2012年8月15日水曜日

クリシュナムルティとオショー(ラージニーシ)



二十世紀のインドは、ラーマクリシュナ、ヴィヴェカーナンダ、ヨガナンダといった個性的なヨギを生んだ。あらゆる宗教の本質を取り込みつつ、硬直し堕落した制度としての宗教や政治に反旗を翻したインドの風雲児ラージニーシ(いつからかオショウと名乗るようになった)はアメリカに渡って、ヒッピーたちを結集しつつトリックスターを演じたが、アメリカ政府やCIAと正面衝突するに至り、おそらく巧妙に仕組まれたものだろうが、犯罪者の汚名を着せられてインドに帰ることになる。六十年代七十年代ふうの流行りの瞑想が退潮していく中でも、うんざりするような階級制度とミニマルな師弟制度で瞑想道場の網の目を世界に展開したマハリシ・マヘシュ・ヨギだけが健在だったのは、あの瞑想法のわかりやすさと、とかく何かのシステムに従属したいという人心の性質によるものだっただろうか。
なぜか日本では紹介が途絶え、フランスでいまでも根強い人気を誇るシュリ・オロビンドと伴侶のフランス女性〈メール〉による、ヨーガ原理主義ともいえる緻密で純粋な探求は、多くの弟子や信奉者を集めるに到って、オロヴィルという街を南インドに形成するまでになった。
もちろん、南インドの聖者と呼ばれるラマナ・マハリシの厳しい教えも忘れがたい。
ヨーロッパでは、十九世紀のアラン・カルデックなどの影響を受けたものだろうが、神智学協会の強力な幻視家ブラバツキー夫人やリードビーター、アニー・ベザントの活躍があり、その流れの上に救世主としてクリシュナムルティが準備されるに到る。しかし彼は、超越者の存在を前提とした救世主の役目を否定・放棄し、生涯を通じて人々に、真理や愛や神や価値について問いかけ続けるという方法を創出し、ある意味ではいっそう超越的なユニークな世界教師となっていく。
いっぽう、神智学協会が少年クリシュナムルティを探し出し、救世主として準備したことに反対して離反し、独自の道を歩むことになったルドルフ・シュタイナーの活動も広範なものになり、今では文庫にも著作が加えられるようになった。
魔術師的な雰囲気が濃厚で、いまでも世界中で信奉者の多いグルジェフのヨーロッパでの活動や、謎に満ちたあれらの著作は、徹底して超越的な次元から人類の行く末を扱っている点で、今後、さらに注目されていくだろう。
シュタイナーとはべつの、入眠による方法で、主に健康についての有益な言説を残した〝眠れる預言者〟エドガー・ケイシーの仕事も、いまでは定着したといっていい。
まだアメリカにはラム・ダスがおり、チベット密教の師たちはアメリカやヨーロッパに散らばっている。一九六七年に渡仏してヨーロッパに禅を広めた弟子丸泰仙の後継者は絶えることがないし、オロビンドの弟子シュリ・チンモイは国連の活動に関わって活躍しているはずである。

        ☆

瞑想家の死というものは、どんな場合にも大ごとではありえない。この世にはあらかじめ居ないというのが、瞑想家のあり方だからだ。マハリシ・マヘシュ・ヨギの死もそのように捉えるべきだが、瞑想の二十世紀が彼の死とともにはっきりと幕を閉じる、という気はする。
彼の超越瞑想が、徹底した階級制度なみのシステム信奉を必要としていた点、あれはまさに二十世紀の人物だった。システム信奉は、道具的理性に対するアドルノのそれのような批判をつねに向けるべき対象で、周知のように、この批判を欠いたところにナチズムは繁茂した。オウム事件もここから生まれた。
瞑想については、最近、ずいぶん軽い、安易ともいえるアプローチが散見されるようになってきたが、クリシュナムルティやラージニーシを近い先達として持つわれわれは、現時点では、彼らの見解を重視しながら探求を進めるのがよいように思う。
クリシュナムルティは、人間の心性のあらゆる機械的な部分を批判し再考をうながしたが、システマティックな瞑想にも当然ながら批判的だった。システムに従うことは理性的な批判や探求を停止させることで、彼にとってこれは、瞑想から最も遠ざかることを意味した。多くの覚者たちが「瞑想」という言葉を多用するが、その言葉の意味はひとりひとり微妙に違っており、クリシュナムルティのような人物の場合、世間一般の宗教で用いられる「瞑想」とは甚だしく異なっている。彼の場合、端的に言えば、「瞑想」とは不可能性の同義語で、こちらから求めても実現されない内的状態のことを言っている。もちろん、心を鎮め、雑念に乱される思考を流れゆくままにして、日常の論理の流れから離れるところまでは試みを許されるにしても、その後に「瞑想」が起こるか否かは、彼の場合、人間の側からの意志や努力ではコントロールできないこととされる。彼はおそらく、「瞑想」という言葉によって、俗に「悟り」と呼ばれる状態を呼んでいたと考えるべきなのだろう。
クリシュナムルティの著作や講話録、対談などは英語でくりかえし刊行され続けており、邦訳も出ているが、それらのどれにも共通するのは、理性をつねに分析的に使用して、われわれが超越的なことを思索する時の用語の曖昧さやそこに絡みつく矛盾、用語の成立そのものに伴う誤解の歴史や、それを一個人が受容する際に必然的に発生するさらなる誤解や偏見を削ぎ落とすという基礎作業の要請である。愛や神の存在について尋ねに来る人々を、彼らの抱いている愛概念や神概念の根本的な過ちを指摘することで一蹴する光景は、クリシュナムルティの著作の読者にはお馴染みのものだろう。愛や神とはなにか、愛や神という言葉をどこから質問者は受け取り、どのような幻影で飾りながらそれを弄んできたか。そういったことを逆に質問者に向けて執拗に問いながら、クリシュナムルティは、質問者の思考や欲望の中にある矛盾を抉り出していく。超越性への架け橋を求め、悟りや救いを求めてクリシュナムルティに縋ってくる人々を、彼らのそうした欲望の構造の欺瞞性を突きつけることで打ち砕くのがクリシュナムルティの日常的な作業だったのであり、そうした熾烈な基礎作業を経ないかぎり、「神」にも「愛」にも「価値」にも「生」にも向かいようもないのだということを、長い生涯を賭けてくり返し語り続けた。「真理は、そこに行き着く方法のない孤島である」という有名な言葉がクリシュナムルティにはあるが、これはなるほど、生真面目一方のせっかちな修行者には絶望的と映る教えでありながら、超越的なものと人間との関わりを端的に表現したものとして、正確この上ない。たどり着くための方法のない孤島とは言いながら、クリシュナムルティが真理の存在を否定していないということこそが此処では重要である。真理へ、つまり悟りへ、超越へ到ろうとするあらゆる方法とシステムは誤っており、そこには必ず権力の悪用と商売が介入し、早期に適切な批判と破壊がなされない場合には、キリスト教が全世界にもたらしたような災厄が招来される。祈りや真言の文句のかわりに「コカコーラ!」と唱えてもなんら変わりはないのだ、脳と意識はそういう性質を持っており、そこに発生し続ける欺瞞を徹底して暴かないかぎり、聖なるものに向かうことは危険なだけである、そう訴え続けた柔和な二十世紀の最高覚者の、講話の際の非常な厳格さには忘れがたいものがある。
ラージニーシは、ほぼクリシュナムルティと同じ観点に立っていたと思われるが、世界中から押し寄せた弟子たちや追従者たちに、あえて「コカコーラ!」という類の言葉を唱えさせ、それを真言とさせたところに、ユニークさも、ユーモアも、危険もあった。人間の精神活動というものが、基本的に自己欺瞞の巨大な活動体であって、この瞞着の泥沼を抜け出るのには世間的な常套手段では埒があかないと知悉していたところに、また、実際に思い切った修行法を大がかりに実行したところにラジニーシの導師としての天才はあった。彼がクリシュナムルティと異なるのは、人間というものが常になんらかの行動をしないではいられない性質だという認識に立って、あらゆる日常的活動をすべて「瞑想」と見なすダイナミック・メディテーションという方法を作り出した点にある。
心を鎮めて座るのももちろん「瞑想」、しかし、行住坐臥のすべて、掃除から料理からスポーツから、はては読書、排便、睡眠、セックスに至るまですべてを「瞑想」と呼んで、いわば「瞑想」を一般人たちに解放したラージニーシの方法は、もちろん、霊的修行の歴史の中ではそれほど異質なものではなく、むしろ様々な宗教的修行の伝統の一端を担うものといってよい。しかし、これがまさに二十世紀に相応しいと考えたところにラージニーシの慧眼はあった。
ダイナミック・メディテーションで重要なのは、どんな行為においても、行為者本人が内的凝視を行うという点である。行為・凝視・凝視者の融合と分裂の同時生起によって、否応もなく、現実分析と現実乖離が発生し、ここから現実の再構成へと向かう意識が新たに形成されてくる。昔よりもはるかに外界からの刺激に馴染み、それを求めるようにもなった二十世紀人たちにあてがうには、なかなか優れた修行法だったというべきだろう。本来、悟りというのは、出生や成長とともに強制され続けてきた現実の、主体的再受容、ないしは脱構築的再受容を意味する。世俗界から一時的に身をひいたり、隠居や隠棲が容易にできないほどに監視システムが張り巡らされてしまった近代において、あえて世俗界の中に身を置いて、そのまま社会活動を続けつつ常時「瞑想」状態に入れさせようとするラージニーシの方法は、「瞑想」者の内部において世俗界が激烈に異化され続けていくがゆえに、まさに革命そのものといってよかった。
敏感な文学者たちは、もちろん、どんな時代にあっても自らこうしたラージニーシ風の「瞑想」方法に到達するもので、シュルレアリストたちは言うまでもなく、ビート・ジェネレーションの詩人や作家たちの創作行為に、明らかなかたちでこのダイナミック・メディテーションが顕われたのは忘れがたい。瞑想詩人ともいうべきケルアックの『オン・ザ・ロード』は、彼の創作行為の中では比較的「瞑想」に遠いものに見えるが、しかし、長い経典のようにひと続きに張りあわせた一枚の紙にタイプしていったという記述行為は、たとえ早く打つという実用性の要請から出たとはいえ、考え直してみれば「瞑想」行為に相応しい象徴性を持つものであり、写経であり、祈りそのものだった。たんなる類似に過ぎないとして、『オン・ザ・ロード』原稿の経典との形体上のこうした対応関係は軽視されかねないのかもしれないが、ボードレールが『Correspondances(照応関係)』という詩で定着して以来、文芸の世界では、ありとあらゆる象徴関係の網の目が、精神界に現実に張り巡らされていると認識する倣いである。たとえば私がいま、目の前に一輪の花を想像し、その花びらに軽く触れるとする。そして、同じその指先で、傍らに開かれた地図のアドリア海に触れるとする。この時、私は花とアドリア海を、私の指を以て、また一身を以て結んだのであり、アドリア海には私の指先から花が流れ込んだことになる。これは空想ではなく、言葉の綾でもなく、象徴の網の目の張り巡らされた界において現実なのである。ある人間が詩人となるか否かは、ひとえに、ここの現実性の享受の厚みにかかっている。これはもちろん、幻想の中に埋没し去る度合いの強さということではない。幻想界と呼ばれかねない微妙で複雑な関係性の海が精神の領域には確かにあり、そこを巧く泳げば、途方もない即時のコミュニケーションが獲得できるとの知を持つ、ということだ。文芸も魔術もここのネットワークを駆使する。

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ビート・ジェネレーションたちは、ラージニーシのアメリカでの活動に先行するので、ラージニーシの影響を蒙ったとはいえない。むしろ、ラージニーシが、自分の活動すべき場所の調査の際に、ビート・ジェネレーションたちの著作を参照したというべきだろう。
人間の世界では、ひとつの精神的なうねりが起こる時というものがあって、様々な個人の出現は、そうしたうねりの表面を飾るモザイクに過ぎず、個人間の影響関係や前後関係を細かく問題にし過ぎると、本質を逃す場合がある。第二次大戦後の世界で起こった「瞑想」現象は、ひとつのうねりとして、いまだ裾野の見定められないほど大きいものだったが、今回亡くなったマハリシ・マヘシュ・ヨギも、これを彩ったモザイクの一片だった。
クリシュナムルティもラージニーシもマハリシ・マヘシュ・ヨギも知らず、ヨーガや瞑想やヒーリングに関わって悪いということはない。しかし、現在、世界中で見られるそうした心身調節法は、すべて、あの五十年代六十年代の「瞑想」の山系から流れ落ちてきた末の末の、そのまた末の加工品だと知っておくほうが、なにかと安全には違いない。二十世紀の覚者たちの言説にたっぷり接しておけば、オウム信者になるはずもなく、新興宗教のどれひとつ認めもしないだろうし、既成宗教の欺瞞にも一切の容赦をしなくなるだろう。
あそこに立っている一本の木を、あなたは本当に見つめたことがあるだろうか、と、対話の最中、話をふいに止めて、相手にクリシュナムルティは問うことがあった。あれを、木だとか、どんな種類の木だとか、なにかの象徴だとか、自分の家の庭に植えたらいいだろうといった思いなしに、親しかった友人とあの種類の木の側で語り合ったことがあったといった思い出などもすべて抜きで、ただ見つめたことがあなたにはあるだろうか。
そのように見つめた時になにが起こるか、それを、あらゆる人間が、まず生きなければならない。この数千年、あるいは数万年、無数の人間が生まれてきて、たったこれだけのことを殆どの人が成しえずに死んでいった。人類は一度も前向きに歩みを進めたことはない。地上にはいまだかつて、記憶されるほどのことはなにも起こったことがなく、すべては有史以前のままにある。あなたがあの一本の木を、言葉なく、概念なく、記憶もなしに見つめるならば、その時にのみ、初めて、人類は一歩踏み出す…
こういう彼の言葉を無視したり、否定できるようならば、いかなる「愛」とも「神」とも無縁の意識というべきだろう。文化や時代の流れや流行、さらには、すでにニーチェが抉り出した価値評価欲のおぞましい宴などは、そうした意識たちに投げ与えておけばよい。

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