2016年1月5日火曜日

しらけ世代だの無共闘世代だの

 
  また新年が来たようだが、いつもながら、感動もなければ、気分を一新して何かをどうしよう、こうしようなどと思うわけでもない。
 世代という曖昧この上ない括りで、なにかわかったつもりになろうとしても意味はないとはわかっているけれども、全共闘ならぬ無共闘世代とか、しらけ世代とかいうものに自分が属しているのを思い出すと、新年の思いというのも、やはりいつまでもこんなものかな、と思うところもある。
とにかく、頑張る、ちゃんとやる、大仰な目的を持つなどといったことを、この上なく恥ずかしいことと見なすのが私の世代だった。
中学の頃、先生たちは、なにかというと「頑張れ」とか「根性を入れろ」とか声を荒げてきた。それに対して、誰からともなく、童謡の『しゃぼん玉』の替え歌で、
♪しらけ鳥飛んだ  屋根まで飛んだ
  屋根まで飛んで  しらけて落ちた
  落ちるなら飛ぶな しらけ鳥落ちた
と声が流れてくる。前世代や前々世代ならば声を合わせて唱和したりするのかもしれないが、私たちの世代はそういうことはしない。他人のやること、他人が始めたことに合流するとか、世の中の流れに積極的に乗るとか、いっしょにやるということがカッコわるいので(これを、私たちの後の世代は「ダサイ」と呼び始めた)、唱和なんかしたりはしないものの、それでも、うまく言ってるなァ、と思ったり、褒めたりはする。そうして、ひとりになった時に、♪し~らけ鳥飛んだァ…などと鼻唄してみたりする。

 私の世代は、幼時から安保闘争だの大学紛争だのテレビニュースや週刊誌の写真を見て育ち、現在80歳以上の年齢になっている親の世代からは、念仏のように毎日、「ああいった学生に育ってはいけない」と言い含められてきた。私の指導教授たちの世代も親かそれ以上の年齢なので、全共闘世代や団塊の世代は、まァ、穏やかにいえば“不良”、厳しく言えば“悪”の塊であるかのように教育されたものである。
 とはいえ、子供の頃から、私の場合、教育されるということに見事なまでに秀でておらず、なにかを強く教え込まれると、左にであれ右にであれ必ず反抗するという生まれつきで、いかに親たちの世代から、全共闘=悪人、団塊の世代=人数ばかり多い不良たち、と叩き込まれようとも、あまり効果があったとはいえない。だいたい、母方の叔父のひとりは全共闘世代だったし、10しか歳の変わらない最年少の叔母は団塊の世代で、祖父母の家に遊びに行ったりすると、なにかというと無軌道に逸れようとするガキなどには、こんな叔父や叔母のほうがなにかと楽しいことが多かったので、どうも親の言うことは違うような気がすると思っていた。
 それに子供というのは、なんといっても、過激なものに反応する。これは小学校の時代のことだが、どこぞの大学で昨日騒ぎがあったぞと聞くと、それを真似して、近所のあばら家をオーッと襲撃したりするのである。最近の幼稚園児や小学生はずいぶんヤワになったようだが、私たちの頃は、登校時には決まってポケットに小石を詰め込み(これは、当時、ごく普通にそこらにいた野良犬と戦うための必須品である)、カッターや肥後ナイフを持ち、長い棒を削って刀にしたものを必ず持って出かけたものだ。そうして、仲間同士で毎日決闘や果たし合いはやるし、野良犬は追うし、猫は半殺しにする。カエルや蛇やトカゲは、見つければ必ず殺す(私は、個人的にはそうでもなかった)。友だちの手や腕はナイフで切る。登下校の家の窓には爆竹を投げ込んで襲撃する。こんなのが普通だったので、大学紛争などというのは、ほぼ、想像力の延長線上に位置していた。

 しかし、こんなふうにつらつら書いてくると、ちょっと待てよ、と思う。今書いたばかりの小学校時代のことは、思い出すだに、どうにも“しらけ世代”や“無共闘世代”の雰囲気ではない。むしろ、戦意高らかな小国民の趣がある。方々の粗大ゴミ置き場でテレビのブラウン管を割って楽しんだり、蛍光灯を破壊したり、瓶や缶を路上にぶちまけたり、トラックが来ると見れば石を投げて襲撃したり、どこかへ電車で出かけて駅の改札を通る時などには、必ず切符を雪のように小間切れにしておいて駅員の顔に投げつけて走り抜けるのを繰り返していた私たちは、むしろ戦闘世代そのもののように思い出されてくる。
 どうやら、“しらけ世代”だの“無共闘世代”っぽくなったのは、中学生になってからではなかったか。
 入学した中学は大したところではなかったが、それでも高校の続いていない受験校で、あいかわらず先生たちからは、何ごとであれ、頑張れ、頑張れ、と鼓舞され続けたが、先輩の二年生や三年生の男子たちのカッタルイ気分にはずいぶんと確立されたものがあって、どうしても身につけなければならない重苦しい作法のように、ぶ厚い雲海としてつねに漂っていた。放課後や文化祭には、なぎら健壱の『悲惨な戦い』はもちろん、団塊の世代が喜んで歌っていたフォークソングの弾き語りがそこ此処に開かれる。深夜放送の『セイ!ヤング』や『オールナイトニッポン』、『パックインミュージック』などを毎晩聴くのは当たり前で、落合恵子が視聴者の恋愛体験談を語る『ロスト・ラブ』をちゃんと毎回聴き逃さないように注意し、さらに朝の3時を過ぎて『歌うヘッドライト』や『走れ歌謡曲』まで聴いてしまう者も多く、学校に出てくると、今日は二時間も寝てないよ、などと言ってから机に突っ伏していたりする。
それでいて、じつはみんな、本当は頑張るのである。ダラッとした雰囲気をプンプンさせながら、成績はいいし、逸脱はしない。不良のようでいながら、不良とは程遠い。口ではいつも、「やってられねェよ」とか「頑張りたければ、頑張ればァ…」などと言っているけれど、たいていの学生たちは事務能力が高いし、平然と勉強も運動もこなしてしまう。

…と、こんなふうに書き続けてみて、今になってはじめて判然としてくるのは、どうやら中学時代が、『巨人の星』的根性路線と50年代生まれ的“しらけ世代”路線との混入地点らしかったことである。私たちの世代の心の中には、この両方の流れが入り込み、どちらが強く出るかは、個人個人に応じて違ったり、場合に応じて違ったりしたのではないか。
大事なのは、両方が私たちには流れこんでおり、逸脱し過ぎないように、場面に合わせて自動調整するようにできているということだろう。全共闘世代の失敗やアホラシさはさんざん見てきたし、その上の世代に属する親や先生からは、あの世代のようにだけはなってはいけない、と釘を刺され続けてきた。団塊の世代は、たとえば塾や進学教室などに行くといちばん若い先生をやっているオニイサンだったり、試験官のオニイサンだったり、いろいろな店のバイトのオニイサン、オネエサンだったりして、ずいぶん身近な存在で、良いも悪いもなく、日常の小“社会”でもっとも馴染みのある世代だったが、親の世代とはくっきりと好みや主張が違っていて、なんだかわからないが、頼まないうちから私たちの側にいつも立ってくれる感触があった。

新年になったからといって、サッパリと目出度い気分になれない私の昔ながらの心を、自分が属する世代のせいだという話に持っていこうとして考え始めたのに、考えたり思い出したりするほどに、どうもクッキリとした輪郭が出せなくなってきた感じだが、まァ、もう少し漠然と、私の世代ははっきりと何かを表明したり、主張したり、言上げしたりするのを嫌うところがある世代だという程度に、確認をしておけばいいのかもしれない。ペラペラとしゃべる親を持つ子は寡黙になったりするものだが、全共闘世代や団塊の世代を上に持った私たちの世代が、主張したり騒いだりしない世代になったのも、位置づけから見て当然と言えるような気がする。

私たちのすぐ後の世代は、社会人になった頃から新人類と呼ばれて、これはもう、二十代のはじめから歴然と違った行動様式を持っていた。上の世代の言うことをはじめから聞かないし、人の顔色も窺わずに好き嫌いを平気で表明する。集団行動をあまりにしなさ過ぎる。たいした能力も知識もないのに、マニュアルを見よう見まねでうろ覚えして偉がりたがる。私たちの世代が、卒業式も入社試験も、わざとジーンズで出かけて行くような“下げる”振る舞いをしていたのに、新人類は新しいスーツなど来て大挙して出かけて行く。クリスマスにはホテルを予約し、ガールフレンドとディナーをして、流行の宝石店で買った指輪やネックレスをプレゼントして、一泊するというような、信じがたい軽佻浮薄なことをやる。私たちの世代では逆立ちしても考えられなかったようなそんなことを平然とやってのけるような世代は、この新人類から始まったのだった。私たちの世代ならば、クリスマスや新年はわざとガールフレンドとは会わず、逆に距離感を演出したりして、一週間ほど過ぎた頃から連絡を取り始めたりした。
この新人類世代が出て来た時、職場のいちいちの場面で、私は腹立たしくて、怒りを抑えながら彼らとつき合うのにひどく苦労したのを覚えている。私たちの世代がどうにか全共闘世代や団塊の世代の我儘ぶりに合わせて無難に行動しようとしていたというのに、新人類世代は、私たちの世代が防壁になって先行世代からの重圧を抑えてやっていた陰で、楽々と勝手気ままに振舞っていたと見えた。じゃあ、私たちが防壁を一挙に取り去ってやろうか?、そうしたら、この連中も思い知るだろうに、などとよく思ったものだった。
もっとも、彼らも、団塊ジュニア世代が出てきた時には、彼らを上回るあまりのいい加減さと勝手さに憤慨するようになった。それどころか、私たちほどの忍耐力や政治性(これは、自分の世代以外のすべてがバカであるという認識を持っているということであり、ひいては、自分の世代もバカだらけだとわかっているということであるが…)をもともと備えていなかった新人類世代は、陸続と続いて出現してくる下の世代たちの異星人ぶりに対して遙かに耐性がなく、心理的に崩れていく場合が少なくなかったように見える。時代が経ってみると、自分の主張を一旦は隠して、他の人間に先ずは好きにやらせたり、騒がせてみるやり方が魂にまで染み込んでいる私たちの世代のほうが、どんな場合にも耐えられる潜在能力を持っているのではないかと見える。

こんな粗い世代論がたいして意味を持たないということは、たびたび経験させられるものだが、世代的には新人類と団塊ジュニアの間ぐらいに属するある男といっしょに歩いていた際、こんなことがあって、やはり世代論の無意味さを思わされた。公園をふたりで通りかかったら、鉄棒で初老の人が運動をしていた。それを見て、私よりはるかに若いその男が、
「あれ、恥ずかしいなァ。鉄棒なんかやって。恥ずかしいですよねェ。よくできるな、あんなこと」
 そんなふうに言った。
「どうして?ちょっと運動しているんでしょう?」
 そういうと、
「だって、あの人、スポーツ選手じゃないでしょう。それなのに、戸外に出てきて、鉄棒をやったりしている。専門家じゃない人間がなにかをやるなんて、人間として恥ずかしいなァ。よくやりますよねェ」
 男はこう答えた。
 彼は、どうやら、専門にしていること以外をやるのは、誰にとっても恥ずべきことだと思っているらしいのだ。じゃあ、趣味でなにかをやるのも恥ずかしいのか、と聞くと、趣味は趣味だからいいのだという。趣味でなにかをやるというのは、専門家ではないのにやってみています、だから大目に見てくださいね、そうはっきり明示しているのだから許される、という。
「でも、あの鉄棒のやり方は、あれは趣味ってもんじゃないですよねェ。体を鍛えるためにやっている。体を鍛えるなんて、恥ずかしいじゃないですか。スポーツ選手でもないのに」
 この思考に私は唖然とし、これほど縛られた考え方をしているのでは、生きるのもなかなか楽ではあるまいと感じ、可哀相にも思ったが、他人事なので放っておいた。
ただ、この時、あの中学時代の“しらけ鳥”の歌が自然に頭に蘇ってきたのだ。
あゝ、ここに、我らの世代の末裔がいる。どこをどう流れて、この男まで届いたものだか、それはわからないが、しらけ世代の精髄が純化されて、おそらく自らの人間的な魅力を減殺するほどに鋭くなって、この男の中に蠢いている。そう思い、私が彼ほどまでには酷いしらけ病に罹っていないらしいことを、とりあえずは幸せに感じた。
この男とはもう交流もないが、彼があんな考えを開陳してくれた頃より後、世の中は健康ブームやスポーツブームになり、もし彼があゝした考え方を変えていなければ、ますます生きにくい思いをすることになっただろうと思う。老人でもないのに世を批判し続けるような古い人間を気取るようにでもなったか、それとも、ガラリと転向して、スポーツおたくにでもなったか。
この男のしらけ病が癒えたとしても、おそらくどこかに病は受け継がれて、必死に世の中が変化しないようにブレーキをかける人間たちの姿を取っていたりするのではないか、と、やはり思われてならない。

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