2010年9月20日月曜日

宇野千代、「満艦飾」の「粋」



「着物と言うものは美術品ではありません。どんなに巧緻な作品でも、それは実用品なのです」(1)

『薄墨の桜』という小説の中の、作者本人にきわめて近く設定された語り手の言葉ですが、これはこのまま、宇野千代というひと本人の、あの広く長い活動のすべてを仕付けていた糸のようでもあり、根本の方針でもあったようです。
 小林秀雄や青山二郎といった、当代一流の美の求道者を友とした宇野千代が、おのずと培った姿勢のとり方ともいえそうですし、彼女の好んだフランスの哲学者アランの思想を自家薬籠中のものにした結果ともいえそうです。小林秀雄の思索の師でもあったアランは、実用を忘れないことや、制限や不自由などが、かえって、どれほど豊かな成果をもたらしうるか、思索を生き生きとさせるかを、つねに説き続けたものでした。
 もちろん、極貧も破産の苦渋も経験し尽くした末に、きもののデザイナーとして大輪の花を咲かせ、作家としての大きな成長も果たし、さらに、後に続く人たちのために、ユーモアにあふれた励ましの言葉を世に送り続けた宇野千代自身の人生そのものから、ごく自然な実りのように、ほとりとこぼれ落ちてきた感慨でもあるのでしょう。

『おはん』や『風の音』といった代表作に、華やかなきものの描かれ方が意外と少ないのは、こうした考え方のためかもしれません。
 時代背景から言っても、作中の人物たちは当然のようにきものを着た生活をしているのですが、そうしたきものはどれも、まさに「実用品」として扱われています。実用品というのは、もの自らは主役の座をかたくなに固辞し、あくまで持ち主や使い手である人間を主役として立て、生活のさまざまな場面にふさわしく生が流れるよう支えてくれる品々のことです。実用品としての役割をきびしくきものに課した宇野千代の小説というのは、じつは、とても厳格なきもの論に貫かれているともいえそうです。

 これとは逆に、今でも入手の容易な『きもの日和』(2)や『宇野千代きもの手帖』(3)、『宇野千代 女の一生』(4)など、きものデザイナーとして、また、ファッション雑誌の編集者としての活躍を一望できる本を覗くと、ワンダーランドとでもいわんばかりに絢爛たるきもの世界がひろがり、まるで美しい花々を集めた写真集を見るかのよう。陶然とさせられるのですが、 

「『粋』とはとりつくろわないもののことである。化粧はしていても、決してしてはいないように、素顔であるように見えなければならぬ」。(5)

 こんな言葉を思い出せば、彼女のきもの創作時の心構えが、じつは、小説世界の一見地味とも見えるきもの使いに通底していたのに気づくのも、そう困難なことではありません。
「とりつくろわない」ことのよさは、宇野千代のきものデザインの現場では、「単一の印象、単純明快の印象」をいかに創造するか、という配慮において追求されました。

「この単一の印象、単純明快の印象、と言うものが、美しい、と言うことの根源であるように、私には思われる。私のきもののデザインの印象も、これを踏襲している。この、単一である、と言う印象を決して離れない。色も柄の配置も単一である。これが、シックとか、知的とか言われるものの印象である」。(6)


 同じ方針は、きものの着かたにおいても、宇野千代の勧めるところでした。

「和服をすっきりと近代的なセンスで着るのには、何はさておき、全身の色を、色の数を出来るだけ、単純に統一すること、その感覚を持つことが、一番近道ではないか知ら、と思うのです」。(7)

 せっかくですから、着かたについて、ご本人に、もう少し語ってもらうことにしましょう。

「何と言っても、全身の印象が騒がしくないことが肝腎である。知的に見える。それには、まず、自分の好きな色を決めておくこと。その好きな色で、全身を統一すること。私の例で言うと、私は墨色と紫と藍が好きである。きものが墨色の濃淡で染め上げた小紋の場合は、帯は白地、羽織はパールグレーの無地、と言う風に。羽織の紐と帯〆とはなるべく同色に。この頃では、殆ど羽織と言うものを着ない習慣だと聞いたが、羽織のない場合には、帯〆だけをただ一色、朱色とかにして、全身の利き色にして見るのも、面白い。お洒落は絵を描く積もりになってすること。まァ、こんな愉しいことがまたとあろうか、そう思ってすることである」。(8)

 なるほど。
 こんな話を聞いた上で、あれこれ、彼女の小説の中のきものを振り返ってみると、たとえば、

「おはんは白い浴衣きて、髪を一束(いっそく)にたばねたまま裏手からはいってきました。あなたさまもご存じのように、七夕のあけの朝は、どこの女(おなご)も川で髪洗うて、その一日束ねたままでいてますのが、ここいらの習慣(ならわし)でござります」(9)

 なにげないこうした描写も、まさに宇野千代流の「粋」に、すっ、と通じていくものだったことに気づかされるのです。

 とはいえ、彼女の「粋」が、色づかいや印象をつねに「単一」に絞って、無難に破綻を避けようとするたぐいのものでなかったのも、やはり事実というべきでしょう。
 尾崎士郎と馬込に住んでいた頃、「それほど好い着物ではない、ぴらぴらした安物を身につけ、顔だけ、満艦飾に化粧して、にこにこしながら歩いていた」(10)のを、「生粋の江戸っ子で洒落者である広津和郎」(11)に「初荷の馬」(12)と言われた、という有名な話があります。
 千代自身が持って生まれた本性であるらしい、この「満艦飾に化粧して、にこにこしながら歩」く喜びや愉しさへの傾向を、いかに「粋」の枠組みの中にいっぱいに取り込むか、いかに「満艦飾」の「粋」を花開かせるか。宇野千代一生の美的挑戦の核心は、そんなところにこそあったように思われます。
 そうした挑戦の中で、実際の仕事に携わる時の思い、心意気といったものは、きっと、みずから聞き書きした人形師久吉のそれと同じでもあったでしょう。

 「わがが拵えたものでござりますけに、いつでも、まだこの上のものが出来ると思うております。死んだらそれではじめて、ここまでしか出来なんだというくぎりがつくようなものでござりましょうぞ。飛騨の匠(たくみ)でも、左甚五郎はんでも、これならええと思うて死んだのやないと思います。もっと長生きしてましたら、どれだけのことをしてのけたろうぞと思います。ほんに、死んだのが、一番のおとまりでござります。芸のお了いでござります」。(13)

 八十五歳から書き出した『生きて行く私』で、宇野千代は、自分自身のそれまでの人生と、なお「生きて行く」現在そのものを、どの小説よりも柄の大きなひとつの作品とすることに成功しました。彼女自身が、彼女にとっての最大の、永遠の生成過程にある作品となったのでした。それ以降のエッセイ集や人生論集の数々は、さすがに高齢ということもあってか、断章形式やくりかえしが目立つようになりますが、それでも、彼女のきものデザイナーとしての第一歩のひとつともなった「きりばめの着物」(14)同様、それらが、文章の「きりばめ」であるということを思うと、つねに新たな始まりであり続けるかのような宇野千代の生の、不思議なまでの様式美に感嘆させられます。それらの中に散りばめられているこんな言葉の数々、

「どこまで行きつけるか、見本があるとしたら、私がその見本になりたい。そして、それがどんな見本であっても、誰にでも、何らかの参考になれるような見本になりたい」。(15) 
 これらは、人生の苦渋も華やぎも、どん底も頂点も経験し尽くし、百歳近くまで生き切った宇野千代の言葉だからこそ、今後、ますます説得力を増していきそうです。経験にしっかり裏打ちされた、実質のこもった意欲ある言葉、自他への励ましの言葉というべきでしょう。女学校を出て、すぐに代用教員となって人生を始めた「宇野先生」(16)は、本当に長いながい人生をかけて、容易には真似のできない、まことに立派な人生の先生になられた、といえそうです。

 宇野千代はドストエフスキーを非常に好み、家にも別荘にも全集を置いていたといいます。そのドストエフスキーの本質を評した、世界的な文芸評論家バフチンの言葉を思い出しておきたく思います。一見、宇野千代と関わりがないようにも思われますが、これほど彼女の精神に通じる言葉もないでしょう。

 「世界には未だかつて何ひとつ決定的なことは起こっていない、世界についての、また、世界の最後の言葉は未だ語られていないし、世界は開かれたままであり、自由であり、いっさいはこれからであり、永遠にこれからであろう」。(17) 

 生前、「宇野先生」は、これをお読みになったかどうか。きっと、大いにうなずかれたことと思うのですが。
 
 
 
◆この文章は、修正をくわえた上で、『美しいキモノ』二〇〇七年秋号(アシェット婦人画報社)にも、「日本文学に見るおしゃれ・女性作家ときもの【宇野千代】」として掲載された。駿河昌樹文葉『トロワテ』43号(2007年9月)にも掲載された。
[注]
(1)『薄墨の桜』(集英社文庫)
(2)『きもの日和』(世界文化社)
(3)『宇野千代きもの手帖 お洒落しゃれても』(二見書房)
(4)『宇野千代 女の一生』(新潮社)
(5)(6)(8)『幸福は幸福を呼ぶ』(集英社文庫)
(7)『行動することが生きることである』(集英社文庫)
(9)『おはん』(新潮文庫『おはん』。他に中公文庫『おはん・風の音』所収、平凡社ライブラリー『宇野千代聞書集』所収)
(10)(11)(12)(16)『生きて行く私』(角川文庫)
(13)『人形師天狗屋久吉』(平凡社ライブラリー『宇野千代聞書集』所収)
(14)『しあわせな話』(中公文庫)
(15)『生きる幸福 老いる幸福』(海竜社、集英社文庫)
(17)『ドストエフスキー論――創作方法の諸問題』(新谷敬三郎訳、冬樹社、一九六八年)

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