2012年3月12日月曜日

賜(し)や、始めて與(とも)に詩を言うべきのみ





 『書経』のうちの『舜典』には「詩言志」、詩は志を言う、とある。抒情を言う、とも、新味を言う、とも書いていない。
 現代の詩を狭いものに落とし込もうとする偏見に対しては、これをぶつけておけば十分だろう。現代には現代の「詩」の展開があっていいわけだが、「詩」という字を使う以上、どのような近現代詩よりも古い『書経』にある意味を無視してかかるわけにはいかない。
『書経』とならぶ重要な古典としては、詩そのものである『詩経』もある。孔子の学塾では『書経』とともに重要な教科書であったという。「経」の字が付けられるようになったのは宋以後のことで、孔子の時代には、ただ「詩」と呼んでいたらしい。中国各地の民間に伝わる詩歌を311編集めたもので、これらこそが「詩」だった。
『論語』の為政第二の二にこのような言葉が伝わっている。

子曰く、詩三百、一言にして以て之を蔽えば、曰く、思い邪なし。
(子曰。詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。)

「思い邪なし」というのは、『詩経』魯頌の駉篇の一句という。孔子はこれを引いて、『詩経』約三百編の性質を評した。詩の本質をここに見ていた、ということだろう。『舜典』の定義をあわせれば、邪な思いのない志の表現こそが詩である、となろうか。漢字で「詩」と呼ぶことを続けている日本では、「詩」のこうした部分の意味あいを押さえておくことは有益だろう。意味を狭めるためでなく、ともすれば狭くなりそうな定義やイメージを、必要に応じて広げ直すために有益なのである。

              ☆

『論語』の学而第一の十五を読みあわせると、孔子の捉えていた「詩」はさらに広がりを持ってくる。

   子貢曰く、貧しくして諂(へつら)うことなく、富みて嬌(おご)ること無きは、何如。子曰く、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて禮を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯れを謂うか。子曰く、賜や、始めて與(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて來(らい)を知る者なり。
(子貢曰、貧而無諂、富而無嬌、何如、子曰、可也、未若貧而楽道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也。)

 いまの言葉で見直すと次のようになる。

〈子貢が言った。『貧乏でもへつらわず、富んでも驕らないというのはどうでしょうか』。先生は答えた。『いいことだ。しかし、それは、貧乏でも道を楽しみ、富んでいても禮を好むような者には及ばないね』。子貢が言った。『詩経に、切磋琢磨、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し、とありますが、このことでしょうか』。先生は言われた。『賜よ、きみとなら詩の話ができる。往路を教えただけで復路までわかってしまうのだからね』。〉

 詩の話ができる者として子貢が認められた瞬間が提示されている箇所である。子貢はここで、当時の詩のほぼ全てにあたる『詩経』について十分な知識を身につけていること、しかも、適切な連想と引用ができるだけの動的な知としてそれを身につけていることを示しているばかりか、展開されている話題と同構造の詩句を『詩経』から立ちどころに検索して記憶から引き出してこれるだけの構造的思考、すなわち象徴的思考の能力を示している。もちろん、状況への対処能力は言うまでもない。
 孔子による「詩」の定義として、もっとも興味深いものを表わしている箇所と見るべきであり、現代の「詩」の核心にもそのまま通じてくるものがここにはある。
子貢のこれらの能力を、次のように言い替えてみよう。
すなわち、過去の詩作品全般についての知識、「往路を教えただけで復路までわかってしまう」ような想起と引用を可能にしうるだけの絶えざる学習と復習、構造的思考力や象徴的思考力(これは、概念や表象の間の関係性を抽象し、その幾何学的ないし代数学的相似に敏感でありうる能力である)の養成、状況への対処能力など。
こうしてみれば、「詩」は数学であると定義したヴァレリーにも、彼の師のマラルメの詩法にも、また、マラルメの師にあたるポーやボードレールの詩法にも、容易に繋がっていくような認識が提示されていることになるだろう。

              ☆

 問題は、孔子や子貢の時代とは異なり、現代における「詩」の範囲と量は、『詩経』のそれをあまりに厖大に超え出て溢れ出てしまっていることであり、古今東西の全容を概観することさえ、まず不可能だという事態である。個別言語の特性のいちいちに密着したミクロな言語運用が「詩」の特徴である以上、翻訳による鑑賞では粗い意味の流れしか捉えられず、その点に厳密真摯であろうと努めれば、自国語ないしは、習得して慣れ親しんだ若干の外国語の中に閉じ籠もらざるをえなくなってくる。
そこで、しかたなしに、厳密さへの欲求を緩める必要も出てくるが、このあたりの調整が大きな必要事として加わってくるあたり、現代の「詩」の、不可能性そのものともいえるような困難さが、そのまま丸ごと条件として横たわっているのを感じざるを得ない。
 知り得ぬこと、視野に取り込め得ないこと、視野そのものの拡張の不可能性は、人間の精神にとっては、多くの場合、苦痛そのものを意味し、死さえも意味しかねないが、「詩」にとっては、その度合いは特に激しい。意識に入ってこない「詩」がある場合、入ってこない「詩」は、詩的意識にとっては欠けを意味し、死の部分となる。意識し得ないことによって、その「詩」の分だけ、意識は死んでいるのである。

              ☆

 これを「盲目」と言い換えてみると、 ギンズバーグの『吠える』に寄せたウィリアム・カーロス・ウィリアムズの序文が思い出される。

「わたしたちは盲目で、盲目のうちに最後まで盲目的な生活を送っている。詩人たちというものは呪われてはいるが盲目ではない。彼らは天使の目をもって、ものを眺めている」。

 ここで彼の言う「天使の目」とはなんだろうか。
人間が、いや、「わたしたち」が、――人間と「わたしたち」とはイコールではないだろうから――、「盲目で、盲目のうちに最後まで盲目的な生活を送っている」との認識を持つ、すなわち「呪われて」いる、そういう「詩人たち」が持つ「天使の目」とは?
 盲目という現状の自覚、そうした限界性の自覚の内在化、さらには盲目という限界性そのものの自我化。そうした構造ができあがったところから発せられる視線が「天使の目」であろうかと考えてみたくなるが、「詩人たちは呪われてはいるが盲目ではない」と言う以上、盲目を自我の属性とし終えた「詩人たち」はすでに「盲目ではない」という変貌が、ここには読み込まれている。しかも、『パターソン』という巨大な長編詩を制作したウィリアム・カーロス・ウィリアムズ自身にして、あえて、「わたしたちは盲目」と言い、「天使の目」を持つ「詩人たち」を「彼ら」と呼び続けている。
 詩的論理、いわば、「天使の」論理が、このわずかな中にも展開されている、そう見るべき箇所だが、まさに「賜や、始めて與(とも)に詩を言うべきのみ」と評されるべき箇所だろう。『詩経』の範囲をとほうもなく超えた壮大なスケールで、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、「さあ、詩の話をしよう!」と誘っているのである。

     ()


☆『論語』の引用は金谷治訳注の岩波文庫より。しかし、現代語訳は宮崎市定『現代語訳 論語』(岩波現代文庫)、貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)などを参考にして、改変してある。

0 件のコメント: