぜの家
呼べど呼べど遠山彦のかそかなる声はこたへて人かへりこず
山かひのさ霧が中に入りけらしさぎりよ晴れよ妹が姿見む
ちさき椅子にちひさき身体よせゐたり部屋をふとあけておこる錯覚
この秋や暮れゆく秋の寂しさの身にしみじみとしみとほるかも
あはれとのみ思ひて読みきエマニエルをうしなひし後のジイドが日記
まさやかに見えつつもとな夢人の影追ひ及(し)くとよろぼひあゆむ
人いゆき日ゆき月ゆく門庭の山茶花の花もちりつくしたり

 もともと露骨に感情の起伏を表出させるような歌人ではないが、すでに高齢であったためもあろう、歌ぶりは静かで、自分や自分の感情を収めるべき風景のフレームも見失われておらず、安定している。

「この秋や暮れゆく秋の寂しさの身にしみじみとしみとほるかも」では、長年連れ添った格別の存在を失った老夫の歌としてのそぶりを全く見せていない。歌人として、すなわち心身をめぐる一切の物事の移りゆきの受けとめ手として、全方位感覚者として、単に、秋がとりわけ痛切に感じられた際の心象の造形かと思わされる。全生涯の歌から順不同に選歌した集の中にこれを雑ぜれば、感覚の研ぎ澄まされた或る秋の歌としか見えないだろう。妻との死別は、この歌の中で、秋そのものが沁み出させうる情感の中にすっかり紛れ込んでしまっている。これは逆に言えば、これから、あらゆる秋というものが亡妻と分かちがたいものになるということであり、大げさにいえば、過去現在未来のあらゆる秋が亡妻そのものとなるということでさえある。誰もが普通に使う「秋」という語、信綱自身も何度となく作歌に用いた「秋」が、この歌においては、なんらあからさまな手管の弄されることなく、これ見よがしな表示も伴わせずに、変容させられている。

 信綱の歌には、概して、読者が理解しづらいようなものは少ないが、「ちさき椅子にちひさき身体よせゐたりし部屋をふとあけておこる錯覚」も、とりあえずは、とてもわかりやすい歌である。老妻の自室であろうか、居間であろうか、日頃、小さな身体をよせて座っていることの多いお気に入りの椅子があったのだろう。亡くなった後も、なにか言おうとして、ふと、その椅子のある部屋に向かい、戸や襖をあけてみる。椅子に妻の姿がないのを確かめる前に、ああ、そういえば亡くなってしまっていたのだったな、と気づく。ときには、からっぽの椅子を見て、ようやく気づくというような時もあるかもしれない。「錯覚」は、亡妻がまだ生きているかのような気持ちになったことを「錯覚」と言っているのだろうが、あるいは、からっぽのはずの椅子に妻の姿がありありと見えるような思いのことも言っているのかもしれない。
 若い歌だ、という気がする。老いた心の成す歌ではない。「錯覚」という言葉づかいから、心の若さが来る。妻を失ってからの自分の心や意識の動きのすべてを、自然なものとして受け入れてしまってはいない。「錯覚」と言うのは、腑に落ちないところ、違和感などがあってのことなのである。違和感を持ち、腑に落ちないと感じ続け、現象や物象をあくまで自我にとっての異物として認識し続けるのは、精神の若さから来る。こんなところまで考えさせるのが、信綱の歌の面白いところでもある。

 若いといえば、77歳にしてジイドの日記を読んでいるのも若いだろうし、(ジイドは1869年生まれ、信綱は1872年生まれでほぼ同世代だが、翻訳を通して接する外国文学としてのジイドの受容ということを考えれば、77歳というのは驚くべき柔軟さであろう)、「人いづら吾がかげ一つのこりをりこの山峡の秋かぜの家」において、「吾がかげ一つのこりをり」と自己イメージを切り出して浮き上がらせる点も若い。これは若者が無意識に行いがちな詩作の方法である。
この点については、いろいろなことを考えさせられる。77歳の信綱に残る若さが、自我をなおもこのように捉えさせるのか。それとも、自我の扱いにおいて、信綱には意外に未発達な部分があったのか。世界文学においては、周知のごとく、自我の大家たるシャトーブリアンが70代になっても自我にこだわって語り続けたが、彼から始まった自我学としてのロマン主義が信綱にまで流れ込み、そればかりか、老齢に達してもなお自我へのこだわりを捨てないシャトーブリアン流の思索術、文芸術が、戦後日本の信綱にまで、やはり自我の大家だったジイドを経て、脈々と継承されでもしたのか。

若いということに関して見てみれば、歌の中に作者の動きが詠み込まれている場合の多いのも注目される。「呼べど呼べど」もそうだが、「山かひのさ霧が中に入りけらし」、「部屋をふとあけておこる錯覚」、「影追ひ及くとよろぼひあゆむ」などでも、作者がしっかり自分の身を動かしていて、しかも、作歌に向かう場でそれを意識し、描き込んでいる。これらの行為が作者によってなされなければ発生しない心境や詩境が表現されており、それが狙われている。文芸表現においては、現実の作者が動いていようがいまいが、それは問題にならない。文芸的身体は意識なので、動いたという意識を種子として作歌されているかどうかが肝要であり、その意味で信綱は確かに動いている。身体イメージの移動、身体イメージにおける行動、それを設定することで、詩を作り出す思いと感情とイメージのうねりを引き出そうとする。そういう作り方を選んでいるということである。
もちろん、詩の始原となる運動を置く作歌法がそれ以外のものより優位に立つべきだと言いたいわけではない。また、そうした運動イメージの使用を「若い」とばかり呼び続けるのも安易にすぎるだろう。しかし、1872年(明治5年)に生まれた歌人にして、正真正銘の国文学者であり、正六位勲六等文学博士でもあったこの人物の77歳時点の歌に、「若い」という形容を与えてしまう軽薄さと安易さの快楽には、やはり多少なりとも身を委ねたい思いになる。晩年のハイデガーならば、「若さ」を哲学用語に鍛え直さんとして思索していったかもしれない。

悲しみや喪失感の生々しさの欠如――、そういうものをそこに見る読者もいるかもしれない信綱の亡妻の歌は、やはり、自他および古今の短歌というものの総体的な場にむけて作られており、歌の発火点としての運動イメージについての方法的な問題意識という筋も通されていたのだろう。それらは、少なくとも作歌の時点において、凭れかかるものなき感情そのものの燃焼を阻み、多様な心層と思層の併行運用を強いられ続ける人間生活において、作者をむしろ救ったともいえるだろう。
しかし、一方、悲しみにせよ寂しさにせよ喪失感にせよ、それらに近い言葉を、筆先に記してみようとするそばから、あるいは記してみたそばから形骸化するのを、おそらく彼は味わったに違いない。それらにあまりに近い古典的なイメージの描出の試みも、同じ思いを彼に与えただろう。どうすれば、悲しみは、寂しさは、喪失感は表出されうるのか。まるで初めてのように、根源的な、原初的な、しかし、いかにも初歩的な作歌のそうした問題の前に立たされ、これが挽歌における古来の全問題でもあることから、創作を担う大脳分野を愉しく震えさせつつ、今を生きるうつそみとしては途方にくれながら、疑うまでもなく、万葉学者として、たとえば大津皇子を失った大伯皇女の歌を思い出し、かつてなかったほどに深く、しみじみと味到したに違いない。
その大伯皇女の歌を振り返ってみる。


大津皇子の薨ぜし後に、大伯(おほくの)皇女(ひめみこ)、伊勢の斎宮より京に上る時に作らす歌二首*

() 神風の伊勢の国にもあらましを何しか来ける君もあらなくに
(厳しい神風の吹く伊勢にいたほうがよかったのに、なんで帰ってきてしまった   のかしら。弟よ、もうあなたもこの世にいないのに)


見まく欲り我がする君もあらなくに何しか来ける馬疲るるに
(弟よ、会いたいと願うあなたももういないのに、どうして私は帰ってきてしまったのか。馬が疲れるばかりというのに)


大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首

うつそみの人にある我や明日よりは二上山を弟(いろ)背(せ)と我れ見む
(私だけは、まだ、この世の人。明日からは、あの二上山を弟として見続ける私)

磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手(た)折(お)らめど見すべき君が在りと言はなくに
(磯の上に生えている馬酔木を手折りたく思うけれど、それを見せたく思うあなたはもういないんだわ。まだ生きているよ、どこそこで出会ったよ、とは、誰も言ってくれない…)



 あるいは、柿本人麻呂の「妻死にし後に泣血哀慟して作る歌」の長歌と短歌のほうに、よけいに信綱は惹かれたものか。人麻呂の長歌には、信綱の「呼べど呼べど」の原型となる「妹が名呼びて袖ぞ振りつる」という表現も見られる。短歌も、大伯皇女よりも控え目な哀傷の表現を採っている。
人麻呂の長歌、短歌も振り返ってみよう。長歌のほうは、名編とはいえ、さすがに現代では調子が掴みづらいので、思い切って、現代語での自由勝手な翻案を以下に掲げてみる。短歌のほうは伊藤博氏による読み下しの原文を出し、とりあえずの軽い訳をあててみる。


柿本朝臣人麻呂、妻の死んだ後、ひどく悲しんで作った長歌二首と短歌**


軽の市
いとしいあの娘がいるところ
通っていって
何度でも
会いたかったが
たびたび行けば
人目にはつくし
知られるし
やがては会おうと
未来を頼み
岩囲いされた淵さながら
ひっそり秘めて
恋うていたのに――

渡る陽の
暮れゆくように
照る月の
雲隠れするように
沖の藻の
ように靡いて
親しくも
纏わりついた
あの娘
もみじ葉の落ちゆくように
逝ったよと
使いの者が言うのだよ

言葉も出ず
動きもならず
知らせにも
納得もいかず
わが恋の千の一つも
慰めようと
走り出て行く
軽の市
あの娘がいつも
外に出て
立っていた市
そこに立ち
耳を澄ませば
畝傍山に
啼く鳥の声も
あの娘の声も
ともに聞こえず
道を行く
人ひとりさえ
あの娘には
似ても似つかず
しかたなく
名を呼んで
あの娘を呼んで
いつまでも
袖を振り振りし続けた


短歌二首

秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも
(秋山の黄葉の茂みに惑い行ってしまったあの娘、探したいけれど、ああ、その山の道がわからない)

黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ
(黄葉の散る頃、よその人へ愛の使いを届ける者が通っていくのを見ると思い出すのだ、会っていたあの頃を)




いつまでも
世にあるものと疑わず
あの娘が
この世にあった頃
ふたりして
とりかざし見た
槻の木は
突き出た池の堤にあって
あちこちの
枝には春の葉が茂り
その茂るさまさながらに
ふかく思った
大事な娘
ずいぶんと
頼りにもしていた娘

世の中の
むなしさ
無常のさだめには
しかし背けず
陽炎の
燃えたつ荒野に
純白の領巾(ひれ)に被われ
鳥のように
朝はやく発ち
夕暮れの
入り日さながら
隠れ去り

形見に残る幼子が
慕って泣けば
与えてやれる
ものさえもなく
男というに
子を抱え
かつてふたり寝た
離れ屋に
昼はうつうつ寂しんで
夜は嘆息しつつ明かし
歎きつづけ
しかたもなしに
慕っても
逢えるわけでもないものを

大鳥の羽の
合わさるように見える
山にあの娘がいるのだと
人に言われて
岩よじ登り
難儀を忍んで来てみたが
生きていた
あの娘の姿かたちなど
ほのかにも見えず
このように
歌うほかなき
わが思い


短歌二首

去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は照らせども相(あひ)見し妹はいや年(とし)離(さか)る
(去年見た秋の月はあいかわらず照っているが、これをいっしょに見ていたあの娘は年々離れていってしまう…)

衾(ふすま)道(ぢ)を引手(ひきで)の山に妹を置きて山道(やまぢ)を行けば生けりともなし
([天理市南の]衾田の地の引手の山に、あの娘は本当に生きているというのか?山道をたどり続けているが、そんな気配さえないではないか…)



 万葉集のこれらの歌の後では、信綱の歌に戻る必要もあるまい。これらの歌に信綱がいるのである。信綱の本意でもあろう。彼の歌はどれも、万葉集のほうを見よと指挿し続けてもいたのだから。






[註]
*伊藤博訳注・角川文庫版『万葉集 一』(2009)、118ページから119ページ。巻第二、挽歌、一六三番から一六六番歌。
**伊藤博訳注・角川文庫版『万葉集 一』(2009)、141ページから146ページ。巻第二、挽歌、一六三番から一六六番歌。

☆訳は、伊藤博氏他の訳を参考にしつつ、大きく変更した翻案である。ことに長歌については、現代の自由詩ふうの形式で訳せばじつは親しみやすいものになるだろうとの実感から、古典注釈書にありがちな文章ふうの訳し方を採らず、改行の多い分かち書きの形式を採った。
☆佐佐木信綱の短歌に関わる文章なので、万葉集のテキストは岩波文庫版の佐佐木信綱編『万葉集 上巻』(1927)から引用すべきかもしれないが、現代では伊藤博氏によるテキストのほうがより一般的であろうと考え、こちらのほうを採った。




2012年6月10日日曜日

じぶんの幽霊



 うちに霊が出るようになったらしい。それも、私自身の霊が。
 
 私が家にいない時に書斎で音がする、と家人が言うようになっていた。
書斎といっても小さな部屋にすぎないが、たくさんの本があり、書類があり、パソコンの類やら周辺機器やら、お決まりの光景の狭い空間がある。そこで音がするのだという。
 私がそこにいる時に知らず知らず立てるような音、たとえば、本をめくったり、積んだりするような音から、紙をいじる時に出る音、机に凭れたり、なにかを探したり置いたりする際の気配など、とにかく私がそこにいなければ出ないような音が、台所や居間のほうへ聞こえてくるのだという。
 どうして私の立てる音だと思うのか。そう聞くと、それは雰囲気でわかる、という。ほかの人の立てる音ではない、私の音。家人だからこそわかる、私ならではの音や雰囲気があるらしい。
 
 一度であれば、なにかの思い違いということもある。しかし、すでに何度か、家人はこれを経験している。
 私のほうも、家に帰るやいなや、「いま帰ったの?ほんとは、もっと先に帰っていたでしょ?書斎で音がしていたから…」と言われた記憶が何度もある。私の部屋は玄関から入ってすぐ脇にあるので、居間のほうへ進まずに、まず荷物を置きに入ったりすることも、確かに多い。
 いないはずの私が書斎で音を立てるのは、どうやら、私が帰路にある時らしい。帰宅の直前や、一時間ほど前から、いないはずの私が音を立てるらしい。

 言うに言われぬ微妙な感覚の交流現象は、親しい者どうしの間にはありうる。帰宅途中の身内の存在を、実際の帰宅より先に感じとるということがあっても、おかしくない。しかし、それならば、家の中に物理的な音は響かず、気持ちの中で感じとられているだけのことだろう。
そうも思って、「なんとなく帰宅前に存在を感じるとか、もうすぐ帰ってくるだろうと思って、存在が意識のなかに蘇ってくるだけのことでは?」と訊いてみたが、実際に音が聞こえている、と家人は言う。
それが実際の音かどうかは、もちろん、確かめようはない。が、実際の音だと疑わないほど、家人の受けた印象は強い。そういう現象であるのは確からしい。

 先日のこと、帰宅すると、ソファで家人が震えていた。すぐに立ち上がってこちらのほうへ来たが、「このあなた、本当に、あなた?」と変なことを訊いてくる。
「どうしたの?」と訊くと、「本当ははやく帰っていて、書斎にいたんじゃない?」と言う。見てのとおり、いま帰ったばかりじゃないか、と言うと、「じゃあ、また、あれだ。また、書斎にあなたがいて、いろいろと音を立てていた。それもずいぶん長いこと、ずっとなにかあなたの部屋でやっていた… ずっと音がしていた」。
 ふざけているのだろうとも思ったが、まじめな顔で、おびえがまだ残っている。
私が書斎にいて、そこで音を立てていたと本当に感じたのなら、べつに怖くもないはずだろうから、見に行ってみればよかったじゃないか。そう言ったが、「だって、もし他の人だったら… もし他の人間が家に入り込んでいて、なにかしていたら、怖いじゃないの」と言う。書斎にいるのが私だと言ったり、ほかの生身の人間かもしれないと言ったり、だんだん矛盾した話になってくるようだったが、とにかくも、居間や台所にいて聞いていると、私としか思えない雰囲気がはっきりとあり、しかも、生身の誰かが家の中にいるのではないかと思うほどにリアルな音がし続けていた、ということらしい。
私は分身というものの話を思い出し、自分が知らないところで自分の分身がいろいろなことを仕出かすという物語をいくつか、ザッと思いめぐらした。他人が自分の分身を見ている分にはまだいいとして、ある日、自分が自分自身の分身に出会うと、死ぬことになる。そんな話もあったなあ、と考えた。
なんの恐れもなかったものの、いま自分の部屋に入ってみて、ばったり自分自身と出会いでもしたらどうだろう、と思った。
入ってみたが、誰もいなかった。
当然といえば当然だが、なんだ、いないじゃないか…と思った。
気配さえなかった。

たびたび起こるこの現象は、いつも、私が家に帰り着く少し前に起こっているらしい。家人の話を総合してみると、帰途についていない時には、どうやら出現しないらしかった。
となると、外出先での用事を終え、次に身を運ぶべき目的地として家を目指している時の私の気持ちが、肉体よりも先に家に行ってしまっているということになるのか。家に着けば着いたで、いつも山のような用事が私を待っているので、先に帰宅した心は、はやくも仕事に取りかかっているということか…
人間を物質としか見ない科学や疑似科学の時代にそぐわない見方だろうが、こんなふうに考えてみれば、かりに本当に私でない私が書斎でがたがたと立ち働いていても、さほど不思議には思えない。心というものは、思いのほか容易に身体を離れ、べつの場所に移動して、そこで、心にはふさわしからぬ物理現象を起こしたりもするのかもしれない。あるいは、遠く離れた場所をもいったん非物理的な系に還元し、心の世界に取り込んでしまって、そうして物理現象を裏から支配し、容易にべつの物理的な現象を引き起こしたりしうるものかもしれない。

不思議といってよいこうした話は、いまの家でも何度か、いろいろな種類のものが起こっているが、私自身が現象の中心になるとは、まさか思いもしなかった。起こるのはたいてい、べつの人間をめぐる現象であったり、私とは係わりのない物理的な外部の現象であったりしたものだった。

こういう不思議な現象に話が及んだついでに、ひとつだけ、私にも家人にも親しい現象を語っておきたい。
訪問者が来訪を知らせる時に押して鳴らす、玄関先のベルの音だ。
以前住んでいた家で、よくこのベルの音が鳴った。
もちろん、実際に人が来て、玄関先のベルやブザーを鳴らせば、音が家の中に響くに決まっている。
私が不思議だというのは、家に現実に備え付けられているのとは違うベル音が、かなりの頻度で聞こえたことだ。
聞こえるのは、きまって、私が寝ている時である。目覚めに近い朝方のこともあれば、休日の昼寝の時のこともある。疲れて、ソファなどでふと寝入ってしまった時のこともある。
急に、キンコン、と聞こえる。しかも、一度に目が覚めるほど、けっこう大きなはっきりした音で、家じゅうに響きわたる。
これが聞こえるたび、眠っていた私は、あ、誰か来た、と思い、目を覚まし、そうして、寝ぼけながら玄関に向かったものだった。そうして、のぞき窓から玄関扉のむこうを見たり、どなたですか?と聞いてみたりする。しかし、誰もいない。以前の住まいでは、これが何度となくくり返された。当時の私は、本当に誰か来たのに、もう行ってしまったのだと思っていた。ベルを鳴らして逃げる子どもの悪戯か、とも思った。
しかし、しばらくするうち、現実の家のベル音と、こんな時に聞こえるベル音が、じつは異なっていることにはっきり気づいたのだった。
眠っているさなか、このベル音がはっきり聞こえる。家の空間の中に響いたのをしっかり感じている。しかし、これは違うんだ、嘘なんだ、これは家のベル音ではないんだ、と思いながら、いましがた、このベル音が響いた家の中に起き、立ち上がり、まだぼんやりしながら、家の中の様子を確認するのだが、これは異様な気分だった。
家人にこのベル音のことを話しても、家人にはわからなかった。いま、ベルが鳴ったよね?と言っても、家人は聞いていない。聞こえているのは私だけで、家の中にはベル音など響かなかった、とよく言われた。私の頭の中だけで聞こえた、ということらしい。ひどくリアルな、大きな音なのに、私にしか聞こえない。けっきょくは、夢のたぐいに過ぎない、と考えざるをえなかった。

いまの住まいに引っ越してからは、しばらく、ベル音はしなかった。
ある日、休みの日の午後、家の片づけなどをして疲れ、私も家人も昼寝をしていたら、急にベル音が響いた。
新居のベル音は、それまでの家のベル音とは違うが、しかし、私の頭の中に響くベル音とはやはり異なっている。また始まったか、と思った。旧居だけに起こる現象かとも思っていたが、やはり、ここでも起きたか。場所の問題ではないらしい。そう考えた。
いずれにしても、起きてやるべき作業がまだあるので、いい機会と思い、立ち上がり、台所に立って水を飲んだ。いちおう、玄関まで行って、誰も来ていないか調べた。誰もいなかった。
奥に戻ると、家人も起きてきた。そうして、
「いま、ベルが鳴ったでしょ?」と言う。
「聞いた?」
「ええ」
「聞こえたか」
「家のベルじゃないの?」
「違う。あれだよ。例のベル」
 はっきりした音が、家人にも聞こえ、それで目覚めたという。
「そうか… 聞こえるようになったんだ」
 物理的な音がしたのでないとしても、ともにあの音を聞いたのだとすれば、同じ体験をしたということになる。同じ世界にいなければ、同じ音は聞こえない。心の音は、同じ心の環境を共有していなければ聞こえない。
 いつのまにか、見えない変化が進んで、表面上の個人と個人とを包みこみ、融合させていっていたようだと感じたが、感傷的な定型の物語ふうのものに落とし込みたくもないし、絆とかいう安易な言葉に流れやすいような確定をしたくもない。
現に心の環境の共有があるのなら、その必要もない。

 しかし、この線で考えると、この頃出るようになった私の霊はなにを意味することになるだろう、とは思う。意味あいを広げ過ぎないように注意しながら、見定めづらい変化を正しく辿るのは、なかなか難しい。
 身体が戻るより先、家に心が戻って働いているのならば、きっと外の他の複数の場所へも同じように心は向かって、忙しく活動しているかもしれない。そういえば、あそこで見かけましたよ、このあいだ来ていましたね、というような話が、これからぽつぽつ出てこないとも限らない…