2010年12月14日火曜日

ベストセラーときもの(8) 泉鏡花『婦系図』



『婦系図』といえば、あゝ、湯島の白梅の…と来る。しかし、新劇ではいかに有名であれ、原作にそんな場面は出てこないし、悲恋いっぽうの物語でもない。それどころか、この小説、とんでもなく奇想天外な悪漢小説というべき。数々の見せ場や愁嘆場にくわえ、明治版弁天小僧とでもいうべきどんでん返し、登場人物たちも作者の筆も、毎行、キビキビ忙しく動く。鏡花の文体の特徴として、読んでいるうち、なんだかわからなくなる時も間々あるが、それも御愛嬌、漢字づかいも華やかな、看過できないトンデモ小説なのである。
 ようするに、小説のかたちをした歌舞伎だと思って当たればいいので、こういう小説には当然ながら、人物たちに着せる着物のいちいちがまことによく引き立つ。泉鏡花が着物好きなものだから、主人公早瀬主税をめぐる女たち、芸者あがりのお蔦から、成り上がりブルジョワ家庭河野家の女たちにいたるまで、そのまま俳優たちに着せ、映画にしていけそうなぐあいの描き込みようだ。

たとえば河野家の総領娘の道子、器量よしを誇る気もない引っ込み思案ながら、「きりりとして、然も優しく、媚かず温柔して、河野一族第一の品」。この彼女が、義弟に味噌汁をよそってやる場面。
「肉色の絽の長襦袢で、絽縮緬の褄摺る音ない、するすると長火鉢の前へ行って(…)、
『お装けしましょう、』と艶麗に云う。
『恐縮ですな。』
と椀を出して、理学士は、道子が、毛一筋も乱れない円髷の艶も溢さず、白粉の濃い襟を据えて、端然として白襟、薄お納戸のその紗綾形小紋の紋着で、味噌汁を装う白々とした手を、感に堪えて見て居た(…)」
 着物を描き込んだ小説も数々あれど、味噌汁をよそわせる時の着物をこのように描いたのなど、おそらく鏡花ひとり。着物、白々とした手、味噌汁、という組みあわせの妙と意外な魅力とに思い到れる作家など、そう多くはない。

 ただ描く、というのではない。描いていく言葉が、表現が、日舞さながら、そのまま華やかに舞ったり演技をしているような鏡花の文体。主要人物たちの、ここぞという場面の着物姿を、ちょっと通して御覧いただこう。ファッションショーふうに。

 まずは、子供を寝かしつけた後の菅子、「河野一族随一の艶」にして、校長夫人から。
「襖が開いた、と思うと、羽織なしの引掛帯、結び目が摺って、横に成って、くつろいだ衣紋の、胸から、柔かにふっくりと高い、真白な線を、読みかけた玉章で斜めに仕切って、衽下りにその繰伸した手紙の片端を、北斎が描いた蹴出の如く、ぶるぶるとぶら下げながら出た処は、そんじょ芸者の風がある」。

 彼女が神戸行きの急行列車中で初登場する場面もまた、圧倒的。
「真白なリボンに、黒髪の艶は、金蒔絵の櫛の光を沈めて、愈漆の如く、藤紫のぼかしに牡丹の花、蕊に金入の半襟、栗梅の褄を襲ねて、幽かに紅の入った黒地友禅の下襲ね、折からの雨に涼しく見える、柳の腰を、十三の糸で結んだかと黒繻子の丸帯に金泥でするすると引いた琴の絃、添えた模様の琴柱の一枚が、膨くりと乳房を包んだ胸を圧えて、時計の金鎖を留めて居る。羽織は薄い小豆色の縮緬に……一寸分りかねたが……五つ紋(…)」

 つぎは、主税の先生酒井俊蔵の愛娘、妙子、初登場の場面。
「『御免なさいよ。』
と優い声、はッと花降る留南奇の薫に、お源は恍惚として顔を上げると、帯も、袂も、衣紋も、扱帯も、花いろいろの立姿。まあ!紫と、水浅黄と、白と紅咲き重なった、矢車草を片袖に、月夜に孔雀を見るような」。
溝の汚れた水さえ、妙子のこの姿に澄んで、「霞をかけたる蒼空が、底美しく映るばかり」と鏡花は畳みかけていく。

さて、こんな妙子の父、有名な独逸文学者酒井俊蔵の着物にいたっては、男の着物姿をよくぞここまで、というほどの描写。やはり、小説に初登場する場面を。
「茶の中折帽を無造作に、黒地に茶の千筋、平お召の一枚小袖。黒斜子に丁子巴の三つ紋の羽織、紺の無地献上博多の帯腰すっきりと、片手を懐に、裄短な袖を投げた風采は、丈高く痩せぎすな肌に粋である。然も上品に衣紋正しく、黒八丈の襟を合わせて、色の浅黒い、鼻筋の通った、目に恐ろしく威のある、品のある、眉の秀でた、但その口許はお妙に肖て、嬰児も懐くべく無量の愛の含まるる」。

 こんな描写が文庫本にして約四〇〇ページ、幻惑され、翻弄されつつ、陶然としてこれらを受けとめ続けるというのが、泉鏡花を読むという体験。近ごろの世の中、薄味の小説ばかりで、とお嘆きの向きには、こってりと濃厚な泉鏡花、ぜひ再読あれ。



◆この文章は、若干の修正を加えた上で、「ベストセラーときもの・泉鏡花作『婦系図』」として「美しいキモノ」二〇一〇年冬号にも掲載された。