Living is easy with eyes closed
Misunderstanding alI you see
John Lennon & Paul McCartney
“Strawberry Fields Forever“
あなたは、もう六十歳を越えていよう。 落ち着いた上品な顔と振る舞いが、あなたの魅力だ。 入信する前は苦しかった。ひとりで苦しみ、ひとに相談しても、 ありきたりの答えしか返ってこなかった。 尊師との出会いがあなたを救った。静かに座り、 なにも所有しないこころで、目を閉じる。 こんなに充実した時間が、 これまでの人生にどれほどあっただろうか。 秋の山奥の日溜まりにひとりでずっといるようなこんな静寂を、 これまでどれほどこころに深く感じる暇があっただろうか。
上九一色村の女性信者となったあなたに、 テレビのインタヴュアーがマイクを差し出している。 サリン事件や、こんどの捜査をどう思いますか? 報道されている ように、オウムがサリン事件を起こしたのだとしたら、 どうしますか?…
そんなことは絶対ないというのが、あなたの答えだ。が、 困惑がある。さびしそうな顔をしてもいる。さらに、 どう答えたものだろう。あなたの決断、あなたの人生そのものが、 答えの一瞬に賭けられているような気になる。
おだやかな声で、静かにもう一度、あなたは言う。「そんなこと、 あるはずがありませんもの」。
あなたはそうして、静かに目を閉じ、瞑想に入る。 さびしそうだった顔から、影が消えていくようにみえる。 こころのなかに、尊師のイメージが浮かぶ。そのイメージから、 エネルギーがくるのがわかる。こころに平安が戻ってくる。 外の喧騒と混乱に惑わされず、こころの奥ふかくに、ふかく、 ふかく入っていく… そして、そこで尊師と一体になる、尊師は愛、 尊師は世界そのもの、尊師は宇宙、いまふたたび、 尊師と溶け合う…
そうして、あなたはふたたび去っていく。あなたは、 あなたを苦しめ、理解せず、 あなたにふさわしい位置も愛も慰めも与えてくれなかった者たちの 場から、去っていく。
あなたはなにがほしかったのだろう? あなたはあなたを探してい たのだろうか? 平安をもとめてきたのだろうか? こころの充実 がほしかったのか? よろこびに溢れて、 自然の恵みを素直に受け入れて、 こどもの純真さを取り戻したいのだろうか? 不安に満ちた、 頼りないじぶんの枠を出て、 より大きな力といっしょになりたいのだろうか? なぜじぶんが生 まれたのか、なぜじぶんの人生はあのように過ぎてきたのか、 なぜじぶんはあんな苦しみを耐えねばならなかったのか、そして、 これからどうなっていくのか知りたいのだろうか? 苦しみとむな しさとさびしさのこの生のしくみを、 その意味を知りたいのだろうか? おなじ興味をもつ多くのひとび ととともに、すでに若くないこころとからだにふたたび力をえて、 世の中でけっして知りえない生命と運命の秘密に参入したいのだろ うか?
あなたがひとを害するようなことをしていないのを、 わたしは知っている。あなたが、 かつてのじぶんのように世の中で苦しんでいるひとたちを救いたい と思っているのを、知っている。 あなたが執着と煩悩を断つために、 すべてをお布施として投げ出したのを知っている。 あなたの財産を尊師が世の中のひとびとを救うためにかならずお役 立てになるだろうと、あなたが信じているのも知っている。
知っていることは他にもある。 あなたがこころから拝むシバ神像は発砲スチロール製で、 それ自体はどうでもいいことだが、 あなたと同じ信仰を持たないひとびとには美しく見えない。 あなたが出したお布施はたぶん、 ひとの意識を朦朧とさせるための薬品の購入にあてられた。 ひとを拉致するための車のガソリン代になった。場合によっては、 毒ガスをつくるための研究費にあてられたかもしれず、 サリンの包みをもったひとびとが事件の当日に購入した地下鉄の切 符にかたちを変えたかもしれない。
それらは失礼な推測である可能性があるとしても、 あなたの財産は少なくとも、 尊師の食べるメロンに日々あてられていたかもしれない。 それは光栄なことだと、あなたは言うだろうか。尊師は神であり、 世界であり、宇宙だから。 神にあなたはすべてを委ねたことになるのだから。
しかし、神とはなんだろうか? 師とはなんだろうか? 神や師に すべてを委ねて、 宇宙との表現しようのない一体感を求めることとは、 いったいどういうことだろうか? 生の苦しみを越えるとはどういうことか? 死の恐怖を越えるとはどういうことなのか? それらを越えようと望み、わざわざすべてを捨てて、 身ひとつで富士のふもとの道場にきて、瞑想に励み、 こころを静めようとし、精進するとは、ほんとうは、 どういうことを意味するのだろうか?
あなたを動かしたもの、決断させたもの、 すべてを捨てさせたもの、毎日の瞑想に導くものとは、 ほんとうはなんだったのだろうか? あなたが捨てたという俗世での、 苦しみやむなしさの連続でしかなかったと見えたあれらの年月は、 なんだったのだろうか? 捨てるとはどういうことだろうか? ほんとうに、 捨てることができたのだろうか? 捨てられたとすれば、 あなたのあれらの日々はどうなったのだろうか? 完全に消滅したのだろうか? それとも、こころの隠し戸に、 巧妙に隠蔽するすべを知ったということだろうか?
さまざまなものを捨てる一方で、なぜ、 こころの平安は捨てないのだろうか? なぜ、ひかりや、 よろこびや、真理を捨てないのだろうか? なぜ、 人生の充実を捨てないのか? なぜ、瞑想に執着するのか? なぜ 極楽を捨てないのか? なぜ、尊師を捨てないのか?
あなたにかぎらないが、わたしたちはなぜ、こころの混乱や、 さびしさや、孤立や、日々の底無しのむなしさや、 迷いを逃げるのだろうか? 修行をして、 たましいの段階をあげるという煩悩に、なぜ、 執着し続けるのだろう? 仏をなぜ捨てないのか? 神への執着を 、どうして断ち切れないのか?
あなたがたを導くマイトレーヤーの名を持つ人物が、 テレビに出演して、ある元信者に説教していた。 尊師はわたしたちの修行となるように、 さまざまな仕事をお与えになる。 それは尊師がわたしたちのたましいを導かれようとして、 くださる仕事なのだから、いっけん修行と見えないことでも、 しっかり遂行しなければならない。ちょうど、 チベットの覚者ミラレパが、 師のマルバから何度も何度も石で家をつくらされたようなものなの だ。ミラレパは、その修行を通して、尊師と一体となることを、 完全に師に帰依することを体得していったのだ、と。
たしかにそうでもあっただろう。しかし、 ミラレバはやがて師を捨てる。師を捨てること、師を殺すこと、 師のイメージにも観念にも執着しないこと。 それを学ぶ段階が彼には訪れたはずだ。そして、 師のもとを去って、世界へまた歩み出していく。 すでに弟子でもなく、 修行者というアイデンティティーにも執着せず、 仏教も真理も捨てて、ただ、 からだとこころとたましいとを裸にさらして、歩み出していく。
あなたがたの師によってマイトレーヤー (弥勒菩薩)と名付けられ、じぶんでもそう自称する以上、 かれはおそらくマイトレーヤーなのだろう。 ブッダにも菩薩にも帰依しないわたしには、 かれがだれなのかわからないが、しかし、かれはなぜ、 ミラレパの伝説を最後まで語らなかったのだろうか。最後には、 師もなく、弟子もなく、教えもなく、平安もないのだと、 なぜかれは語らないのだろうか。
気にかかるのだが、 多くのひとの俗世の平安を乱すためにあなたの財産が使われたのな らば、あなたはじぶんの平安を、 ひとの不幸で買ったことになりはしないだろうか? これは詭弁だ ろうか? 誤った見方をしているだろうか?
あるひとをたましいの師と呼んで服従すること。 ある言説を真理と呼び、 真理であるその言説と他の言説とを差別し、 そしてその真理に服従すること。 ほんとうに正しいわたしたちの道とは、これなのだろうか? これ は、わたしたち以外のひとびとを害さないだろうか? 関係ないと あなたは言うだろうか? それでは、 じぶんのこころの平安はどうしたらいいのだと、 あなたは言うだろうか?
あなたに答えを聞きたく思うのだ。 あれだけのさまざまな事件を平気で起こしたひとびとの集まりのな かで、その修行の場所で、あなたはいま、静かに目を閉じて、 こころの底をぬけて、尊師と一体になろうとする。 あなたのこころに力が満ちはじめてきているのだろう。 やすらぎが来る。問題はすべて消える。こころが純白になる。 かぎりなく、清められていく気がする…
あなたに答えを聞きたく思うのだ。瞑想するあなたに、 いままた訪れてきた平安は、なにか? たましいの平安とは、 それなのだろうか? それが、 ほんとうにあなたを救ったのだろうか? その方向に進めばいいの だろうか? それこそ、全世界的に混乱し、方途を失い、 日々新たな苦しみと悲劇に直面している人類を救いうるものなのだ ろうか? ほんとうにそれなのだろうか? それだと、 あなたはいうのだろうか?
答えを出すためには、あなたはたぶんその平安から出て、 ふたたび世界を見、世界を救うと自称する者たちを見、 あなたたちの師を見、教団を見なければならない。 こころの平安が失われるのを受け入れなければならない。 むなしさにこころを晒し、孤立し、理解されず、愛されず、 からだもこころも疲れ、努力はほとんど水泡に帰する…
答えとはなんだろうか? そもそも問題とはなんだろうか? わた したちは、ほんとうはなにを求めているのだろうか?
わたしはまったくわからないのだ。 あなたは教えてくれないのだろうか? あなただけの平安のなかに行ってしまわないで、 わたしの問いに答えてくれることはできないだろうか? わたしに も瞑想するよう、勧めてくれるばかりなのだろうか?
あなたはますます深く瞑想に入っていく。こころのやすらぎが、 顔にもからだにも染み出てくるようにみえる。 いまのあなたを見て、 からだのまわりに美しくオーラが輝いているというひともいるのか もしれない。
あなたの顔を見つづける。
あなたのこころの平安は目では見えないが、それを想像する。 わたしのこころに、それを想いえがく努力をしてみる。
その平安はなにか考えつづける。
あなたの顔を見つづける。
あなたのまわりにある空気が、ふと、見えるような気がする。
見つづける。
あなたはわたしを見ない。
あなたは目を開かない。
空気が見えるような気がしたことは、あなたはあるだろうか。
ふと、そんなことを思う。
あなたがそこにいる。
じぶんがなにを見ているのか、また、 ふいにわからなくなったような気になる。
見つづける。