2012年7月23日月曜日

わがかつて生みしは木枯童子にて ――富小路禎子の非婚



 富小路禎子(とみのこうじよしこ)の歌の魅力は、言葉づかいの艶や才気から来るのではない。おそらくは宿命から、貧から、不如意から、石のように結晶していった末の自己限定から来ていた。諦め、欠如、放棄、絶望につねに接しつつ、しかし、それらに陥ってしまわないところに、一読忘れがたいあれらの歌は鏤刻されていった。
 和歌の家である富小路家の祖については、高橋順子の『富小路禎子』(新潮社、二〇〇一年)に詳しい。この本に沿って略述すれば、『枕草子』に「富の小路の右大臣のお孫」の「宰相の君」として言及されている人がそれだという。藤原時平の次男顕忠の子である右馬頭重輔の娘で、清少納言の仕えた中宮定子の上臈女房だった。清少納言と並び称される才女で、『古今集』をよく諳んじていたという。
 こういう平安貴族の和歌の家系に生まれ、日本国憲法施行による貴族院廃止で、貴族院議員を失職した富小路隆直子爵のひとり娘であったところに、彼女の運命の輪郭が描かれたといってよい。母は信濃の心根逞しい女で、文学にも関心が強く、禎子にとっては心の通いあわせられる唯一の存在だったというが、終戦直前に癌で亡くなった。「戦後がらりと変わった生活の中で無一物になりながら、働くすべも意志もない老いた父と二人の貧しい生活」の中に、いきなり投げ込まれた女子学習院出の二十歳の乙女、これが富小路禎子の出発点だった。
 作歌ということを考える場合、すでにはじめから、失われた母、意思疎通の容易でない老父、二十歳の娘ひとりの肩にのしかかる家計、民主主義の時代のふいの到来を喜びつつも、それによって自分の家の生活を破壊されたという感情、こういったテーマの数々が、彼女の心の中に、強い磁場を持つ原石として散りばめられている。昭和三十一年の処女歌集『未明のしらべ』を読むかぎりでは、彼女はほぼ、これらの原石を磨き出すことで作歌を行っていったが、ここにさらに、カトリックへの入信、嫁がず生まずして、富小路家を自らを以て終焉させるという生活上の事実が、富小路禎子を特徴づける大きなテーマとして加わってくることになる。
 戦後のみならず、それまで平穏に維持されてきた家庭の崩壊に直面して辛苦の生を負わざるをえない人びとはつねにおり、文学者の場合には、これが当然大きな創作のモチーフになっていく。華族として八つほど部屋数のある屋敷に育ち、貴族院議員としての父の報酬で生きてきていた富小路禎子が、空襲で家を失い、先述のごとくに父の失職と失意に遭い、千葉白浜の旅館女中の仕事まで含む下働きを余儀なくされていく経緯を年譜で辿ると、カトリックへの入信ということも理解はしやすい(もっとも、十年を経ずに棄教している)。
しかし、嫁がず、生まず、血を残さずという、あの生活事実は、どうして、どこから、彼女に来たのか。女ひとりで生きていくさえ困難な時代に、働く意志を失った老父を抱えて、地味な労働を続けながら生きていく生活の現実から来た、とは言えそうだが、そういう現実は必ずしも、嫁がないという結果に直接結びつくとも言えないはずである。富小路家の名は絶えるとしても、むしろ、いかなる譲歩をしてでも嫁いで生活を拓くという考え方もあろうし、普通はそういう場合のほうが多い。ここのところに、富小路禎子の公然たる謎が存在している。彼女の作品と、他の同じような生活苦を経験した歌人たちの作品とを判然と分かつ境界が、ここに形成されていく。

  独身(ひとりみ)を遂(と)ぐることも幾度か想ひつつ実りの秋(とき)をひそかに生きぬ

  女にて生まざることも罪の如し秘(ひそ)かにものの種乾く季(とき)

  口の中(うち)に氷くづるる音をきくすでに君とあることもものうく

  ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆(きづな)となるな

  処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす

  白々と野草乱れて種弾く秋ふけて吾に孵すものなき

  誤りて添ひたまひたる父母とまた思ふ子を吾はもつまじ

  夫(つま)あればかく詠(うた)はんと思ふ歌しばし惜しみてやがて忘れき

  三十女といふ語に清きひびきなくその齢(とし)にしも日々に近づく

  美しからぬ一人を写し古びたる姫鏡台を愛(を)しみ清むる

  冷えわたる夜更の床に己が身のぬくみ静かにまもらんとすも

  おのづからぬくむ夜床に眠り落つ素朴に浄き夢をたのみて

  会場に失ひて来しハンカチはよごれゐたりと思へてならず

  独り来て店にもの食ふ些事なども重なりゆけばつのる淋しさ

  荒々しき生活(たつき)そのまま身につきて女の舞を久しく舞はず

  女(をんな)舞(まひ)舞ふに艶(えん)なき己が身と年長(た)けきつつ深きかなしみ

  亡き母より女の心聞かざりし一生(ひとよ)淋しき娘(こ)の思ひなり

 独身(ひとりみ)ということ、嫁がないということに関連すると思われる歌を『未明のしらべ』掲載順に並べた。結婚せず、ひとりで生きていく決意が固まっていく様が見える、などと言ってしまいたくもなるが、そう単純ではないだろう。これらの歌のむこうに、決意、などいうものがあるだろうか。彼女の歌に対する評では、おりおり、非婚への決意を読みとるものがあったりするのだが、読解上、微妙な危ないところというべきだろう。小さな恋愛のさなかの思いつめ、行き違いなどを思わせる箇所もあれば、容赦なく過ぎていく歳月の中で年齢的な諦めを覚悟していくといった箇所も見うけられるものの、それらが、決意と呼べるほどの積極的な非婚の引き受けになっているかというと、断言は出来まい。
 経験した人ならわかるだろうが、貧しさの中では、人間関係を極力深くしないことで最低限の生き延び方をしていくという気持ちが、大きな位置を占めるようになる。他人の金にすがろうという人ならともかく、人に頼らず、潔く生きていこうという人なら、必ずこういう心持ちになる。愛情関係が出来かかっても、これ以上深まれば、生活上の共同ということが問題となってくる、と考える。生活費の分担はいいとしても、家の老父は相手には明らかな精神的負担となろう、と考える。ここで相手に頼ってしまえる心持ちの人間ならば、苦労はしないし、歌もよほど違うものになってくる。それはそれでいい歌になるかもしれない。しかし、富小路禎子が華族出であることが、おそらくこういうところに強く出てくる。頼ってはならぬ、という戒律は、たぶん生来のものとして魂に刻まれていたのだろう。斜陽族とも呼ばれた没落華族が、なにを愚かな自戒としているのか、と傍からは見えるかもしれない。だが、時代にも生活にも合わない無意味な自戒をどうしても取り去れず、無用の苦悩、矜持、さらには驕りさえ生み続けるところに、人間の心の悲劇と喜劇はある。富小路禎子は、そういうところにがんじがらめにされて生きざるを得なかった。いくら「美しからぬ一人」という自認があったとはいえ、「誤りて添ひたまひたる父母」に自分がなり兼ねない機会など、幾らかはあったに違いない。だが、彼女は「身に深く持つ浄き卵(らん)」を「熱く」保ったまま、「静かにまもらん」とするのだ。
 ここで注意すべきは、彼女が守ろうとする「身に深く持つ浄き卵(らん)」が、けっして、手放しに価値づけられたりしてはいない点である。次のような歌を見てから、「身に深く持つ浄き卵(らん)」は捉え直す必要がある。

  鮭のはらみし卵盛りたる白き皿へ情(こころ)するどくなりて吾は向く

  舌の上のイクラの粒をつらぬきてわが犬歯ある位置を意識す

  生るべき稚魚のいくつをかなしめば眼ふとつむりイクラを噛みき

  重々しき油となりて歯にまとふイクラ幾粒は稚魚の葬り

  動物質むさぼりし膳に白々しく口ぬぐひゐて吾が声やさし

  買ひ持てる卵は孵すすべなきに心羞(やさ)しくいたはりてゆく

  殻うすき卵かかへてゆく巷(ちまた)秋晴なれば心うづけり

  人間になき行為にて白き白き卵を抱ける鶏を清(すが)しむ

  仰向きの卵の殻にたまる雨冷々として日本の秋

  雨風に晒されありし卵殻に触るれば脆し生命(いのち)の器

  炉辺に来て魚の腹子を抜く見れば山国も女の業(わざ)生臭し

 卵という言葉は、初期の富小路禎子にとって鍵となる言葉であり、薄い意味づけをして片付けてしまうことは避けたほうがよい。しかし、イクラの卵も鶏卵も、ともに孵ることのない卵として認識されており、そうした卵の「葬り」が、人間の生をじかに支えるものとして捉えられているのは無理なく見てとってかまわないところだろう。生物の命を奪うことで生きねばならぬ人間の条件へのまなざしは、戦後から高度成長期にかけて、他の女流歌人や詩人の作品にも少なからず見出される。短歌では、たとえば馬場あき子の以下のような作品がすぐに思い出される。

ヘラ鮒の子を持つ胸はうすらかに脂しみ来る生きのあはれさ 
  
死にたえぬ六寸鮒の瞳の青き澄みは哀しも命にしみて

つぎつぎと魚裂きゆけばかなしさの極まりて立つ血潮のにほひ

一尺の雷魚を裂きて冷(れい)冷(れい)と夜のくりやに水流すなり

  鳥(とり)脳(なずき)裂く一丁に砥ぎいだす夏空ぞしんかんたるしじま

 しかし、富小路禎子が他の歌人たちと異なるのは、こうした生物の命、生物の卵から、ひと続きに、自分の「身に深く持つ浄き卵(らん)」へとまなざしを向けていく点にある。
 自分の内なる「卵(らん)」は、いかに「身に深く持」とうとも、いかに「浄き卵(らん)」と表現しようとも、受精しないかぎりは、月経で毎月体外へ捨てられていく。イクラを犬歯でつらぬいて食べる時、「稚魚の葬り」をしていると思う作者自身の身体の健康なサイクル自体が、実際には「生るべき稚魚」を葬っていっているのであり、さらには、このサイクルの中に受精の機会を呼び込めないでいる作者自身もまた、「稚魚の葬り」の当事者となっている。肉体的、社会的、経済的な自己の生のために葬り続けられていく「卵(らん)」、「生るべき稚魚」たち。イクラや鶏卵を目の前にする時、富小路禎子は、まさに自分の非婚と不妊の只中に置かれるのである。 
 こう見てくる時、「女にて生まざることも罪の如し」という表現には痛切なものがある。生むことをこそ第一の存在理由として突きつけてくるかのような、生物界の要請にひとりで逆らうかのごとき思いがあっただろう。しかも彼女の場合、生まないのが、平安時代以来の富小路家の血を継ぐ子なのであってみれば、先祖代々の無数の目に睨まれているかのようでもなかったか。いかにさばさばした考え方をする女性であれ、平安以来の貴族の家系の血を自分で終焉させるにあたっては、いささかなりとも責任じみたものを感じないわけにはいかないだろう。
 三十歳で刊行された『未明のしらべ』で、富小路禎子が、嫁がず、生まず、血を残さず、という決意を固めたとまでは思えない。今ならなんでもないようなことだが、高橋順子の前掲書によれば、当時は、「結婚適齢期ということから考えると、女の二十代後半は、はや秋であった」そうで、だからこそ、これらの歌の「秋」という季節選択が切実な意味を持つのだという。

 独身(ひとりみ)を遂(と)ぐることも幾度か想ひつつ実りの秋(とき)をひそかに生きぬ

  女にて生まざることも罪の如し秘(ひそ)かにものの種乾く季(とき)

  処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす

  白々と野草乱れて種弾く秋ふけて吾に孵すものなき

「ものの種乾く季(とき)」というのも、もちろん秋を意味するもの、ということになろう。
 嫁がず、生まず、血を残さず、という彼女の生活事実を、公然たる謎などと言ってみたが、すでに触れたように、乏しさの中で働かぬ失意の老父を抱え、勤めに明け暮れる生活を送らざるをえない女性が、二十代も後半になれば、すでに存在している自分と老父の命をとりあえず支えていくのを第一として、生活規模のそれ以上の拡張は考えまいとしていくというのも不思議ではない。

かつがつに親を養ひ嫁がぬを美しき日などと吾はおもはず

 こんな歌に素直に接すれば、作者の意識の中で「かつがつに親を養ひ」ということが「嫁がぬ」直接の理由となっていると読める。こんな生活状態の中で、自分がいま出会える範囲の男たちを夫として、そうして出産し、老父とともに家庭を作っていった場合、どうなっていくことかと、おそらく彼女は何度も想像してみただろう。想像の中に立ち上がるそうした家族は、必ずしも避けるべきかたちをしていたとも言えない。

  山国の蚕飼の家に流れ来し貧に屈せぬわが血を愛す

 こう歌うほどの彼女なのだから、支えていけないほどの生活などは、おそらくあり得なかった。すでに極貧には耐え抜き、楽でなくとも日東化学工業(現三菱レイヨン)に入社して勤めを続けてもいた。
 ひょっとしたら、俗に言うところの、出会いがない、縁がない、という程度のことだったのかもしれず、大げさに考えるほどの「嫁がぬ」理由などなかったのかもしれない、とさえ思う。だが、とにかくも、それをこの上なく重大な尋常ならざる運命のごとくに扱い、歌い上げていったところに、富小路禎子の稀な歌魂はあった。嫁がず、生まず、長い歴史のある家を自分を以て絶やす、ということを、昭和も戦後になって、魅力的な作歌の源としてしまったのである。
 嫁がず、生まなかったということは、翻って考えれば、しなかった恋愛を生き続けるということであり、持たなかった夫と添い遂げ、生まなかった子とともに老いてゆく、ということでもある。富小路禎子の独擅場ともいうべき、真に比類ない歌が、ここに生まれていくことになる。

亡母(はは)に似ると言はれし口をいろどるに又似る娘(こ)など持ちてもみたし
『未明のしらべ』昭和三十一年)

  未婚の吾の夫(つま)にあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる
(『白暁』昭和四十五年)

  会はざりし夫の墓探しにゆきたしといつよりか一人の旅を思へる

  抱擁をしらざる胸の深(ふか)碧(みどり)ただ一連に雁(かりがね)わたる
(『柘榴の宿』昭和五十八年)

  吾の後生(あ)れしものなきこの家にまた紫陽花は喪の色に咲く
(『花をうつ雷』平成元年)

  初花の沙羅に満ちくる晨(あさ)の光(かげ)女(をみな)を賭くる恋もせざりき

  戦火(いくさび)に雛(ひひな)焼かれし少女吾の嫁(ゆ)かざりし生(よ)もおほよそは過ぐ

  恋の舞果てし舞台の空白に顕てるわが生(よ)の愛みな淡し
(『吹雪の舞』平成五年)

  わがかつて生みしは木枯童子にて病み臥す窓を二夜(ふたよ)さ敲く
(『不穏の華』平成八年)

 無が、不在が、滅びが、歌の中にしっかりと言葉の肉のかたちを取り、日本の文芸の新しい命となっていく様がここには見てとれるだろう。
 次のような歌を見れば、こうも思う。富小路禎子の夫は、じつは敗戦そのものだったのではないか。あの頃の焼跡だったのではないか。そうして、生まれた子は彼女自身だったのではないか、と。そのように生まれた彼女自身を、富小路禎子は一生かけて慈しみ、立派に育てあげたではなかったか、と。

  焼跡に杙(くい)のごと立つ少女吾敗戦の日の白黒写真
                    (『不穏の華』平成八年)

 そうだとすれば、死を前にした母が彼女に与えた忠告も、いかにも正しかったというべきだろう。禎子の内に、娘とともに生動しうる歌の舞台が広がっていくのを予見したであろう母の心を、この歌人は、いかにも律儀に守り抜いたのである。

  急ぎ嫁(ゆ)くなと臨終(いまは)に吾に言ひましき如何にかなしき母なりしかも
(『未明のしらべ』昭和三十一年)



7月20日の「さぃかどう、はんたい!」



「さぃかどう、はんたい!、さぃかどう、はんたい!」…
 7月20日、抗議行動が続く中、19時頃からは国会議事堂前にいた。いつもは場所をかえて、あちこちを動きまわるのだが、めずらしく同じ場所に長時間居続け、1時間以上は同じシュプレヒコール、音響、人々の中にいた。

 人びとの口臭や呼気の臭いがする。
長い時間、シュプレヒコールを発し続けていて口が渇く。飲料のペットボトルを持っていても、シュプレヒコールの調子が乗ってくると、口を潤したり、水分補給をしたりするのは忘れられがちになる。後回しになる。たくさんの口から出る臭いがまわりに立つ。渇くと、だれの口も同じ臭いを放つ。
 デモや集団抗議行動の臭いのひとつか、と思う。集まって、声を発し、異議申し立てをしている人間、人体。鮮やかに、それを認識させられる臭い。来てみて、人々の中に混じり、身動きもとりづらくなってみて、はじめてわかるもの。
夏場の雨模様の中での体臭も混じる。それほど強くも不快でもないのは、日本人だからこそか。たまに、学生時代に男子ロッカールームで嗅いだ強い煙草っぽい臭いが鼻をつく。そのほうを見ると、若い女の人が手づくりのプラカードを掲げて、腋が宙に開いている。男子の臭いは、男子の体だけが放つものではない。
古雑巾のような臭いも漂ってくる。重そうなリュックを担いだ太った中高年の男性。Tシャツの上にカメラマンベスト。白髪をポニーテールにし、サングラスをかけている。臭いはこのカメラマンベストかららしい。プロではなさそうだ。
グレープフルーツや他の柑橘系の清々しい香りが漂ってくることもある。急ぎ足で公園側の段の上を進んでいく若い女性たち。朝つけた香りがこんな時間まで持続しているはずはない。ここに来る前に化粧室でつけてきたものだろう。

今日は、経産省近くで、抗議の意思を表す白い風船を手渡されてしまった。この風船を持つと、機敏な動きができない。デモで並んでいる人々や、警察の指示に素直に従って一か所に集まって立ち続けている人々を逸れたり、警官や主催者たちの誘導を掻い潜って擦りぬけたりするのが難しくなる。
そのため、行動のしかたを変えることにした。デモや抗議行動をする人々と同じ動きを、はじめてやってみようと思った。昨年来何度もデモの現場に来たが、一度もそうしたことはなかった。

風船には、けっこうてこずらされた。はじめから宙に浮かんでいる風船なら簡単だったのだが、紐を自分で結びつけて小さな工作を要するタイプの風船をもらった。手元で振っている分にはいいが、宙に浮ばせようとすると、小さな工作をしなければならない。いったん、厚紙のクリップから外す。紐で口を縛り、結びつける。簡単なようだが、中のガスが洩れないようにきつく縛るのが意外とむずかしい。
宙に浮かべているうちに、だんだん小さくなってくる。縛りが緩かったらしい。もっとギュッと口を縛ろうと、紐を巻きつけ直し、縛り直す。これが難しい。簡単なはずなのに、と思いながらも、どうもうまくいかない。
並びながら、そんな作業をずいぶん長い時間手元でやっていた。
 それでも30分ほどは、風船は頭の上に浮かんでいた。しかし、ガスが漏れ続けたらしく、小さくなって、やがて、高く上がらなくなってしまった。こうなると、持っているのが逆に邪魔になる。あんなに苦労して縛った紐を、今度は解きにかかった。この作業に、また15分ほど。いったい、なにをやっているんだか… だが、デモの行列が進むわけでもなし、国会前の歩道に立ち続けて、公園側の段の上から奏される鳴り物の大音響を浴び、シュプレヒコールの連続の中に漂い、飽きもせず手元で紐解きに熱中していた。

 元首相の鳩山由紀夫が首相官邸前に現われ、演説をしてから官邸に入って行ったらしい…  そんな噂が国会前でも、スマホでツイッターを見ている人たちから広がる。彼が来るかもしれないとの情報は知っていたが、どこまで本当だかはわからない。曇った空の下、官邸方面を見上げながら、あっちのほうではそんなことが起こっているのか…と考える。
 田中康夫はいつものように白い風船を配って行ったというし、福島みずほなども来ているようだし… そんな噂が近くの人たちの口から聞かれても、だからといって、なにがどうかわるというわけでもない。デモや抗議行動の現場では、見通しがきかず、動きがとりづらいままの長時間を、ただ、とにかく耐える。これが一個人の現実だ。社会生活そのものの縮図ではないか。
鳩山由紀夫になにかが期待できるわけでもないと思うし、他の政治家たちにも同様。確かに政治家たちがこのデモの中に現われたとなれば、デモや抗議行動に別種の政治的な構造線が引かれることになる。しかし、民主党が政権を取った際に、唯一、人々の期待がかかった初代首相でさえ、あのようにあっけなく崩れて退陣したのだから、今後、合法的に脱原発の方向に政治を向けていくのが容易であろうはずもない。そう思いながら、シュプレヒコールの続く中、大音響の鳴り物の中、立ち続ける。

 風船にうまく紐をつけようとしたり、ガスを抜こうとしたりしていた時、はじめて、「さぃかどう、はんたい!、さぃかどう、はんたい!」と何度か、いや、何十回か、言ってみた。
大きい声ではなく、ふつうの声で。
もちろん、大声でこれを叫んでいる人たちの中では、響くどころか、誰にも聞こえない。それでも、まわりの人たちがふいにこちらを見たので、少しは周囲に聞こえたのだろう。高い声で言う人たちが多い中で、低音でふつうに言うと、周囲には、逆に耳につくかもしれない。
昨年の新宿などでのデモ以来、何度も一連の抗議行動には居合わせているのに、ふつうの音量以上で声を発してみたのは初めて。一度もない。このシュプレヒコールを咽喉に通すとどんな調子になるのかと、小声で試したことはあるが、それだけだった。
仕事柄、ふつうの人以上の大声を出せるのは知っている。大声を出すパフォーマンスもやって来た。しかし、それでも、大声で「さぃかどう、はんたい!」と言わないのは、日本の現状のあらゆる点について、自分の中に未解決な問いがたくさんあるからだ。ふつうの声で、しばらく唱和してみることならできる。だが、大声で「さぃかどう、はんたい!」とやれば、何か決定的な欺瞞を自分の中に生じさせることになる。大声で当然のように「さぃかどう、はんたい!」とやれる人たちへの違和感、齟齬は、私においては、無視できないほどに大きい。
もちろん、原発再稼働の問題性に自覚的でない人々には、さらに大きな違和感と反感がある。この落差が、私を毎週、首相官邸前に向かわせる。首相官邸周辺に集まる人々のほうが、集まらない人々(無視したり、原発に賛成したり、お高くとまって「民衆」の行動を論評だけするような人々)よりも、私の内面の政治性との差異がはるかに少ないためだ。
地震の危険の甚だしい日本列島で、無策のまま再稼働を各地で始めるのは愚行も甚だしい。しかも、現在の野田佳彦内閣の政治手法の粗雑さは、この国でぎりぎりのところで持ちこたえられていた輸入〈民主主義〉©U.S.A.の形骸化を加速している。時代の変化やインターネットやツイッターの普及によって質的に急変を遂げた政治空間の実相を無視したまま、強引な昭和ふうの政治を続けようとするアンシャンレジームであることを、野田佳彦内閣はすっかり露呈してしまってもいる。これに対してNONを表明するためだけでも、永田町や霞が関の路上に出る理由はある。たとえ、他の多くの点で、あそこに集まる人々と対立するのだとしても、この幾つかの点では意見は共有されており、共闘は可能であり、しかも、今はまさに、これらの幾つかの点で共同戦線を結ぶべき時点だと考える。だから、個人的には積極的に唱和したくはない「さぃかどう、はんたい!」の中へも、混じり入っていくのだ。

私にとって、「さぃかどう、はんたい!」と「てんのうへいか、ばんざい!」は、じつはあまりかわらない。君が代斉唱も同じであり、どこの党であれ特定の議員に「がんばれ!」などと声援を送るのも同じこと。「がんばれ、日本!」など、口が裂けても言えない。言わない。オリンピックで日本を応援したこともない。学生時代に母校の選手たちを応援したこともない。反吐が出る。そんなことを強要されようものなら、頭に血がのぼり、腹わたが煮えくりかえって、すぐにも相手に殴りかかろうとする。徹底的に手に負えない反抗的少年だったのを、そろそろ告白してもいいかもしれない。
再稼働反対派や原発反対派ばかりか、推進派や現状維持派の人々からも顰蹙を買うかもしれないが、いかなる派であれ、そんなセクト連中には背を向け続ける。
とにかく、いかなるものであれ、こう言いましょう、ああ言ってください、こんなふうに叫びましょう、などと強いられるのはご免こうむる、そんな人種がいるものだが、私は生来、そんなうちの強固なひとりである。

ボードレールやランボーの徒とでも言っておけばいいか。アルト―の血が流れているとでも言っておけばいいか。

まったく政治的でなかったかのように誤解されがちだが、ボードレールは二月革命の際に駆けまわっているし、革命家ブランキの中央共和派協会に入っていた。プルードンやクールベとも知っていた。ランボーも普仏戦争さなかの混乱したパリに繰り出している。マラルメでさえ、若き日は相当の過激派であった。
彼らと同列に自分を見なすわけでなど全くないが、抽象的にも現実的にも、〈自由〉なるものが少しでも損なわれそうな時には矯激な抵抗を示す者たちを詩人といい、詩人気質の人々という。詩の唯一の定義は、つねに、無制限の〈自由〉への永遠の志向性ということであって、詩人たちや詩の側に立つ人々は、この志向性のままに精神と言葉の危険な旅を続けるべく、ろくでもない地上にわざわざ下り立つ物好きどもだ。

私ごときの三文詩人が、この歴史的な乱にあたり、ひとりでも、抗議の群れの中に混じる。それだけでも、群れにはほのかな異様な色がさすだろう。さいわいなことには国家も三文国家、時代も三文時代であり、三文詩人が混じるには格好の舞台設定ではある。すべてが茶番の国、すべてがすぐに消えゆく定めの時代であるからには、小さな齟齬には拘泥せず、いつわりの演技も多分に混ぜて、旅の思い出を増やすに越したことはない。





2012年7月17日火曜日

…で、どうするの、これから?

  ――みごと警察に分断支配された7月13日の抗議行動ののちに。




 13日の金曜日…というより、14日のフランス革命記念日の前夜祭にあたる7月13日の夕方、やはり永田町の路上のあちこちにいて、できるだけ各所を歩き、雰囲気を肌で感じ、耳で聞き、さまざまな人々の姿を目で見てまわった。雨にたたられた前週の6日と違い、多くの人出があって盛況だったが、それでも、大飯原発反再稼働+反原発デモとして首相官邸前で始まった抗議行動は、そろそろ停滞地点に近づいてきていると感じた。

警視庁によるデモの分断、車道へのはみ出し禁止措置は6日から顕著になっていたが、事前に知らせのあったように13日にはさらに徹底され、永田町に来た人たちは7つの大きな部分に誘導されて集められ、そこに留まってシュプレヒコールを叫んだり鳴り物をやったりしてください、というのが警視庁の指導だった。
 先週6日にこのありさまを見てガッカリし、13日は前もって警視庁から警備体制の事前発表もあったので、いまさら驚きもしないし、ガッカリもしない。各地の人数を目算で合わせると、ふたたび人が増え、盛り上がりが増しているのがはっきり感じられるので、むしろ、この緩やかな抗議行動の安定した漸増にこそ驚かされる。

 はじめて今日来たという人たちは、いくらかガッカリしたりショックを受けたりしていたらしい。警察の取り締まりは歴然たるもので、アルミだかジュラルミンだかの柵を並べて車道への侵入をあらかじめ阻止している光景を見せられると、自由が奪われている象徴的な光景のように見えて、ふだんは大人しいふつうの人々でも窮屈さを心に感じ、苛立ちを覚えてくるものだ。なんらかの行動を取らないまでも、各人がこの苛立ちを抱えて帰宅していくことになるので、野田政権への見えない悪感情は、じつは週ごとに効果的に増していくことになるともいえる。
考えようによっては、長期的視野に立った警視庁の巧妙な政権転覆工作であって、国民をいら立たせて、緊張を高まらせ、そうして選挙で一気に野田派の駆逐に向かわせようとの警察幹部の腹であろうか、そうならば、まことに心づよいことで、人間心理というものを読み込んだ上でのなかなか心憎い配慮だが…と、皮肉な見方のひとつもしたくなるような光景が、永田町や霞が関のあちこちに観察された。
 抗議行動への参加者が事故に遭わないように、怪我をしないように、との警視庁の配慮は微に入り細に入って完璧であり、ひとりひとりの警察官の動きは適切で、むしろ好意的に眺めることができる場合が多かった。これは皮肉でもなんでもないが、警察官たちは親切だし、言葉づかいもぞんざいではないし、大人数が押し寄せる花火大会に来たような印象さえ持たされる。しっかりとガードマンになってくれている、とさえいえる。若い警官たちの肌は夏の湿った暑さの中で健康的に日焼けし、ほとんど美しくさえある。汗を滲ませながら、参加者たちの質問やおしゃべりにも適切に付きあってくれるだけの度量もある好青年たちが多い。警視庁の戦略でもっとも巧みなのは、こうした好青年たちを前面に押し出して、抗議行動参加者の老若男女たちと接触させるということで、もちろん若い警察官が最前線に並ぶのは当然とはいえ、これが一般市民の個々の心に与える効果には大きなものがある。やはり、こうした若者たちをむやみに困らせる行動はしたくないと思うのがふつうなので、自然、乱暴な抗議行動は自己抑制されていくことになる。穿ち過ぎかもしれないが、いちいちの相手を見ながらの対応をしていくことに秀でた日本ならではの国民性を、警察が逆手にとって利用している手法、と理解できないでもない。
人々がじかに接する現場の警察官たちがこのように好印象である一方、全体として警視庁が布いている秩序維持体制が、首相官邸周辺からの人々の徹底した締め出し・分断・歩道への固定化である、という矛盾した様相が露骨になったのが、なにより13日の抗議行動風景だったといえよう。

抗議行動が停滞地点に近づいていると感じるのは、今後の方向性において、現実的にはたったひとつの進み方しか残されていないからである。
週を追うごとに巧妙に、緻密に、丁寧に、かつ、やさしく整備されていく警察の秩序維持体制を唯々諾々と受け入れ、夏祭りよろしく、指定されたところに大人しく集まり、並び、そうして、決められた2時間の間だけ、シュプレヒコールを叫んだり、太鼓など鳴り物をドンチャカやったり、田中康夫が配った白い風船をボーヨーと宙に浮かばせていたり、…主催者たちはこういう超平和的な路線を堅持していくつもりのようだし、多くの賢明かつ冷静な市民たちの殆どもこれを支持しているかのようで、老若男女、誰もが安全に参加できる意思表示の場所として、えんえんとこのやり方を続けていく。確かに、暴力や騒動や危険なことの大嫌いな普通の人々が参加できる抗議行動としては、これ以外の進み方は今の日本ではありえず、なかなかうまくハマッた行動となったという気がする。
これを毎週のようにえんえんと続けていくことで、全国の日本人たちの意識に抗議行動は刻まれ、来るべき総選挙でなんらかの成果を必ずや出すだろう、――こう望み、この路線を逸れないように注意深く進んでいくこと自体が、いまや、現在首相官邸周辺で発生している抗議行動の唯一のゴールなのである。

首相官邸周辺での金曜日の行動の枠がすでに作られ、それを外れる行動や主張は一切許されず、時間も守られねばならず、警察の指示通りに分断されねばならず、歩道に隔離されねばならない(フーコーが『狂気の歴史』で言った「囲い込み」を思い出す)という抗議行動の現状を、いったいどう評価し、どうみなしたらいいのだろう。
首相官邸周辺という場所と、金曜日という時間とは、抗議の行動そのものとともに、特定の団体や特定の主催者集団の支配を受けることの不可能な性質のものであるはずだが、それらに一定の枠がはめられ、それを外れる言動を行いかねない者たちが、暴力的であるとか、理性的でないとか、党派的であるとか、旧左翼的であるとか、あるいは単に騒動愛好者であるとか呼ばれて蔑まれ、忌避されなければならない事態が着々と出来上がっていきつつある先には、どんな日本の未来が待っているというのだろう。結局は、今までの戦後の欺瞞体質の日本の別バージョンが待ちうけているだけのことではないのか。非暴力、安全、摩擦を極力避ける…といった戦後日本お得意の技が現代的に再生産され、多少の増税にも福島の放射能にもTPP参加にもさほどの影響を受けないライフスタイルを確保できている中間層上層以上の生活レベル帯に主導権は握られ、そうした家庭の夫たちは、大企業の管理職やそこと密接に繋がった商売を展開している通信・広告・サービス業などを主たる収入場所としているがゆえに、本当に追い詰められている人々の言説はおのずとソフトに無視したり抹殺したりしていくという見慣れた構図があいもかわらず展開されていくだけのことではないのか。そんなことはないというのなら、どのような確証を提示してくれるというのか。

現在の首相官邸周辺での抗議行動に価値がありうるとすれば、長期的にみて日本人の反原発意識を広め、定着させていくのに益するだろうという一点と、遠からぬ総選挙において民主党崩壊を招来する動因となりうるだろうというもう一点においてのみである。それ以外の点では、すでに創造性を失ったルーティーンにはやくも陥っており、「とにかくも、一応反対だけは表明しておいた…」的な、自分の良心に照らして自らの「政治行動」に日頃から負い目を抱いて方途を見つけられないでいる善良なる市民たちの自己満足の場になってしまっている。もし、これらの点について自覚的でない人々が今たくさん集まっており、今後もたくさん集まり続けるのならば、この抗議行動は、現政権にとって願ってもない巨大なガス抜きの場となり、不平不満をどんどん吸いこんでくれるブラックホールの役を果たすことになろう。少しでもリアルに考えればわかりきったことだが、野田政権と関係省庁は、抗議行動に集まる人々の願いや意見や主張など一切聞き入れるつもりもないし、「声は届いている、聞こえている」とだけ言っておけばいいだろうと端から踏んでいる。抗議行動もデモも、なにひとつ現実的な新局面を拓くことはなく、ありえず、人々はただ毎週、平和で理性的で行儀のいい、警察を困らせない歩行や立ちんぼや発声や音響効果のために、ご苦労にも毎金曜日に首相官邸のほうへ出向き続けるだけのことになるはずである。

経産省前では、マイクを使って大音響で批判したり悪態をついたりしていて、ほとんど、かつて元気だった頃の右翼の諸君の姿を彷彿とさせたが、唯一、いくらかは効果がありうるかと思われたのはこの抗議の仕方だけだった。これは明らかに嫌がらせであり、音響を用いての建物内部の人々に対する妨害で、おそらく遠からぬうちに警察によって規制が入るだろうが、最低限、この程度のことをして初めて抗議と呼べる行動になるはずのものだろう。相手が理性的に議論に応じたり、それにもとづく措置や行動をしてくれるのならば、このような嫌がらせは要らない。そうでなく、アドルノ言うところの道具的理性、効率的に一人でも多くのユダヤ人をきれいに殺傷するための工程発案や作業維持などにのみ優秀な能力を発揮する型の理性だけを持つ姑息な卑劣な連中を相手にしているからこその、現在の抗議活動の発生なのであり、そうである以上、とるべき手段に変更を加えていかないと、現在進行中の抗議活動は、抗議のひとつの型のみを維持するだけでよしとする、日本お得意の形式主義にすぐにも堕していってしまうだろう。そうでなくとも、全世界的に、デモや抗議活動マニアや愛好者とよぶべき人々が多数存在しており、彼らは結局のところ、問題そのものの解決より、集まって騒ぎ続けるというだけのことに満足感のツボを持っている人種なのである。

…で、これからは?これからどうするの?
抗議行動のイニシアティブをとり、統括し、維持し、支えていこうとしている人々、また、理性的に、素直に、おりこうにそれに従っていこうとする人々に聞き続けたい。
で、どうするの?これから?
まるで、末期ガンの患者に、特効薬をそのうち作るから待っていてくれ、とでも言っているかのような措置ではないか。
一時も忘れてならないのは、福島原発事故とその後の対応において、はかりしれない巨大な暴力が揮われたのであり、それによって関東、東北、甲信越では末期的な自然環境が出現してしまっている。怠惰、無視、口止め、助成金減額・停止などによるコントロール、陰に陽に続けられる既得権益死守行為などによって、なおも大がかりに揮われ続けているこの社会的構造的暴力の排除に、政府も、学者も、地方行政も、産業界も失敗し去ったからこそ、ついに組織に属さない個人が蠢きはじめたのではなかったか。首相官邸周辺の抗議行動は、こうした個人たちの動きが集団的な様相を帯びはじめた初期のもののひとつということになろうが、少しでも集団化しはじめるや否や、たちまち、政府や警察がこれを飼い馴らしはじめ、エネルギーを散らしはじめたというのが、現在、目の前に見ている光景なのである。

で、どうするの?これから?
口ではなんとでも青写真を語るかもしれないが、戦後の日本の歴史の中で見せられてきたあらゆる社会的抵抗行動の光景に共通するヘタレ、寄らば大樹の陰、経済優先、弱者切り捨てを受け継ぐ動きのみが、必ず主流となっていくだろう。
絶望するわけでもなく、諦めるわけでもないが、ここはそういう国なのだ、という認識は曇りなく持っている必要がある。絶対に理想的な民主主義など根づかず、国民はあっちこっちの流行に靡き、投票率はやはり上がらず、諦めのいい、チープな諦念に秀でた国民性が結局は勝利するだけの悠久の煉獄なのである。

で、どうするの?これから?
じつはいつのまにか、問題の核心は、個人個人の意識と思考と行動の中で展開されるべき思想的問題に転位してしまっている。個人である「私」が、あなたが、あの人が、あの人たちが、どう個人として、どのような思想や主義を継ぎ接ぎし、ブリコラージュしながら、この泥沼と密林の中で生き延びていくか。いくつか目につく主流派の数々のいずれもが偏向しており、おかしいと見えるとすれば、この「私」は、密林や泥沼の中で、もはや長期的な生命の見通しなど持ちようもなしに、今日や明日を、自分の「魂」をどうにか救い留めながら生き伸びるだけのハグレ者であり、恥かしげもなく古風なヒロイズムに酔って楽観的に呼んでみれば、いくらかは、ゲリラのようなものと言えないこともないのかもしれない。本隊はとうの昔に全滅し、まだ死なないでいる自分ひとりが、偶然のように、未だにここにおり、空と土地の間に動いている。どこかで出会う別の個人が友になりうるかもしれない。やはり、敵かもしれない。主流派の傀儡や工作員かもしれない…
ここまで考えて覚悟をしておけば、いかなる行動も、逆に軽々と採れることになる。人間だの、ヒューマン・ビーイングだの、いろいろ言うが、生れてしまった者たちには、どちらに転ぼうとも、しょせん、落ちつく先は死しかない。この世で経験したすべて、感触、喜怒哀楽、思い、考え、感動も業績も、人間関係も、記憶さえも、なにひとつ、火葬場の火を超えて行くことはできない。今日やるべきことは、今日の空を見、今日の風に吹かれ、今日の水を咽喉に感じ、今日の汗を拭うことしかない。今日の身のまわりの自然の動き、様相を感取し、今日の自分の心身をそのまま受け入れて、時間に融合させていくことしかない。他の生はどこにもなく、社会変革や社会への希望を抱くことなどのすべてが妄想に過ぎない。
あらゆる社会参加的なもの、あらゆる人間関係称揚的なものの遺棄しか、正しい道としては残されていないことになろう。心の底の底まで、意識の隅々まで、非社会的、非人間的な者へと、たったひとりで成り変わっていくべき時が、おそらく、すべての個人に来ている…



2012年7月8日日曜日

7月6日首相官邸前デモ、ポシャる!




 7月6日金曜日の首相官邸前デモは完全な失敗だった。人数がさらに増えたとか、たいへんな盛りあがりだったとかいうツイートがいくつか出ていたが、まったくの嘘である。民主党野田セクトか、警察側か、東電側、あるいは情報操作を任されている大手広告会社の工作員によるデマツイートであろう。警察によって完膚なきまで去勢され、分断され、つねに安全第一の意識を共有する善良なる小市民と「皆様の警察」との麗しき合作としての夏祭りであった。屋台でも出ていれば、よほどお似合いだったに違いない。ホオズキや朝顔でも道行く人のポケットにさしてやれば、なかなか風流な夕景となっただろう。

 集結人数は、警視庁発表では2万1千人とのこと、先回よりも多くなっているが、怪しい。低く見積もりそうな警視庁発表において人数が増えているので、週を追うごとにますます盛んになってきていると思ってしまうが、こうした人数発表を警察が正確に行う必要は、そもそもない。正確でないことはとうにわかっている。なんらかの目的にむけて幾らでも操作もできる。先週よりも多く発表した意図はどこにあるか、と当然考えるべきだろう。警察のような組織に向けて、先ずとるべき理性的対応はそういうものである。
 主催者側での発表では15万人、それを横流しするかたちでマスコミにもその数字を出しているところがあるが、現場を歩いてきた実感では、「あれ?今日は3000人程度か?」という印象があった。

 国会議事堂前駅などで出口が封鎖され、メトロで来た人々が外に出られず、地下構内に閉じ込められ続けたという話は後で知ったが、国会議事堂周辺はとにかく閑散としたものだった。先週の6月29日の場合、国会議事堂の塀のまわりの道をぐるりと早足でまわって、首相官邸周辺の各地の集結状況を見てまわったものだが、今回は、議事堂まわりの道は警官たちによって全面封鎖されていた。誰も人は通っておらず、横断歩道を議事堂側に渡ろうとする時点で停止させられる。

 他方、首相官邸と内閣府の間の246号線は、山王坂で警官たちによって閉鎖され、官邸前デモなどという体裁はまったくなかった。官邸前に近づこうにも、はるか前方で閉鎖されてしまっているので、集まった人々は声を発するにも叫ぶにも、方向を定めづらくなっている。山王坂の衆議院第二議員会館の側の三叉路で人々は差し止めをくらっていて、しかも、デモ参加者は246沿いの歩道に並んでいてくれと誘導され、参議院西通用門あたりまで列を作っている。そうしながら、例の「さぃかどう、はんたい!」などの声を上げる人もいないので、雨に打たれながらの、いかにも静かな市民たちの行列なのである。

 そう、折しも雨で、小雨になったり、止んだり、激しくなったり、しかも大変な湿気で蒸し暑く、デモなどには来たくなくなるような晩だった。「人数が極端に少ないのは、この悪天候と蒸し暑さのせいかな…、いかにもニッポン人だよなぁ… しかも、大飯原発が再稼働されてしまった後となっては、プシュ―ッとガス抜きされちまったかな…」。べつに批判的な気持ちというわけでもなく、実景を目の前にしながら、しょうがないかなあ、しょうがないだろうなあ、人間だもの、と、相田みつをセンセなみに思ってみるのであった。(そういえば、相田みつをに癒されている間に、どんどん日本は悪くなってしまった、というツイートを見たことがある。秀逸だ)。

 しかし、「デモに参加される方は列を作って後に並んでください」とご丁寧な誘導を続ける警察や、それとまったく同じ言葉で誘導をする主催者側(?)の人々を見ていると、こちらの気分が逆にいらいらしてくる。
参議院議員会館の前あたりにいた警官たちに聞いてみた。「今日のこの様子はなんですか?どうして議事堂側に渡れないんです?なんでこんなに少ないの?これじゃ、デモっていうようなもんじゃないよね?」(警察と話すと、いつも急速にタメ口になっていく…)といった内容の質問をしたが、「国会はいろいろと忙しくて、今日は周辺にも近づけないんです」などと意味不明な返答をし、「確かに、これはデモなんかじゃないですね、もう…」と、警官の側でも、コリャ、ダメダネ、ポシャッタネ、と思っているらしい本音を漏らした。「ほんとだよねえ…」とこちらも返し、いかにもニッポン人どうし的な曖昧な笑いを交わしあって別れたが、とにかく、こんなところで素直に列を作って並んでいたってしょうがない、主催者側の頭数にされてもしょうがないし、警察側が管理しおおせた人数に含まれたってしょうがないと思い、とにかく今夜の全体像を見ようと思って、列を離れて国会議事堂を大きくまわって歩くことにしたのだった。

議事堂間近の歩道が閉鎖されているので、ぐるりを歩くとなれば、国会図書館側の歩道を行き、憲政記念館前から国会前洋式庭園、警視庁に抜ける国会前の大通りを渡り、今度は国会前和式庭園前を通り、衆議院第二別館のほうへ折れていくことになる。

ここで大きな集まりがあった。首相官邸方面にむけて行列があり、警察が並べたロードコーン(ラバーコーン)とコーンバーの内側に律儀に並んで待っている。この列の最後尾に並べば、デモに参加…ということになるのだろうが、そういうことはせず、並んでくださいと言われても聞かずに、いつも通りにどんどん前に進む。警察は、デモ参加者と違う通行人と思って、どんどん前に通してくれる。そうして、ようやく総理官邸前に着いた。ここでは行列は壊れ、歩道一面に人々が広がって、例の「さぃかどう、はんたい!」やら太鼓や鐘やらのドンチャンをやっていて、ようやくデモらしくなっている。先週のデモとは比べものにもならない小規模なものだが、それでも抗議行動らしい活気がある。

しばらくここで写真やビデオ撮影をしたり、場の空気を記憶に残すべく、耳を開き、たえず周囲を見まわし、すぐそばの警官たちの動きを観察したり、警察車両からのアナウンスを聞いたりし続けた。だいぶ時間が経った後で、それまで封鎖されていた246への横断歩道の通行が許可され、たくさんの人々とともに渡ったと思ったら、すぐに「今日の抗議は終了です。抗議は終了しました。速やかに解散してお帰りください」と警察側が拡声器で言い始めた。主催者側と思われる人々も、同じことを話している。「抗議は終わりました」、「抗議は終了しました」と拡声器を持っている警察官や主催者側の人たちが連呼する。20時になったのだった。なあんだ、うまいぐあいにデモをさせず、時間終了に持ちこませたというわけじゃないか。やられたな。警察側の勝ち、今夜は。そう思った。

それにしても、「抗議は終わりました」と警察がご丁寧に言ってくれるデモって、なんだ、こりゃ?…である。
 
 帰宅してからツイッターを見て驚いたのだが、先週を上回る大人数の集会となったとか、大成功だとか、たいへんな盛り上がりだったとか、そんなツイートがけっこうあり、首をひねった。おかし過ぎる。現場は、部分部分で小さな盛り上がりがあったものの、全体としてはシケタ文化祭の後夜祭のようなものだった。現場にいると人数把握はきわめて難しいもので、この夜に首相官邸から国会議事堂周辺に集まった人数がどの規模のものかはわかりづらいが、自分の足で主なポイントをまわってきた感触では、どうみても1万人は超えない。3千人さえ怪しいものだと思う。15万人などという主催者側の発表はおかしい。そんな数は断じてあり得ない。なにも、毎週大人数が来なくてもしかたないだろうし、週を追うごとに人数が増えていくという、数の増大へのいかにも資本主義的な固執をする必要もない。雨で蒸し暑く、再稼働もされてしまった後で、それに先週はいっぱい集まったのだし…と来なくなった人が多くても、それはそれでしかたがないはずだ。そういう週もあるさ、と思えばいいだけのことだろう。 
 警視庁側の発表も、じつはウソだったというニュースも出た。ヤフーニュースに並んだ《オルタナ》誌からの記事だが、警視庁広報課は一度も参加者数を発表したことはなく、マスメディアの捏造だったに過ぎない、というものだ*。しかも、記者クラブ内で各社が相互に調整して数を決めるので、ほぼ横並びの数字が報道されることになる、と。これが本当なら、どこまでもお見事なニッポン、というほかない。

 再稼働への反対表明や原発そのものへの反対表明を、怪我人を出さず、交通妨害も最低限に抑えて行うというのが目的だとすれば、警察の丁寧な会場整理が前面に出たこのような抗議行動でもいいのだろう。(いつのまにか、警察も主催者側も「デモ」という言葉を使わずに、「抗議行動」と呼ぶようになっていた。これは、つい先週には、あまりハッキリしていなかったことだが…)
 しかし、参加者がメトロの駅から出るや否や分断され、誘導され、しかも、国会議事堂周辺への侵入を完全封鎖され、「抗議行動参加者の方はここに並んでください」と警察に言われるまま、唯々諾々、律儀に平和に安穏に歩道の隅に行列する姿というのは、デモとしては完全に骨抜きされ、去勢され、警察の手中でいいように動かされるに到ってしまった、と見えてならない。マスコミの紙面やテレビ上での抗議手段を持たない人々が、抗議の意思を表明するためにプラカードや横断幕や旗を持って路上に出る、それだけでよい、それだけで十分な意思表示だという見方は、ようするに価値観と解釈の問題に入ることになるから一概には否定しないが、しかし、これほどまでにキレイに警察に管理され切ってしまうとなると、異常事態であると思える。ここまで来るとおかしい。それほど奇妙な静けさの国会議事堂周囲だったのだということは、来てみた人には、誰にも容易にわかっただろう。
 首相官邸前の抗議行動も、多少はマスコミに報道されるようになったし、後は警察とうまくやって、平和に継続さえしていけば、日本中へさらに広がっていくし、国民の意識も変わっていくだろう、…そういう目論見もわからないことはない。先回までは。
しかし、7月6日の「抗議行動」とやらは、すっかり警察の手中に落ちた、躾のよい良い子ちゃんたちの「いちおう、抗議してま~す!」という一夜になってしまっていた。

主催者側とやらの中心に、どうやら警察や公安が忍びこんでいたな。
まずは、こう考えるのが定石であろう。抗議行動はやらせる。しかし、徹底的にガス抜きし、抗議者の主体性を完全に奪い、各地で従順な姿勢を強い、殲滅収容所に方途なく向かう人々のように行列をさせて。ほら、我慢して一時間も立って待っていれば、首相官邸に近いところのポイントまで歩いて行けますよ。そうしたら、サィカドウハンタイ!を叫ぶなり、太鼓を叩くなり、シンバルやカスタネットを打つなり、NHKのど自慢なみにご自慢の無害なパフォーマンスをしていただいてけっこうですよ。ただし、お時間はほとんどないかもしれないですがねえ… こんな警察幹部の思惑が、湿った空気の中に染み出ているようだった。今回の参加者管理の巧みさによって、昇進できそうな連中もいることだろう。来週以降に失敗をしでかさない限り。

今月中にも、首相官邸周辺での集まりは、サィカドウバンザイ!と叫び出すのではないか、と思われてならない。小泉純一郎にフィーバーし、民主党誕生に狂喜したニッポン人たちのことは、すこしぐらい時間が経ったからといって、簡単には忘れられないものだ。安保闘争のプシューッというぐあいの急速な萎え方も、国民的記憶にはまだ新しい。なにせ、「夢みたいなことを言っていては飯は食えないですからね」という論理が最強のお国柄であるからにして、まぁ、結論はわかりきったようなものではある。じつは核兵器を準備していたという福島第一原発が、全国に拡大生産されるところまでいくことになるのだろう。ここは、忘れてならないが、骨の髄までコンフォルミスト、順応主義者の国なのである。何にでもいい、ちょっとでも大きな側に順応する。多少の芸風の違いはあるものの、先祖伝来のこの国の芸当である。
各地の抗議行動が、そう遠くないうちに、「みなさん、再稼働したからと言って、私たちは原発を認めるわけではありません。断じて反対です。かならず、原発は廃止していかねばなりません。…しかし、だからこそ、現時点では、再稼働に反対することに固執していても意味がないのです。本当の目的はなんでしょうか?地球上からの原発撤廃です。この国だけで原発を止めても仕方がないのです。そんな枝葉末節の議論をしていてはいけないのです… いま、日本の中の個々の原発を再稼働するかどうか、そんなことが問題ではないのです…」、こんなふうに話し出すのではないかと気が気ではない。
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』には、民衆を籠絡する演説のしかたの見事な見本が披露されている。ストラトフォードに行かなくてもシェイクスピア劇が路上で見られるようになってきたとは、どうやら、なかなか楽しい時代になってきたということなのかもしれない。われわれ観客としては、スゥイフトやラム、ボワロー、チェスタトン、シオラン、ニーチェ、古いところではモンテーニュ、エラスムス、さらに古くはキケロあたりの口吻を復習して、せいぜい厳しい劇評をするべく準備しておくべきだろう。そんな外国物を読むのはめんどくさいという向きには、もちろん花田清輝や金子光晴、石川淳がいる。…そうそう、宮武外骨も。




(註)
*このニュース記事は次の通り。
「今年3月から毎週金曜日、首相官邸前で開かれる「原発再稼働反対」デモの参加者数について、大手メディアが引用している「警視庁発表」の数字が実は存在しないことが明らかになった。
警視庁広報課は「各紙が持つ独自のルートで調べているのではないか」との見解を明らかにしたが、警視庁が発表していない数字を「警視庁発表」としたり、その数字の根拠が全く不明であるなど、報道モラルを大きく問われる事態に発展しそうだ。
首相官邸デモの参加者数については、直近の6月29日、7月6日の2回について、主催者側はそれぞれ「20万人、15万人」と発表した。
これに対して、大手新聞やテレビなど主要メディアは「警視庁発表」としてそれぞれ「2万人、2万1千人」と報じてきた。
メーデーなど大型デモの参加者数については、総じて主催者側が多めの数字を発表し、地元警察が少なめの発表をすることが多かった。
だが、一連の首相官邸前デモについて警視庁広報課は7月6日、「参加者数は安全面の問題から把握はしているが、一回も公表したことがない」ことを明らかにした。
同課の担当者は、各メディアが引用している「警察発表」という表記について「各紙が持つ独自のルートで調べているのではないか」と答えた。人数をなぜ公表しないのかという質問については、「答えられない」との回答だった。
問題は三つある。一つ目は、警視庁が発表していない数字を、あたかも「警視庁発表」と偽って報道していること。
二つ目は、誰がその数字を調べているのか、あるいは作っているのかという点。
三つ目は、発表されていないにもかかわらず、大手メディア各社がなぜ「横並び」で同じ数字を報じているのかという点だ。
新聞報道に詳しい、あるメディア関係者は「大手メディアで原発再稼動反対デモの記事を書いているのは、おそらく各社社会部の遊軍記者か、警視庁の公安担当記者。彼らが記者クラブ内で数字を『話し合い』で統一している可能性がある」と話す。
「その理由は、こうしたデモの参加者の数や、大事故の死亡者数が報道各社によって違うことを、各社の記者たちは非常に嫌う性質があるからだ」と分析している。
「特に、他社の数字と違うことを恐れるのは大手通信社の記者で、しかも大手通信社の記事配信による数字を引用しておけば責任を問われないと考える新聞やテレビのデスク(編集者)が多いため、二重の意味で数字の横並びが起きやすい」としている」。(オルタナS副編集長=池田真隆)




2012年7月6日金曜日

アルディ、「水に描く輪」、「波紋」、「水切り」、長尾高弘さん、「女」性の怖さ…



女神なんてなれないまま私は生きる。
(『新世紀エヴァンゲリオン』
オープニング曲『残酷な天使のテーゼ』)



フランソワーズ・アルディの1968年の歌《Faire des ronds dans l'eau》は、これまで『水の中の環』というタイトルで訳され、親しまれてきた。それを『水に描く輪』とし、内容もかなり変更して訳してみた。最後の部分には原詩にない連もくわえて、翻案を行った。*
 ウィリアム・ブレイクの翻訳者でもある詩人の長尾高弘さんから、すぐに次のようなメールが来た。正しい把握と長尾さんのはっきりした考えが披歴されている内容なので、私信ではあるが、一部を引用させていただく。

〈今日の訳詩、Faire des ronds dans l'eau というのは何かなということを私も考えました。
駿河さんは、指や棒で描くとも水面に描く波紋とも書かれていましたが、やはり石をぽこんと投げると波紋が立って同心円状になる、あれなんじゃないかと思いました。
水に石を投げて遊ぶというのはきわめて内向的な感じの行為ですが、その内向的な行為が逆に人々に波紋を呼んでいく。
他人に見せることを意識したスタントプレーではなく、自分に忠実に投げた言葉の方が人を動かすと言いたいのではないかということです。
言っている相手は、既成の政治家で、石を投げるのは自分たちの側(水でなく、警官隊などに投げていた訳ですけど)。しかし政治家にも自分たちと同じ原点があったのではないかと言っている。
つまらぬ読みかもしれませんが、フランス五月革命を意識した歌であれば、かなり明確な意図があると思います。
そして、糾弾している相手にも、もとはこっちにいたんだろ、という言葉を投げかけることに詩があるとも思います〉。

正しい理解だと思う。フランス語でもfaire des ronds dans l’eauというのは「水面に波紋を描く、波紋をつくる」という意味で用いられる。語学的にも、男の子や少年の行動についての常識的な理解においても、長尾さんの言う通りだと思う。ただ、石を投げて波紋を作るだけでなく、棒や枝で水を突っついたり、掻きまわしたりという動作も、やはり含めておいてよいだろう。
翻案する時には、いろいろなやり方が考えられ、迷ったものだった。ひとつのテキストにまとめざるをえないので、結局、男の子が小川で水に(指や棒や木の枝で)輪を描くというイメージを採ることにした。そうしたのは、このイメージに、どういう意味かはっきりしないところが最後まで残るからで、いわば、このイメージの意味作用の曖昧さ、わからなさを維持したいと思ったためだった。

             *

曖昧さの残るこうしたイメージを残そうとしたのは、ヨハネ福音書8章にあるイエスの行為が心にかかっていたからでもあった。姦通した女を裁くよう、律法学者やファリサイ派たちがイエスに言う場面である。まったく違う話に飛ぶようだが、聖書のこの場面でイエスが指で地面になにかを書く姿は、私の中では、アルディの歌の「水に輪を描く」イメージのすぐ隣に位置している。大幅に話がずれるのを承知で、聖書のこの箇所を見直しておきたい。

《イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」》(新共同訳)

イエスはいったい、地面になにを書いたのか。砂や土や石の上に、後が残るかたちで文字を書いたのか。絵か。記号か。それとも、固い地面に、文字も絵も記号も残らないような条件下で書いたのか。
イエスが書いた内容を誰かが読んだという記述がないので、見えないものをイエスは書いていたのではないか、と思われる。
このイエスの姿、このイメージは、新約聖書の中でも最も好きで気になる箇所のひとつだが、私の連想の中では、ここから、アルディの「水に輪を描く」イメージへとすぐに連動していくことになり、そのために訳文も、いくらかそれに近づいたものとした。偏愛するイメージからそれに類似したイメージへの連鎖を作りたかったということだろう。勝手といえば、勝手なものである。
ここでイエスが書いていたものはなにか。謎である、というシンプルな解釈(というか、解釈放棄)も多い。しかし、当時のローマ総督による刑の判決文が、原告側と被告側の面前で書かれたのを前提とすれば、律法学者たちがローマの権力を悪用してイエスを陥れようとしたこの場面では、イエスは総督の所作を模して、イエスならではの赦しの判決文を書いたのだ、という解釈もある。989年頃のアルメニア写本によれば、「イエス自身が地面に屈みこんで、彼らの罪を書き連ねていた。彼らは、自分の罪が石に書かれているのを見た」とあり、ぐっと鮮明な描写となる。「彼らの罪」とは、姦通した女をイエス告訴の道具にしようとしたことでもあろうが、イエスが人間ひとりひとりの人間的霊的な全過去と全意識を見通せる能力を持っていた以上、今生ばかりか、あらゆる転生輪廻をふくめての期間の中で、これまで彼らが犯してきた罪のすべてを、ということにもなるかもしれない。
アルディのポップスの歌詞を考えたり訳したりするのに、聖書中の問題個所まで考えなければならないいわれはないので、イエスの行為に触れ続けるのは、このあたりでやめておこう。

             *

さて、アルディの歌のほうに戻るが、もう少しはっきりしたイメージで、男の子が一般的にやりそうな行為をもっと反映させた解釈を採るならば、小川に石を投げたり、石で水切りをやってみたり、棒でさざ波を立ててみたり、という動作を元にして意味をとったり、訳したりしてみるのがいいのだろう。そうすると、タイトルをズバリ『波紋』としたり、『水の輪』としたりして、次のような翻案ができる。
ただ、イメージを水切りに限ってしまうのは、やはりふさわしくないだろう。フランス語では、水切りはfaire des ricochetsをふつうは用いる。映画『アメリ』の場合にも、アメリが好きなことのひとつだった、パリのサン=マルタン運河での水切りのことを、《faire des ricochets sur le canal Saint-Martin》と表現していた。



小川のそばではじまった
あなたの人生

川のさざめきで育ったのよね

葦のあいだを流れ
道を上っていき
雑木林を抜けていく
さざめき

風車のはねや
正午の鐘の音も
微笑んでいた

小鳥の歌声も
はっきり
聞こえていて

遊んでいたわね
あなた
小川を棒で掻きまわしたり
石を投げたり
水切りしたりして
波紋をつくりながら

いまは もっと
騒がしい水の中を
さまよっている
あなた         
熱を入れ
揺れ動いて

でも 愛は、どこ?

野望には野望の掟
野望は宗教みたいなもの
望んでいるのよね
あなた
自分の声で
喧騒を治めてやろう、って

愛されたいのね
みんなに
ちょっとした
ヒーローみたいに

水に波紋を作って
楽しんだり
水切りで
波紋を
次々きれいに
作れるはずの人なのに
あなた


いるわね
確かに
背後からあなたのことを
見ていてくれる人たち
たくさん

でも
考えておいて
あなた
川に石を投げたり
水切りをしたりしたら
みんなに思われるかもしれない、って
バカじゃないか、こいつは
村きっての
バカ者だったんだな
こいつ、って

そうしたら
だれが残るかしら
あなたに

あなたが
水面に波紋を作りたい時
いっしょにいて
あなたを見続けるのは
だれ?
できていく波紋を見るのは
だれ?

次々と
波紋を作りたいような時

あなたと


 こんな翻案があってもいいし、こちらのほうが現実的だろう。波紋とか、小川への石投げとか、水切りなどをはっきり出してきたからといって、意味の広がりが減ってしまうというわけでもない。この翻案も、手製のべつのバージョンとしてとっておくことにしよう。

 付記しておけば、原詩の「Tu voudrais que l'on t'aime / Un peu comme un héros / Mais qui saurait quand même / Faire des ronds dans l'eau」のところに、「saurait」という条件法現在が使用されているが、ここがポイントでもある。「あなたは人々に愛されたいんでしょうね。ちょっとヒーローみたいに。それでもやっぱり、状況次第ではfaire des ronds dans l'eauができる人、やれる人、それをするすべを知っている人。(そうじゃない人とはぜんぜん違うのよ、あなたは)」というわけで、場合によってはこの行為をすることができる、その能力がある、すべを知っている」と書かれている。そうなると、棒で小川を突っついたり掻きまわしたり、石を小川に投げる程度のことはだれでもできるから、それ以上のことだろうか、ならば、やはり、水切りがうまい、というようなことだろうか、と、またもや考えさせられる。
 もちろん、水切りのような技術的なものが要求される遊びができる、できない、ということだけでなく、水や、水面にできる波紋をひとりで楽しむことが「できる」という意味あいも考えられるわけで、そうなると、棒で水を掻きまわしたり、石を小川に投げるような動作も、やはり含まれてくることになる。

             *


長尾高弘さんのメールを冒頭に引用したが、そこに表われた彼の考えについても、もう少し見ておきたい。
長尾さんは、
「水に石を投げて遊ぶというのはきわめて内向的な感じの行為ですが、その内向的な行為が逆に人々に波紋を呼んでいく。
他人に見せることを意識したスタントプレーではなく、自分に忠実に投げた言葉の方が人を動かすと言いたいのではないかということです」
こう言っているが、含意の深い美しいことを、短く、うまく言っている。私は、かならずしも、「水に石を投げて遊ぶ」ことが「内向的な感じの行為」とは思わないが、少なくとも、対象が他人ではないことや、ましてや、先に見た聖書の記述のように石打ちの刑の対象となった人間でもないのだから、社会的な行為や、社会的な効果を意図しての行為でないのは確かなところだろう。
それが「逆に人々に波紋を呼んでいく」と考えられているところが、独特とか独自とかいうのでなく、正確な理解であり、正しい思考だ、と私には思える。「他人に見せることを意識したスタントプレーではなく」と続くところから、長尾さんが、言語などによる表象表現を特に念頭において語っているのは明白で、日頃、詩人として、社会や歴史の現在の中でどういう言葉を紡ぐべきかを考え続けている人ならでは、と感じる。「スタントプレー」の言葉ばかりに辟易し、「他人に見せることを意識した」行為者たちばかりの世間で、そういう人々の隙間にできる空間から、たとえば「雲」を追おうとしたり(「ぼくは雲が好きなんだ… 過ぎていく雲、ほら、あそこ、あそこにも… すばらしい雲!J’aime les nuages...les nuages qui passent...là-bas...les merveilleux nuages !」:ボードレール『奇妙な人L’étranger』in『パリの憂鬱』)、あるいは空の紺碧の青さに魂を繋ごうとしたり(「私はとり憑かれている。青!青!青!青!Je suis hanté.L’Azur! L’Azur! L’Azur! L’Azur!」:マラルメ『紺碧の青L’Azur!』)、あるいはさまざまな意味での「海」との出会いを希求したり(「海に出逢えるという望みとともに、いつもToujours avec l’espoir de rencontrer la mer」:マラルメ『不運Le Guignon』)している私たちの心に繋がるものでもある。
「自分に忠実に投げた言葉の方が人を動かす」という表現は、アルディの歌の歌詞の意味を考えながら、途中で、通りすがりに、ついでに、自分の主張を正面からあからさまに述べ立てるといったかたちをとらずに、脇から、偶然のようにフッと出たものだが、この表現が私には嬉しいし、メールというかたちの中に並べられた長尾さんの言葉が、ひょいと取った詩、志、…の姿勢(…ここで、私は、詩、という語に括弧をつけない、…)に、打たれるようでもあり、爽やかな覚悟にこちらも澄んだ水を浴びたようであり、快かった。
自分に忠実に言葉を発する、言葉を投げる…、と言ってみるのは、さらにいえば、祈りのようなものだろう。私たちは、「自分に忠実」とはどういうことか、じつは、誰も知らない地点にいるからだ。

            *

 アルディの歌について、もうひとこと言っておきたい。
 恐ろしい歌、ということだ。
 女性であるこの語り手は、どうやら、「あなた」を幼い時からよく知っていて、見続けてきていて、「あなた」がどうあるべきか、「あなた」の本質はどうなのか、世間の人々が「あなた」を離れていくような時でさえ、自分は傍らにいて、水切りで描かれる波紋を「あなた」とともに見続けると言いたげなのだが、この語り手はいったい誰だろう。どのような女だろう。しかも、「でも、愛は、どこ?」などと、鋭い質問さえ「あなた」に向けるのだが、基本的に高所に立って「あなた」を透視的に見るこのスタンス、この自らの優位への疑いのなさ。
 この歌を、端的に、女というものの恐ろしさや根源的な支配欲を如実に表現している歌としても見ておきたい気持ちが、私にはある。「野望には野望の掟」があるなら、女にとっての最大の野望である「愛」、女がそれとなく差し出し、やがてごり押ししてくる「愛」なるものにも、やはり「掟」があるのだ。「母性」と安易に呼ばれてしまいがちな去勢装置に敏感でない人間なら見落とすかもしれないが、世間の政治空間どころでない、より根源的な「政治」が、アルディのこの歌の中には網を広げている。男の子が、もっと「騒がしい水の中」をさまようのを望むのは、こうした「女」性、「母」性から逃走を図ってのことかもしれない。
 こういう視点、思い込みに立って自分を見続ける女、―それが母であれ、姉であれ、幼馴染の親しい女であれ―、そういう女には断じて見えない、理解できない領域を、精神の自由を求める男の子たちは拓こうとするだろう。ある人々にはそれは政治空間かもしれないし、ある人々には戦争空間かもしれない(「戦争がなくなったら、私はどうやって生きていけばいいのだ!」と叫んだらしいパットンのことが思い出される…)。サドのような文学者には、それは文学空間であったかもしれないし、ケン・ラッセル**のような映像家には、映像空間がそれであったかもしれない。もちろんイエスには、それは聖霊空間であっただろう。
 詩がそれである、という人物がいてもおかしくないわけだ。



                  
(註)
*水に描く輪 [先に行った翻案]



小川のほとりではじまった
あなたの人生

川のさざめきで育ったのよね

葦のあいだを流れ
道を上っていき
雑木林を抜けていく
さざめき

風車のはねや
正午の鐘の音も
微笑んでいた

小鳥の歌声も
はっきり
聞こえていて

遊んでいたわね
あなた
水に輪を描いて


いまは もっと
騒がしい水の中を
さまよっている
あなた
熱を入れ
揺れ動いて

でも 愛は、どこ?

野望には野望の掟
野望は宗教みたいなもの
望んでいるのよね
あなた
自分の声で
喧騒を治めてやろう、って

愛されたいのね
みんなに
ちょっとした
ヒーローみたいに

水に輪を
描けるはずの人なのに
あなた


いるわね
確かに
背後からあなたのことを
見ていてくれる人たち
たくさん

でも
考えておいて
あなた
水に
輪を描いたりしたら
みんな思うかもしれない、って
バカじゃないか、こいつは
村きっての
バカ者だったんだな
こいつ、って

そうしたら
だれが残るかしら
あなたに

あなたが
水に
輪を描きたい時
いっしょに
いて
あなたを見続けるのは
だれ?

水に輪を
描きたい時

あなたと



**Youtubeの《An ode to Ken Russell》は見事にケン・ラッセルの精神を凝縮してくれている。おお、昨年逝去されたわが師よ!