2018年7月17日火曜日

日本破壊への無限の欲望 1995年5月14日


 Nouveau Frisson 37号(1995年5月17日発行)所収
(20世紀終わりに作っていた個人誌の古い文章であるが、 当時の知的感情的状況をなかなかよく伝えており、現在でも大筋で見解の変わっていない内容であるため、ここに採録する。先頃の幹部処刑に際して、オウム真理教がたんなる反社会的集団やテロ集団であるに過ぎなかったかのような貧しい受けとめ方が蔓延していることに衝撃を受けたことが、この採録の理由である)


オウム事件について友人と話していて、世代の違いという言葉が出た。どちらが口にしたものか忘れたが、「世代」という便利な、しかしかなり眉唾ものの言葉が出た瞬間から、ふたりともなにか、了解がいくような気になったのを覚えている。ともに同世代だが、オウム真理教にたいする学者やジャーナリスト、コメンテイターたちの対応について、どちらもどうも引っ掛かるものを感じていたのだった。
 テレビや雑誌などで自分の言説を披露する機会のあるそうしたひとびとは、だいたい四十代から五十、六十代までが多いようだが、かれらの多様な意見の根底には、どうやら共通した見解、というか、印象とでもいうものが必ずあるように感じられてならない。それは、オウム真理教のひとびとのこころが、とにかくわからない、不可解だ、奇妙な連中が出てくるようになったものだ、といった印象で、どのような意見も考察も、みな一様にその印象のうえに作り上げられているように見える。わたしたちが引っ掛かっていたのは、そうした学者やジャーナリスト、コメンテイターたちのオウムにたいする基本的な不理解だった。なぜかれらがオウムをわからないというのか、それが逆に、わたしたちにはわからないのだ。むろん、かれらの意見の論理も理解できるし、社会問題や刑事問題として見た場合のポイントの指摘のしかたも理解できる。理知的にはすべて理解できるのだが、オウム的な現象にたいしてかれらの抱いている心情的な違和感が、こちらから見るとふしぎに思えるのだ。おおげさにいえば、かれらこそ異常にも不気味にも見える。
 わたしたちにとっても、むろんオウム真理教の教義、しくみ、影の実行部隊なるものの活動、一般信者の純一な信仰などは、人間としてあきらかに異常に近いものと映る。かれらのそうした面については、理解も共感もできない。しかし他ならぬ現代の日本に、こういうものへの「信仰」によってしか救われない(もちろん、実際はこれによっても救われないのだが)極度に追い詰められた多くの若いたましいがあるのは、なによりも、自分のこころを覗き込めばあまりに明白だし、まわりの友人知人たちを見ても疑いようのないことなのだ。オウム真理教自体には共感も興味も湧かないとしても、また、他の新宗教にたいしてもそのようであるとしても、そうしたものへの「信仰」に傾く可能性としての、現代日本にたいする激越といってよいほどの敵愾心があるのを、一時として忘れたことはない。わたしがいま、わたしのこころのなかにあるそうしたものを、たんにこころの空虚さとか、むなしさとか、孤独とか表現せずに、あえて現代日本への敵愾心とよぶのには理由がある。それが、わたし個人の心的、精神的な努力では解決できないものであることが明白だからだ。具体的にいえば、金の崇拝、会社信仰、学歴信仰、核家族信仰、同質性の強要、かつてコジェーヴが指摘したような内容空疎な形式の繰り返しの無間地獄的なオートマティスム、成人の下品さと傲慢さ、念の入った嫉妬深さ、実生活における合理性の徹底した欠落、長期的な文化形成の精神の皆無、家や都市をつくるうえでの美意識のむごたらしいまでの欠如(屋台のような家屋を住居とし、みにくいというよりは下品というべき日本の都市に平気で住んでいられるひとびとが、上九一色村のあの「サティアン」群のみにくさを笑うことほど滑稽でもあり、さびしいことはない)等々、枚挙に暇がないほどだが、戦後五十年のあいだに、経済のうえでの発展にともなって、これらはおぞましいまでに肥大化の一途をたどってきたのである。ひとりで、これらとどう戦えというのか。こころのうちに取り込まれ、当然じぶんの一部ともなったこれらを、どう克服しろというのか。わたしの場合も友人の場合も、おそらく資質によるのだろうが、おのおの完全に孤独な戦いを選んだ結果、いかなる新宗教にも騙されることなく済んできた。しかし、ひとによっては、オウムのような集団に、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように傾いていく場合もあるだろうと、わたしたちには我が事のように理解できる。理解でき過ぎる。
こういうわたしたちから見れば、かりにオウムが日本社会にたいしてテロ行為を行うに至ったという事実があったとしても、その事情はわかり過ぎるほどわかる。日本社会は、たんにかれらの外にある物質的生活の場ではない。そんなマルクス主義的な社会観にもとづいていては、かれらを理解することも、わたしたちの世代を理解することもできない。日本社会は、かれらの内部の病巣でもあるのだ。かれらの内部の苦悩そのものなのだ。テロ行為が「救済計画」と呼ばれるのは、じつにきわめて論理的な表現というべきなのである。わたしたちの世代にとって、現代日本の破壊は比喩でも冗談でもなく、まさに「救済」そのものを意味しうるのだ。
 むろん、現代日本の破壊についてこのように考えても、それを主張したり実行したりする前に、当然反省して思い止まるのがふつうである。ひとは肉体的に生きなければならず、そのためには共同体の施設や制度を簡単に破壊するわけにはいかず、考えや感性のちがう他人の存在を無視するわけにはいかず、さらに、違う世代のなかにも同じような苦しみをひそかに抱えているひとびとがいることにも目を向けなければならないわけで、そうすることの結果、かならず、忍耐づよく穏当な方法を試行錯誤しつつ、世代から世代へと長期的に努力していくほかないことに思い至る。オウム真理教の失敗は、同質の感性や考え方、さらに同質の苦しみを抱えたひとびとが閉鎖的な精神空間を作り上げることで、こうした現実主義的な方法論の模索を可能にするような平衡感覚が完全に失われた点にこそある。閉鎖空間ができあがるのを、あらかじめ極力避けるように努めるべきであったのだ。これはひとつの集団にとって、ひとつの社会にとって、また、ひとつの「国家」にとってはなおさらのこと、明々白々たる方法論上の誤りであったといわねばならない。化学者も生物学者も物理学者も医学者も擁して優遇しながら、ついに政治学者も哲学者も文学者も顕職につかせることのなかったオウム国の政策上の過ちなのだ。しかし、この政策は、わたしたちの現代日本のそれになんと酷似していることか。
わたしも友人もいま三十五歳前後であり、わたしたちの世代という場合、当然その周辺の年令を指すわけだが、オウム問題を考えるうえでは、いまの二十代後半から四十代はじめくらいのひとまでを広義の同世代と呼べそうな気が、わたしとしてはしている。この広義の同世代のひとびとには、わたしがここで述べたような気持ちや思いというのは、かなりわかってもらえるのではないかと感じるのだが、どうだろうか。わたしは、もちろん世代論に執着するつもりはないし、はじめにも書いたように、世代という尺度のよくよく眉に唾すべき性質にも気づいていないわけではない。が、いまの日本を支えている、というよりは、いまの日本の状況に固執して、無事に老後を迎えようとしている年代のひとびとと、わたしたちの世代のあいだには、感性においても考え方においても、どうにも埋めようのない亀裂が今後、ますます急速に広がっていくのではないかという思いを持つ。オウム真理教に走った息子や娘たちが親をどう扱ったか、それがまだまだ生温い発端にすぎなかったという事態の到来が大いにありうると考える。
 日本がオウム真理教に翻弄されているあいだに、オウムと関わりの深いロシアでは、四月、チェチェン共和国内のある村の村民たちにたいして、大量の麻薬を常用しているというロシア内務省軍による無差別虐殺が行われていた。八千人の村民のうち、約二千人だけが生き残った。赤十字国際委員会がロシア軍の許可をどうにか取り付けて数日後に村に入った際、実際に確認された村民の死者は三千人であったというが、国際問題化を防ごうとしてロシア軍は相当の隠蔽工作を試みたようである。
 いまのところ、日本におけるオウム事件は、物理的にはこのチェチェンでの無差別虐殺の比ではない。しかし、オウム事件で表面化してきたわが国の病巣の大きさと進行の程度はすでに侮りがたい状態にまで至っていると考えておくべきでないか。今回の事件によって、病巣への手術が行われることになるといった楽観的な状況にあるのではなく、オウムはただの発端にすぎないという予感が、どうにもおさまらない。手を替え品を替えといった調子で、わたしたちの世代の日本破壊への無限の欲望は現実化され続け、いつかかならず、この国を完全な廃墟にしていくに到るような気がする。
 わたしたちの世代の日本破壊への無限の欲望は、たぶんわたしたち自身のものというより、たとえば掃滅された縄文人のそれであり、三光政策で虐殺された大陸のひとびとのそれであり、隠微にに苦しめられ続けてきた国内の底辺のひとびとのそれであるのかもしれない。そうだとすれば、日本がこの先生きのびるすべなどないはずだろう。麻原氏の「予言」のように、滅亡の後にのみ日本の再生はありうるとする考え方も、こんな空想をしてみれば、それなりに理解できる気もしてくるのだ。



(註1) オウム真理教内部の幹部たちの間に見られる世代の違いを、わたしは知らないわけではない。オウムの関係者をみなわたしの世代と見ているわけではないことは、断わっておきたい。わたしがオウムを同世代と考える時は、科学研究や法律問題や外報部門に関わったひとびとを念頭に置いている。いわゆる影の実行部隊に四十代後半の人間や二十代の人間が目立つのは興味深いことで、今後、幹部や主要メンバーたちの教団内部での仕事と実質権力と年令等の関係については、ひとりひとり綿密に調査される価値があると思う。

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2)  この文章は、最近の報道内容が真実にそう隔たっていないとの仮説に立って書いた。具体的には、化学班キャップ土谷正実容疑者が、警察の取り調べにたいしサリン製造を供述したとの報道をいちおう信じることで、これは書かれている。しかし、捏造や誤報の錯綜する今回の事件において、情報操作や情報売人たちの活動も考慮すれば、土谷氏の「供述」はいまなお一情報としてのみ扱われなければならない。現に、五月十四日の「サンデー・プロジェクト」において、上祐史浩氏はこの土谷氏「供述」の事実を否定している。上祐氏の発言にはつねに疑わしい点があるのも事実だが、土谷氏の弁護人からの情報では、報道されたようなサリン関連の供述はまったくなされていないとのことであり、そのかぎりでは看過しえない発言である。この文章では、土谷氏のサリン製造供述を、現時点での仮説としてしか扱っていないことを明記しておきたい。



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