2012年6月10日日曜日

じぶんの幽霊



 うちに霊が出るようになったらしい。それも、私自身の霊が。
 
 私が家にいない時に書斎で音がする、と家人が言うようになっていた。
書斎といっても小さな部屋にすぎないが、たくさんの本があり、書類があり、パソコンの類やら周辺機器やら、お決まりの光景の狭い空間がある。そこで音がするのだという。
 私がそこにいる時に知らず知らず立てるような音、たとえば、本をめくったり、積んだりするような音から、紙をいじる時に出る音、机に凭れたり、なにかを探したり置いたりする際の気配など、とにかく私がそこにいなければ出ないような音が、台所や居間のほうへ聞こえてくるのだという。
 どうして私の立てる音だと思うのか。そう聞くと、それは雰囲気でわかる、という。ほかの人の立てる音ではない、私の音。家人だからこそわかる、私ならではの音や雰囲気があるらしい。
 
 一度であれば、なにかの思い違いということもある。しかし、すでに何度か、家人はこれを経験している。
 私のほうも、家に帰るやいなや、「いま帰ったの?ほんとは、もっと先に帰っていたでしょ?書斎で音がしていたから…」と言われた記憶が何度もある。私の部屋は玄関から入ってすぐ脇にあるので、居間のほうへ進まずに、まず荷物を置きに入ったりすることも、確かに多い。
 いないはずの私が書斎で音を立てるのは、どうやら、私が帰路にある時らしい。帰宅の直前や、一時間ほど前から、いないはずの私が音を立てるらしい。

 言うに言われぬ微妙な感覚の交流現象は、親しい者どうしの間にはありうる。帰宅途中の身内の存在を、実際の帰宅より先に感じとるということがあっても、おかしくない。しかし、それならば、家の中に物理的な音は響かず、気持ちの中で感じとられているだけのことだろう。
そうも思って、「なんとなく帰宅前に存在を感じるとか、もうすぐ帰ってくるだろうと思って、存在が意識のなかに蘇ってくるだけのことでは?」と訊いてみたが、実際に音が聞こえている、と家人は言う。
それが実際の音かどうかは、もちろん、確かめようはない。が、実際の音だと疑わないほど、家人の受けた印象は強い。そういう現象であるのは確からしい。

 先日のこと、帰宅すると、ソファで家人が震えていた。すぐに立ち上がってこちらのほうへ来たが、「このあなた、本当に、あなた?」と変なことを訊いてくる。
「どうしたの?」と訊くと、「本当ははやく帰っていて、書斎にいたんじゃない?」と言う。見てのとおり、いま帰ったばかりじゃないか、と言うと、「じゃあ、また、あれだ。また、書斎にあなたがいて、いろいろと音を立てていた。それもずいぶん長いこと、ずっとなにかあなたの部屋でやっていた… ずっと音がしていた」。
 ふざけているのだろうとも思ったが、まじめな顔で、おびえがまだ残っている。
私が書斎にいて、そこで音を立てていたと本当に感じたのなら、べつに怖くもないはずだろうから、見に行ってみればよかったじゃないか。そう言ったが、「だって、もし他の人だったら… もし他の人間が家に入り込んでいて、なにかしていたら、怖いじゃないの」と言う。書斎にいるのが私だと言ったり、ほかの生身の人間かもしれないと言ったり、だんだん矛盾した話になってくるようだったが、とにかくも、居間や台所にいて聞いていると、私としか思えない雰囲気がはっきりとあり、しかも、生身の誰かが家の中にいるのではないかと思うほどにリアルな音がし続けていた、ということらしい。
私は分身というものの話を思い出し、自分が知らないところで自分の分身がいろいろなことを仕出かすという物語をいくつか、ザッと思いめぐらした。他人が自分の分身を見ている分にはまだいいとして、ある日、自分が自分自身の分身に出会うと、死ぬことになる。そんな話もあったなあ、と考えた。
なんの恐れもなかったものの、いま自分の部屋に入ってみて、ばったり自分自身と出会いでもしたらどうだろう、と思った。
入ってみたが、誰もいなかった。
当然といえば当然だが、なんだ、いないじゃないか…と思った。
気配さえなかった。

たびたび起こるこの現象は、いつも、私が家に帰り着く少し前に起こっているらしい。家人の話を総合してみると、帰途についていない時には、どうやら出現しないらしかった。
となると、外出先での用事を終え、次に身を運ぶべき目的地として家を目指している時の私の気持ちが、肉体よりも先に家に行ってしまっているということになるのか。家に着けば着いたで、いつも山のような用事が私を待っているので、先に帰宅した心は、はやくも仕事に取りかかっているということか…
人間を物質としか見ない科学や疑似科学の時代にそぐわない見方だろうが、こんなふうに考えてみれば、かりに本当に私でない私が書斎でがたがたと立ち働いていても、さほど不思議には思えない。心というものは、思いのほか容易に身体を離れ、べつの場所に移動して、そこで、心にはふさわしからぬ物理現象を起こしたりもするのかもしれない。あるいは、遠く離れた場所をもいったん非物理的な系に還元し、心の世界に取り込んでしまって、そうして物理現象を裏から支配し、容易にべつの物理的な現象を引き起こしたりしうるものかもしれない。

不思議といってよいこうした話は、いまの家でも何度か、いろいろな種類のものが起こっているが、私自身が現象の中心になるとは、まさか思いもしなかった。起こるのはたいてい、べつの人間をめぐる現象であったり、私とは係わりのない物理的な外部の現象であったりしたものだった。

こういう不思議な現象に話が及んだついでに、ひとつだけ、私にも家人にも親しい現象を語っておきたい。
訪問者が来訪を知らせる時に押して鳴らす、玄関先のベルの音だ。
以前住んでいた家で、よくこのベルの音が鳴った。
もちろん、実際に人が来て、玄関先のベルやブザーを鳴らせば、音が家の中に響くに決まっている。
私が不思議だというのは、家に現実に備え付けられているのとは違うベル音が、かなりの頻度で聞こえたことだ。
聞こえるのは、きまって、私が寝ている時である。目覚めに近い朝方のこともあれば、休日の昼寝の時のこともある。疲れて、ソファなどでふと寝入ってしまった時のこともある。
急に、キンコン、と聞こえる。しかも、一度に目が覚めるほど、けっこう大きなはっきりした音で、家じゅうに響きわたる。
これが聞こえるたび、眠っていた私は、あ、誰か来た、と思い、目を覚まし、そうして、寝ぼけながら玄関に向かったものだった。そうして、のぞき窓から玄関扉のむこうを見たり、どなたですか?と聞いてみたりする。しかし、誰もいない。以前の住まいでは、これが何度となくくり返された。当時の私は、本当に誰か来たのに、もう行ってしまったのだと思っていた。ベルを鳴らして逃げる子どもの悪戯か、とも思った。
しかし、しばらくするうち、現実の家のベル音と、こんな時に聞こえるベル音が、じつは異なっていることにはっきり気づいたのだった。
眠っているさなか、このベル音がはっきり聞こえる。家の空間の中に響いたのをしっかり感じている。しかし、これは違うんだ、嘘なんだ、これは家のベル音ではないんだ、と思いながら、いましがた、このベル音が響いた家の中に起き、立ち上がり、まだぼんやりしながら、家の中の様子を確認するのだが、これは異様な気分だった。
家人にこのベル音のことを話しても、家人にはわからなかった。いま、ベルが鳴ったよね?と言っても、家人は聞いていない。聞こえているのは私だけで、家の中にはベル音など響かなかった、とよく言われた。私の頭の中だけで聞こえた、ということらしい。ひどくリアルな、大きな音なのに、私にしか聞こえない。けっきょくは、夢のたぐいに過ぎない、と考えざるをえなかった。

いまの住まいに引っ越してからは、しばらく、ベル音はしなかった。
ある日、休みの日の午後、家の片づけなどをして疲れ、私も家人も昼寝をしていたら、急にベル音が響いた。
新居のベル音は、それまでの家のベル音とは違うが、しかし、私の頭の中に響くベル音とはやはり異なっている。また始まったか、と思った。旧居だけに起こる現象かとも思っていたが、やはり、ここでも起きたか。場所の問題ではないらしい。そう考えた。
いずれにしても、起きてやるべき作業がまだあるので、いい機会と思い、立ち上がり、台所に立って水を飲んだ。いちおう、玄関まで行って、誰も来ていないか調べた。誰もいなかった。
奥に戻ると、家人も起きてきた。そうして、
「いま、ベルが鳴ったでしょ?」と言う。
「聞いた?」
「ええ」
「聞こえたか」
「家のベルじゃないの?」
「違う。あれだよ。例のベル」
 はっきりした音が、家人にも聞こえ、それで目覚めたという。
「そうか… 聞こえるようになったんだ」
 物理的な音がしたのでないとしても、ともにあの音を聞いたのだとすれば、同じ体験をしたということになる。同じ世界にいなければ、同じ音は聞こえない。心の音は、同じ心の環境を共有していなければ聞こえない。
 いつのまにか、見えない変化が進んで、表面上の個人と個人とを包みこみ、融合させていっていたようだと感じたが、感傷的な定型の物語ふうのものに落とし込みたくもないし、絆とかいう安易な言葉に流れやすいような確定をしたくもない。
現に心の環境の共有があるのなら、その必要もない。

 しかし、この線で考えると、この頃出るようになった私の霊はなにを意味することになるだろう、とは思う。意味あいを広げ過ぎないように注意しながら、見定めづらい変化を正しく辿るのは、なかなか難しい。
 身体が戻るより先、家に心が戻って働いているのならば、きっと外の他の複数の場所へも同じように心は向かって、忙しく活動しているかもしれない。そういえば、あそこで見かけましたよ、このあいだ来ていましたね、というような話が、これからぽつぽつ出てこないとも限らない…


0 件のコメント: