2010年9月5日日曜日

花のやうなるうすものに



 浴衣も近ごろは色とりどりで、お祭りや花火のある日など、まだ暗くならないうちから目を楽しませてくれます。ふだん着物に馴染んでいない若い女性たちが、夏の特別の晩のためにぎこちなく着ているのも、悪いものではありません。着物に親しんだ姿からは得られない華やぎというものもあって、見ているこちらの心にもお祭り気分が伝わってきます。

 しかし、当然のように着物を着ていた時代、日が暮れてさえ暑い時候に、ただの白い浴衣でさっぱりと現われる女性の姿にも不思議な魅力があります。宇野千代の名作『おはん』でも、読者を物語に引き込んでいくのは、やはり印象的な夏の着物の白さでした。

 「あれは去年の夏、盆も間近かの或る晩のことでありました。
 町の寄合ひのくづれで、よそのお人と二三人あの臥(ぐわ)龍(りよう)橋(ばし)の橋の上でええ心持になつてふかれてゐてたのでござります。すると誰やら、白い浴衣きた女がすうつと私のすぐ傍(ねき)をすりよつて通るのでござります。(…)」

 主人公が、一度は別れたおはんと再会する場面ですが、かつての日本の夏では、ごくありふれた浴衣姿だったに違いありません。今では、こんな光景もすっかり見られなくなりましたが、夕方から繊細なレース状の花を咲かせるカラスウリの花のように、闇の中に夢とも幻ともつかない白さを灯らせる浴衣にして、はじめて、私たちを導いて行ってくれる世界というものもあります。

 夏の着物の「白」ということで言えば、宇野千代より前に、与謝野晶子はこのような短歌を作っています。

   水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華(なには)の子かな

 晶子も二十六歳ごろで若く、描かれている対象も若いからでしょうか、ここでは帯の白が、人生の重みに染まらない素敵な軽みを体現しています。水に咲く花が喩えで、白い帯をしている浪華の子のうすものが実景なのですが、まるで、水に咲く花のほうこそが、いっそうの真実として目の前に浮かび上がってくるかのような印象を与えられます。生きてある喜びというのは、幻のようなこんな光景が、ありありと心に得られている時に感じられるものではないでしょうか。

 彼女が夏の着物を歌い込んだ作品には、次のようなものもあります。

   誰が子かわれにをしへし橋納涼(はしすずみ)十九の夏の浪華風流(なにはふうりう)

   夏まつりよき帯むすび舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ

   うすいろを著よと申すや物焚(ものた)きしかをるころものうれしき夕(ゆふべ)

   半身にうすくれなゐの羅(うすもの)のころもまとひて月見るといへ

   あざやかに漣(さざなみ)うごくしののめの水のやうなるうすものを著ぬ

 はじめの三首が二十六から二十八歳頃の作、最後のものは三十一歳頃のもので、一見たおやかにも見える歌の姿ですが、日本の夏の風物を存分に楽しみ、どこか酔い心地にさせられるこの暑い季節を、日本女性として全身で生きつくそうとするつよい姿勢が感じられます。日本という風土と社会の中で、ひとりの女性がどう生きていくか。生涯を通じて彼女の課題となったこの問題意識は、まず、日本の風物の中での、男性に押し付けられたのではない女性自身の美意識の追及というかたちで、若き日の作歌に結実したのです。

 浴衣から、夏の着物の「白」に導かれるかたちでたどって来ましたが、夏を告げる「白」を、爽やかにことばに定着した女帝・持統天皇の『万葉集』中の名歌を、やはり思い出しておくべきでしょう。

   春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山

 「あゝ、春も過ぎて、もう、夏が来たのですね。ご覧なさい、香具山を。夏衣が、まあ、真っ白に干してありますよ」。
 こんな歌意ですが、現代の感性にもそのまま通じるような、夏という季節の生き生きした素晴らしさの発見が、たった三十一音で、みごと、ひと息に歌い上げられています。
 後年、藤原定家は、この歌を次のように変えて、『新古今和歌集』や『百人一首』に採りました。

   春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山

 この歌では、香具山で衣が干される風景は、すでに伝承のかなたのもの。すでに失われた心の景です。持統天皇の頃と同じように夏はめぐってくるものの、それはもはや、若々しい鮮やかな夏ではありません。
 すでに中世という老いの時代に入った日本の詩歌が、若かりし頃を懐古しながら生み出した切実な改作ということができそうです。


◆この文章は、『美しいキモノ』二〇〇六年夏号(アシェット婦人画報社)にも、「典雅の心を歌に詠む 日本文学ときもの【短歌編】」として掲載された。
◆駿河昌樹文葉『トロワテ』22号(2006年5月)にも掲載された。

0 件のコメント: